『人間』(まとも)になりたい!!!!
十代から『人間になりたい!!』と冗談めかして己の社会不適合者っぷりを笑い飛ばしてきたが、20年以上たって相も変わらず『人間になりたい!!』と叫んでいる。精神障害の手帳をいただき公的な支援を受けつつも、『いつかは返納してそっち側に行きたい…!』と涙をこぼさないように目を見開いて健常者の世界を見ている。精神疾患との付き合いは約20年ほどになり、相当に回復してきている感覚もある。手帳の返納自体ももう近いだろう。けれども、『まとも』側に回れる気は全くしない。己が決定的な欠陥を抱えている事実から目をそらして『まとも』ごっこをしても、その先に待ち受けているのは地獄の再生産なのだ。私は『まとも』を創作物や本から何となく窺い知ろうともがいてきたが、そんなのハリボテだ。『本当』を身をもって知らない限り再現はできないのだ。
最近、父を問い詰める中で『嘘くせぇんだよ!お前の何もかも!!!!』と罵倒したが、己も父が踏んでしまったぬかるみにハマってしまっている。『まともな家庭』が未だに分からない。数々のホームドラマで描かれる世界を見て胸の奥がふわっと温まることはある。自分もそのような世界に行きたい、と真似するができあがる世界はいびつだ。『まともな家族』が純度100パーセントの金でできているとしたら、私が真似して作るそれは薄っぺらい金箔をはりつけた糞なのだろう。
私はおそらく幼少期から今に至るまで『愛』を知らずに来てしまっている。要はバケモノだ。バケモノはバケモノらしく孤独に暮らしていくべきなのかもしれなかったが、欲張って子をなした。我欲の塊だ。生存戦略上しかたないにせよ、それでも子は己を必要としてくれている。親なんかよりもはるかに無償の愛を見せてくれる子に対し、己ができることがさっぱり分からず途方に暮れている。『もしかしたら…』と一縷の望みをかけて結婚した相手とは最終的に互いを罵倒しあって袂を決した。できることなら、また本の世界に逃げ帰りたい。文字は決して殴りかかってこない。相手の反応なぞ気にしなくていい。本は怖くない。でも、どんなことだって練習しないことには上達しない。『人間』に対する憧憬は死ぬまで持ち続けるだろうが、バケモノなりにあがき続けるだろう。子に対しては『かーちゃんバケモノでごめん!!💦💦💦』としか言いようはないが、バケモノなりに子の恩に報いたい、とは思っている。
人間になりたぁい!