声が残った世界
もう、いつの頃か思い出せないのだが、数年前に家族とディズニーランドに行ったときの話だ。
いわゆるディズニー好きという訳でなく、幼少の頃に何本かのアニメ映画を観ていたが、あくまで家族との付き合いで行った程度のものだ。因みに好きなアトラクションは、イッツ・ア・スモールワールドである。圧倒的物量の人形による「小さな世界」の合唱は否でも応でも揺さぶられるものがあり、子どもの頃は子供騙しと鼻白んでいたが、いまでは好きなアトラクションである。
家族とは何度かディズニーランドに行ったことがあるが、最後の締めにとウエスタンリバー鉄道に乗ることが多い。なぜ締めにウエスタンリバー鉄道乗るのか、いままで考えたこともなかったが、待ち時間も少なく疲れないアトラクションなのが選ばれる理由かもしれない。
ウエスタンリバー鉄道についての説明は省くが、この汽車が走っている間は車両からナレーションが流れる。車掌が乗客に語りかけるという体裁だ。
このアトラクションのナレーションを担当しているのが、俳優の青野武。声優としても数多くの作品に出ていた方だ。別に詳しくない人でも声を聴けば知っている人も多いと思う。
だから何気なく、ウエスタンリバー鉄道に乗っていたら、青野武のナレーションが流れたので本当に驚いた。彼の声を聞くには、過去に作られた映画の吹替えやアニメを観ることがない限り、もう聞くことはないからだ。
役者冥利に尽きるとはこのことだろう。人は死んだ後、忘れ去られる。歴史上偉大な人物であろうと、その人がいた痕跡はなくなり、その人の関係者も死ねば記録しか残らない。芸事で生きる人間、例えば作家や映画監督でも何でもいいが、よく偉大な作品は古典となり歴史に残り続けるなんて言葉があるが、そんなものは当てにならない。歴史に残った人物の作品は一体どれほど人間が楽しむのだろう。教養などという言葉で消費されるか再解釈され現在の作品に引用される程度のものでしかない
死んだ後も、声の演技が生き残っている。しかも過去のアーカイブではなく、いまこの瞬間を楽しんでいる者たちに語り掛けてくる。何だか素晴らしいことのように思えてきて汽車に乗りながら、そんな感慨に耽った。