『汚い言葉』が持つ力
ここ2年ほど粗っぽい、汚い言葉を好んで使うようになってきている。意思に反して出る、という状況ではないので『汚言症』レベルではまったくない。
もともと私は中流出身の小心者だ。ティーンエイジャーという若さのボーナスタイムを主に喪女板にかじりついて棒に振るくらいには本来的に地味だ。狂母から上下関係を徹底的に叩き込まれた結果、過剰なくらいに言葉遣いを気をつけるようにし、まどろっこしい言い回しを使う癖が染みついている。舌をもつれさせながらも『大人の対応ごっこ』をするときはなおさらだ。
大人構文に沿った言い回しをしようとすると、どうしても一文が長くなる。長くなればなるほど相手に与えるインパクトは薄まってしまう。その点、レトリックを取り払った言葉の力は短く、そして強い。過剰包装を取っ払って生身の刀剣そのものを見せるのだからパンチは重い。
(※太宰治が川端康成に送った『刺す』は最高だ。汚い言葉は短ければ短いほど良い。)
ここ数年、私は私を支配してきた人々と対峙してきた。そのときに『汚い言葉』が支配してくる人々に対して非常に効果的だと知ってしまったのだ。支配傾向の強い人間は実はとても臆病者だ。ターゲットに対し『口のきき方』をたたき込み、牙を抜いて弱体化していく。そうすれば長期間、もしくは永続的にターゲットを支配できるから。だからこそターゲットが『汚い言葉』で支配者に対して応酬したとき彼らはひるむ。無力化したと思って楽しく殴り続けてきたサンドバッグから殴り返されるのだ。想定の範囲外だろう。
私は弱い。社会的立場も含めいろいろな意味で非常に弱い。ZORNさんの『強がりは弱いからが理由』(Love Yourself)は真実だ。けれども、弱いままでは食い散らかされる。弱者が立ち上がるにはどうしても強がりは必要だ。40年近くうなだれてきた。地面を見るのは正直飽きてきている。かといって上を向き続けても首が痛い。ただ前を向いていけるよう、そう願っている。
※定期的に『アウトレイジ』を摂取しようと思います、コノヤロウ!!!😊✨