あの時Canal4℃をクリスマスプレゼントに貰って晒して炎上した女です。
※2022年12月にブログに載せたのをそのまま引っ越しました。
2020年12月。
30歳のクリスマス間際、
オルゴールの箱に入ったCanal4℃のハートのネックレスを友人からクリスマスのプレゼントとして貰い、Twitterに写真を上げて盛大に炎上した、あの時の女です。
もう2年も前になりますが、私の現状は当ブログのタイトル通り。
コノザマです。
あの時『一生幸せにならないようにキリストに祈っとくわ』等々、
様々いただきました私への皆さまのお気持ちが天に届いているようです。ハレルヤ~。
クリスマスプレゼントで友人からCanal4℃のハートのネックレスを貰って晒して炎上しました。
なんだそれ、という方のために…
事の経緯については当時に書いたコチラ↓の前半にまとめています。
まずもって、前提として弁明しておきたいのが、
クリスマスプレゼントとして、Canal4℃というブランド自体が悪いわけでは決してなく、
「私が30歳という年齢であり、さらに、”可愛い”に全振りしたハートのネックレスをつけるようなタイプの女では絶対にないことが相手にも明確」だったこと。
そもそも「”飲み友達”の関係性の相手から貰ったプレゼントがネックレス」だったこと。
批判も承知の上で書きますが、
今でも正直、たかが
『性格の悪い独身女が友人から貰ったプレゼントをSNSに上げて、不満を匂わせた』だけの
特にいつもの私と変わらない日常ツイートの1つだったと思っています。
しかし、何故かこのツイートだけ狂ったように燃えに燃え、
ツイートのリプ欄や引用RT先では、私に親でも殺されたんかと思うほど、
数えきれないいくつもの罵声・呪言・暴言シャワーを浴びせられました。
炎上=人の悪意が束となり収拾がつかなくなること
誹謗中傷についてはほとんど眺めるだけで放置していたけど
「彼氏からこのブランドのプレゼントを貰って喜んでたのに、悲しい、彼氏との思い出までこの女に汚された」といったような学生のツイートがいくつか目に入って、
それは申し訳ない、と
「年齢も立場も何もかもが私とは違うので、~中略~、悲しい思いをさせてしまったなら本当にごめんなさい」
と一つ一つ言葉を考えながら時間をかけてリプライをつけたら
「きも」
という2文字のみ
「傷ついた」と言っていたその本人から返ってきたのは、正直精神的にキた。
個 対 大勢の形が出来上がってからの、
人を人として見ず、
個人が1つの“コンテンツ”として見なされてからの、
何を言ってもいい、といったような攻撃が正当化される空気の流れが怖かった。
コンテンツ化され、吊し上げられた後は、
弁明がまるで追い付かない速さで、
私を完全無視して繰り広げられていく
「この時の筆者の気持ちを考えてみた」の伝言ゲーム。
あることないこと。
私という人物設定は、プレイヤーによって様々に形を変えられていき、
39歳だと言われていたり、
彼氏から貰ったことにされていたり、
○千円のCanal4℃が、3~5万円の4℃の品として話されていたり、
炎上商法やら、
私が情報開示請求に動き出しているやら、
気に食わない人を片っ端からブロックしていっているやら、
何やら何やら。。
この状態を“炎上”だと最初に言った人の言語化能力はすごいと思った。
まさに、炎。
火消しをしようと近づくと怪我をするし、もう大きすぎて1人じゃどうしようもできない。
茫然と眺めるのみ。
そして、その誹謗中傷は私だけではなく、私を擁護するリプライやツイートをしてくれる方に対しても同様の熱量でぶつけられていた。
それでも私の“Canal4℃炎上“の記憶が嫌なものではない理由
さて、
つらつらと当時の恨み節を書き綴りましたが、
いつも通り情けない私の自己分析を晒すと、
私はあまり、というかとても、記憶力が良い方ではありません。
特に、嫌なことはすぐに忘れる性格で、都合の良いことだけ掻い摘んで記憶していくおめでたい脳みその構造をしています。
そのため、こんなに愚痴を書きなぐりましたが、
実はこのCanal4℃の炎上について、
『嫌な思い出』として記憶していません。
先ほど、自分のnoteを読み返して『えー!大変だったなー!』とめちゃくちゃ第三者目線の感想が出たレベル。
そして、読み返してちょっとだけ戻った記憶を元に思い出したことを上記これまで長々と愚痴りました。失礼しました。
私は確かにあの時、見ず知らずの人から
とにかく、もの凄い数の誹謗中傷・脅迫の言葉を投げつけられていました。
それによって体に異変が出るまでにもなった。
でも、それと同じくらい、むしろそれ以上に
あの時、私は
見ず知らずの人から
たくさんの善意を受けていました。
Twitter(SNS)は『共感』されたい人たちの集まりだった
あの時、興味深かったのが、
批判8割、擁護2割に見えたリプ欄や引用RTの反応が
DMでは綺麗に逆の比率になっていたこと。
つまり、
ほとんどの悪意は誰もが見える場でぶつけられ、
ほとんどの善意は人目のつかない隠れた場所でそっと渡されました。
落ち着いて、後から考えると
リプライや引用RTで悪意をぶつけてきた人も、私個人に本気で怒っているわけではなく、
私という“コンテンツ化した絶対悪”を利用して、自分の正しさ、まともさを自分のフォロワーなど周囲に知らしめることで悦に入っている人が多いのだと。
やり方や形は違いますが、私と同じく、
周囲に『共感』して欲しいが故の行動なのかもと。
皆、誰かに共感する・されるためにSNSをやっているんだろうな、と感じました。
一方、あの時、3日間で500通以上いただいたDMには、
批判や誹謗中傷、脅迫のメッセージ、これを送る為に作ったような捨て垢からのものや、既にブロックされていて反論もさせてくれない悪意の塊のものも確かに届いてはいたものの、圧倒的に多かったのは擁護や共感、応援のメッセージでした。
顔も出していない、文字だけの、身元も知らないし、どこの誰だか分からない相手に対して、
その人にしか見えない場所を使って、純度100%の善意に溢れた温かいメッセージ。
看護師として働いているという方からの、スマホ画面いっぱいになるほど長文の食欲が出ないときの対処法。
「ささやかですが暖かいものでも飲んでください」とスタバのドリンクフードチケット。
「甘いものはお好きですか?」とコンビニスイーツの引換券。
住所特定を心配した方からの、身を守るための具体的なアドバイス。
ヒーリング効果、安眠効果のあるYouTubeのURLがたくさん載ったリスト。
「お姉さん、元気出して!」と私よりだいぶ年下であろう学生さんからのAmazonギフト券。
見ず知らずの他人に見返りを求めず善意を差し出せる人の多さへの驚き
恥ずかしながら、それまで私にとってのTwitterは、愚痴を垂れ流して、特に誰と絡むわけでもなく、たまにTLに流れてくるクスッと笑えたり共感したりするツイートにいいねを押すだけのツールだった。
暇なとき、リアルでは言えないけどモヤモヤして誰かに言いたいとき、感情を言語化してスッキリする場所。
『見ず知らずの他人に、こんなにも愛を持って温かく接することが出来る人が居る』
どのツイートをしたやつがどの立場から言ってんだよとは我ながら思うけど、
こんなに優しい人たちが、こんなに沢山、それまで殺伐としていると思って利用していたTwitter、ネットの世界にいるんだ、とひたすらに感動した。
本当に、色んな人を巻き込んでおいて「どの口が」だし
リアルの知り合いには絶対に明かしたくない話だけど
私の人生の中でも、上位にくるくらい貴重で素晴らしい気付きを得る経験をさせてもらったと心の底から思う。
そして、あの時から私も
善意と好意はどんどん相手に伝えていこうと
行動するように変わりました。
本当に、あの時
温かいDMを下さった方々、ありがとうございました。
Canal4℃をくれた友人とのその後
当該の友人ですが、今年素敵な女性と結婚しており、もうすぐパパになります。
奥さんも紹介してくれて、今でも友人関係は無事に続いています。
特に今までも、この話をお互いに話題に出したことは無いけれど、件の「プレゼント」の話を友人とすることは今後一切無いでしょう。
人(特に私)は忘れていってしまう生き物とは言いますが、
改めて、あの時自分がどう感じたのか、自分の身に何が起きたのか、
久しぶりに自分で書いた当時のnoteを読んで「えぇ~たいへん~」と他人事のように思うことが多かった。
実際に体験している自分自身でさえ、その当時の辛さがなんとなくしか思い出せずに感じられないのだから
自分が体験していない他人の悩みや痛みを共有することなんて、ほぼ不可能だな、とも思った。
だからこそ、せめて『共感』を求めて人はSNSをするのかも。。
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