【30代未婚】今の世に子どもを産むことが怖いと思った
※2022年11月にブログに載せていたのをそのまま引っ越しました。
今の時代に、子どもを産む?産まない?問題。
私は、今の時代に子どもを産むのが怖い。
まてまて、アンタはそれ以前にパートナー探しだろ。
というご意見もあるでしょう。
その通りでもあるけど、そうでもない部分もあるんです。
なぜなら私にとって、自分が子どもを産むかどうかは、
そもそも結婚するかどうかに直結する問題。
まず、こんなタイトルにしたけれど、
私は“反出生主義”ではない。
5年ほど前までは、
“絶対に子供が欲しい”と思っていた。
「結婚」への憧れは元々そこまで強くなかったが、
(というか、普通に生きていけば普通に結婚するものだと思っていたんだけど…)
私は、「母親」になりたいという気持ちは人一倍強かった。
出産する年齢を逆算して、そろそろ相手を探した方がいいなという思いで
25歳くらいの頃から当時まだ今ほど主流になっていなかったマッチングアプリに登録し、婚活を始めた。
子どものために「いい父親」になりそうな人と結婚したいと漠然と考えていた。
しかし、
現在は全然子供が欲しくない。
数年で自分でもびっくりするくらい、
意見が180度変わった。
自分が子供を育て上げられる自信が一切なくなった。
その理由を、自分の備忘録として、
したためていこうと思う。
(数年後、自分で読み返したい)
私が子どもを産むのが怖いと思う理由
超少子高齢化、人口減少による1人あたりの負担増
OECD加盟国の中で最低水準にも迫る日本の低賃金への不安
政治への不信感
南海トラフ地震への不安
露ウクライナ、中国の台湾侵攻など今後の国際情勢
SNS・通信機器の発達によって変化した価値観
など…
1つずつまとめていこうと思ったものの、
書いているうちに、まとまりがなくなってしまったので、
今回は2点だけピックアップして掘り下げていきたいと思います。
子供を産むのが怖い理由①:日本社会への不安
子育て世代に冷たい社会/政治
「いい加減目覚めなさい」
「イメージできる?」
私が中学生の頃。
このセリフと、衝撃的なストーリーで最高視聴率25%を超え、社会現象となったテレビドラマがあった。
今でもSNSで度々切り抜き動画が拡散される、女優の天海祐希さんが主演を務めたTBSドラマ「女王の教室」。
天海祐希さん演じる鬼教師・阿久津真矢は、真っ黒なスーツに身を包み、強権的な態度でクラスを独裁的に支配していく。
担任を受け持った小学6年の生徒たちに対し、テストの成績に絶対的な力を持たせ、成績上位者には特権を与え、最下位もしくは自分(ルール)に楯突いた生徒には「代表委員」と称する奴隷のような扱いである雑用係を務めさせる。
弱みを握った生徒には交換条件でスパイ活動をさせるなど、教師らしからぬ行動ばかり。
ネタバレとしては、阿久津真矢は自らが生徒たちの「壁」として立ちはだかることで、社会の厳しさを体現し、生徒たちがこれからの人生でぶつかるであろう真の「壁」を乗り越えるために必要な“努力”が出来る人間に育てあげるための愛ゆえの行動だった、というストーリー。(ざっくり)
有名過ぎる名言だが、
このドラマの劇中、私が今でも忘れられない阿久津真矢のセリフがある。
当時は随分と極端で意地悪な言い方(考え方)だなと思っていた。
しかし、今の日本、特に子育て政策を見ていると
この、阿久津真矢が言っていたセリフは、一言一句、正しかったのでは?
と思わざるを得ない。
批判があること、自分が差別的な考え方をしていることを自覚した上で、
阿久津真矢の言葉を借りて言うと
『安い給料で働く』『世の中のしくみや不公平なんかに気付かない』
『愚か』な人間だけで世の中を回したいと『特権階級』(国/政治家)は本当に思い、
わざと、優秀な人間が出てこないようにしているのでは?と。
なぜなら、国が出してくる“子育て支援”はほとんどに所得制限が設けられ、中間層以上の世帯は対象にならないものばかりだから。
今の日本の子育て政策は、
支援なんて元々必要としていないお金に余裕のある富裕層と、
中間層以下、
そして『なるようになる、どうにかなる』というポジティブな考えの世帯だけが心置きなく子どもを産むことができ、
ある意味でネガティブ思考、心配性、「せめて自分が親にしてもらってきたレベルの子育てはしたい」と考える中間層以上の世帯(もちろん様々例外もあるだろうけど)、
「大学までは出してあげたいし、子どもが希望した進路に進ませてあげたい。本人が希望するなら留学もさせてあげたいし、お金を理由に子どもの選択肢を殺したくない。」という考えも生まれるであろう中間層以上には支援がない。
むしろ、子どもを産み、支援が受けられないことで、中間層が下層レベルの生活に落ちる可能性まである。働き損。
子どもに、満足のいく教育を充てたいと思う世帯/親ほど、
「それが出来ないなら産まない方がいい」と産み控えをする気がする。
やはり、阿久津真矢が言う通り、
国が、将来扱いづらい賢く優秀な人間が必要以上に増えないようにと必死に舵をとっているのではないかとまで勘繰ってしまう。
それぐらい、「なんで?どうして?」が多い、
”よく分からない”日本の子育て政策。
しかも、「この子育て支援策は不平等だ」と叫ぶ、所得制限に引っかかり支援を受けられない中間層に対して、
「高所得者の贅沢のために使う税金なんてない」
「うちは500万で子供2人育てられてますけど」
「高所得マウントですね」などなど、
同じ子育て世帯が潰しに来るらしい。
私は、自分自身が子育て支援が受けられる、受けられない関係なく、
”子育て罰”と言われるような苦労を強いられ、しかしそれも自業自得、“子育ては贅沢”とでも言わんばかりの扱いの子育て世帯に優しくない国(社会)で、
私は私の親がしてくれたような子育てを受け継いでいく自信がまるでない。
親の偉大さを改めて知る。
さらには、この子育て政策だけではなく、
日本社会全体の雰囲気が子育て世帯に冷たい気がする。
SNSでよく見かける
「公共機関でのベビーカーの利用問題」
「公園でのボール遊び禁止/遊具の撤去」
「高級店でもない飲食店での子どもの泣き声への苦情」
などなど、様々なところで風当たりが強いのが、全く当事者ではない私が遠目で見ても分かる。
もちろん非難されるべくして叩かれている非常識な親も居るだろうが、
子連れの親は”子持ち様“と揶揄され、公共スペースでは迷惑がられ、ベビーカーを押しながらスマホをいじっているだけで文句を投げつけてくる人もいるらしい。
そもそも、国全体で子どもたちを育てていこうという風潮ではないこの国。
“子どもは国の宝”というチルドレンファーストではなく、
シルバーファーストで回っているシルバー民主主義の世の中、
老人が、老人による、老人のための政治を回し、現役世代が割を食っているような今の世の中では、
なかなかに厳しい。
子供を産むのが怖い理由②:「知らなくて良かった世界」が見えてしまう現代
この20年で、インターネット・SNSが急速に発達した。
間違いなく世の中を便利にしたテクノロジーだが、
便利=人間を幸せにしてくれるばかりではない。
2012年から毎年、国連が発表する「世界幸福度ランキング」という調査がある。
2013年の調査結果にて、南アジアにあるブータンが、発展途上国ながら北欧諸国に続いて世界8位となったことで『世界一幸せな国』として、広く知られるようになったのは有名な話。
国民へのインタビューで、
「雨風が凌げる家があり、食べ物があり、家族がいるから幸せ」
と答えるブータン国民の姿に“幸せとは何なのか”を考えさせられられると、
当時マスコミがこぞって取り上げた。
そんなブータンだが、2019年の調査で156か国中95位になって以来、このランキングから名前を消している。
かつてのブータンの幸福度が高かったのは、情報統制がなされており、テレビもなく、他国の情報などが入ってこなかったからだったのだ。
インターネットやスマートフォンが一般市民に普及した現在では、様々な広告が流れ、その広告は見る人の経済的地位を自覚させ、満たされない欲望を刺激する。
また、SNSに投稿された他国の生活を見たことで、自分たちの生活からは程遠い、裕福な生活があることを知ってしまった。
「知る」ことで、
「会いもしない他人と比較する」ことで、
ブータン国民は不幸になった。
それまで自分の周りにあるものだけで十分満足していたのに。
井の中の蛙は、大海を知ったところで
海水では生きられないのに。。
上記のブータンの幸福度急落の実例が分かりやすいが、
Twitter、Instagram、facebook、TikTok、、
様々なSNSが蔓延る現代、自分自身の“幸せ”を感じることが難しくなっているように思う。
インスタントな“幸せ”は他人に見せびらかすものとなり、
最近のSNSは、見せびらかすことそのものに幸せを見出しているんじゃないかと思うことさえある。
『足るを知る』
大人でさえ難しいのに、子どもに理解させられるだろうか。
「幸せとは何か」をちゃんと伝えられるだろうか。
SNSでは事件も多い。
子どもがそのようなSNSのキラキラした世界を自分も体験してみたいと思うのは至極当然なこと。
そこに付け込んだ悪い大人が甘い声を掛け、子どもが事件に巻き込まれるということも実際に起こっている。
また、今のいじめは大人の目が届きづらいLINEやSNSがメインだと聞く。
それによる子どもの自殺も少なくない。
私が子どもだった時とは、時代が変わり過ぎている。
そんなのみんな同じ条件だ、と言われればそれはそうなのだけど。
『学校裏BBS(掲示板)』しかなかった自分の学生時代ですら、
誰が書いたか分からない書き込みが陰湿だったのに。
自分の子どもを守りきれる自信がない、すごく怖い。
こんな時代に産んだらかわいそう?⇒幸福度はその本人がどう思うか
以前、妊活をしている友人に「なんで子どもを産みたくないの?」と聞かれたことがある。
理由は上に挙げた通りなのだが、それを伝えると
親が子どもの幸せを決めつけるのはいかがなものか。それは本人が決めること。
親が子どもを幸せにしてあげないと、という発想自体がおこがましい。
と、ほとんど説教に近いような反論をもらった。
ほんとだ。確かにそうだな、と思った。
私の持論だと、戦時下など大変な時世に生まれた子どもたちは全員不幸で可哀想ということになってしまう。
私は断じて、そういう風に思っているわけではない。
が、
戦時下に子どもを産んだ“親”に自分がなりたいかというと、
話は別。私は嫌だ。
考えた結果、つまり、私は、
私自身が満足のいく子育てがしたいだけだった。
もちろん、その前提にあるのは子ども本人の幸せを願ってのことなのだけど。
結論、私のわがままだった。
私は、『”納得のいく子育て”が出来る親(自分)の幸せ』の道程が難しいと判断して、
無理に子どもを作らなくてもいいや、という結論に至ったんだと自己分析した。
急に物凄く壮大な話をするけれど、
人類は有史以来、子孫を残すことを止めなかったおかげで、様々な困難を乗り越えられてきた。
たまに、政治家が「女性は子を産む機械」「子供を産まない選択は身勝手」などと発言して炎上している。
それを擁護するわけでは決してないけど、
生物は子孫を残さないと滅びる。国は衰退していく。
つまり、「産まなくていいや」と私が考えていることは
「自分だけが苦難から逃げる」という裏切り行為にも近いこと。
自分の損得勘定で、楽な人生を選んでいる。
私がもし人間じゃなくて、昆虫の世界に生きていたとしたら
”生きる価値なし。せめて殖やす個体の栄養となれ”と多分そっこーで食い殺されている。
「人間はなんのために生きているのか」
人によって様々な答えがあるだろうが、
生物学的に考えると人間に限らず、この世の動植物すべてが
「子孫を残すために生まれている」。
言わずもがな私の場合、パートナーがいないので
「産まない」のではなく、
現状、「産めない」のだけど。。
私は人類を裏切った結果、
「絶対に子どもを産まなくては」という
出産ミッションを自ら辞退しかけているので、
結婚に焦る必要もなく、
そもそも結婚する理由も曖昧になった。
以前、母親になりたいと思う気持ちは人一倍強かった
私は、特別裕福な家庭で育ったわけではないが、
中高一貫の私立に入れてもらい、親は、私がやってみたいと言ったこと以上のことを経験させてくれる、とても”エンジェル係数”が高い家庭だった。
人並みに反抗期も迎えたし、グレかけた瞬間もあったけど、
「あなたがどんな道を進もうとも、私はあなたの親。ないと思うけど、万が一この先どんな罪を犯したとしても私はあなたの味方をする。」
中学生の時、涙ぐんだ目で真っ直ぐに目を見ながら言われたこの言葉は、この年になっても心に残っているし、私のひたすらに根拠のない自己肯定感の高さはここに起因し、それは親から貰った最高のプレゼントだと思っている。
思春期の多感な時期にいた自分でさえ自覚するくらい、私は親から一身に愛情を受けて育ってきた。
そして、それを、
親にしてもらってきたことを自分の子に受け継いでいくのが、親孝行の最たるものだと思っていた。
これが、私が子どもを産んで母親になりたかった、上位にランクインする理由だと思う。
しかし、私は、我が強すぎるせいか、拘りが強いせいか、一向に"親孝行"が出来なかった。
そんな未婚をいつまでも貫く私に対して、今に至るまで、親が結婚やパートナーについて自ら聞いてきたことは1度もない。
元々、恋愛事情については一切話さない親子関係だったが、
適齢期の娘を持つ親としては、間違いなく口に出さないだけで気にはなるだろうなと、
ある時、勇気を出して私の方から
「マッチングアプリやってるよ」「この前こういう人と会ったよ」という報告をした。
そして、
「後々、あの時やっておけばと後悔したくないから婚活をしてるけど、本当は自分が結婚をしたいのか分からない。結婚しないかもしれない。仮に結婚しても子どもを産む気は今は全くない。楽しみにしてたらごめんね」と正直に伝えた。
これまで結婚観どころか、彼氏の話も碌にしてこなかった娘の現状報告に親がどんな反応をするかと思ったが
「いいんじゃない。親としてはあなたがどんな人と結婚するかは見てみたい気もしたけど。いま孫が増えても一緒にお出かけしたり可愛がれる年齢の頃には私ヨボヨボだし、孫より今こうして娘が遊んでくれる方が私は助かる。」
と、こちらが拍子抜けするくらいあっさりした回答だった。
しかし、
いつも口下手で説明下手な母親の口から、スラスラとすぐにこんな回答が出てきたのは物凄く不自然だった。
何度も頭の中で考えていたことなのかもしれない。
誰かに相談していたのかもしれない。
本心は、多分確実におそらく絶対心配している。
でも、
「いいんじゃない」と即答してくれた一言に、私はだいぶ肩の荷が下りた。。
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