教え教わり
とても丁寧に説明してくれて、分かりやすいんだよね。
同僚が上司のことを褒めていた。
でも私は、説明が長すぎる上司という認識しかなかった。
長すぎて、集中できない。
同僚は、言葉の認知力が高いのだろう。
今まで、いろんな場所で、いろんな人から、いろんなことを教わってきた。
最近では、教わる時に、教える人のことを考える時もあったりする。
言葉にするのが上手だな。
あまり話さないけれど、とても器用だな。
知識はあるけれど、相手のことを考えるのが苦手なのかもしれない。
ということもよくある。
相手が分かっていないことをスルーし、自分の知識だけを教える。
そんな教え方の人もいるわけで。
自分が教える側になると、自分の知識不足も感じるし、相手の得意なことや苦手なことも、チェックしているかもしれない。
説明が上手というのは、相手の今のレベルに合わせられたり、相手の気持ちを考えるのが上手なのかも。
言葉で伝えるのが得意な人が、言葉で感じるのが得意な人に教えれば、最高の組み合わせなのだろう。
でも、動きや映像がないと、短時間で理解できない人もいるのだ。
私は、言葉で伝えられても、すぐに把握することが出来ない、スローなタイプなので、メモを取る時間を作ってもらい、まとめなければ、理解することが難しい。
でも、それを知れて良かったと思っている。
思えるようになった。
もし私と同じタイプの人を教えることになれば、メモを取る時間を作ってあげたり、ある程度の資料を作成して渡すかもしれない。
それが、私に合った、短時間で身に付けられる方法だと、思っているから。
でも、そうではない方法を知ることも大切。
その方が、いろんな人に対応出来るようになる気がする。
だから、何かを学ぶ時には、教える側教えられる側の、得意不得意を考えながら、自分が教える方法も考えたい。
そして、教わる側としても、能力を身に付ける方法を身に付けたい。
といっても、今の私は、教える側の人の分析なんかできないくらい、必死に学んでいるのだ。
それっくらい、勉強に集中するのは、なかなか気持ちのいいものだと、改めて思っているのです。