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障害が苦しいんじゃない、障害を見る周りの目が苦しいんだ!
障害がぼくを苦しめているんじゃない、障害を見る周りの目がぼくを苦しめているんだ!
これはぼくがまだ学生だった頃のお話です。
障害とともに生きてきたぼくにとって、大きな発見をした瞬間でした。
というのも、障害があるからといって不幸にはなってないからです。
例えばぼくには左手がありません。だから靴紐を結ぶことが難しいです。
でも、難しいだけであって、不可能ではありません。
また、自動車の運転について聞かれることがあります。
どうやって運転するの?
危なくないの?
運転できるの?
しかしなんなく運転することができますし、今ではゴールド免許を取得しています。
このように、障害は日常生活において不便になることはあっても、不幸になっていることはありません。
ではなぜ、世間一般の人から見て障害者はかわいそうに見えるのかというと、みんなにとって当たり前に備わっている機能(手や足、知能など)が当たり前に備わっていないからだと思います。
そして今回のタイトル、『障害が苦しいんじゃない、障害を見る周りの目が苦しいんだ!』と思った理由は、その当たり前がないことに対する視線が苦しく感じる時があるからです。
先ほども言ったように、障害は不便だけど不幸ではありません。
でも、普通の人からしたら普通じゃないぼくたち障害者はかわいそうに見えてしまっています。
昔こんなできごとがありました。
とあるマラソン大会に参加したら、「あの人、障害があるのにすごいね!」って声が聞こえてきたんです。
素直に喜べばいいものの、なぜか心に引っかかり気持ちよく受け止めきれなかった言葉でした。
その引っかかりは、「障害者はかわいそうに見えてしまうのか……」という残念な気持ちが心にあったからだと思います。
当時はみんなと同じことをしているだけなのに、「障害者なのにすごい!」というニュアンスの言葉には少しばかり抵抗がありました。
障害者はいつまで経ってもかわいそうな存在でいるしかないんだ……
そう思わざるを得なかったのです。
だからこそ当時は強く思っていました。
『障害が苦しいんじゃない、障害を見る周りの目が苦しいんだ!』と。
しかしこれはあくまで学生の頃のお話。
実は今現在は、またちがった考え方を持てるようになったのです!
続く……!