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聞こえない親を持つ、聞こえる子ども「コーダ」


1.コーダについて

①コーダとは?

聞こえない、または聞こえにくい親を持つ子どもたちは、コーダ(CODAChildren Of Deaf Adults)と呼ばれています。聞こえる世界と聞こえない世界を行き来しながら、時には聞こえる世界でのカルチャーショック、プレッシャーや不安を感じながら生活しています。

家庭内では、主に手話や口話でコミュニケーションをとっています。目で情報を得ているので、相手の顔をじっと見つめる傾向があったり、普段、手話やジェスチャーを使うことから、手や指の動きが多いという特徴があります。また、親を呼ぶ際に、肩をポンポンと叩いたり、手を振るという習慣があることから、聞こえる人に同じようにふるまい、驚かれたという経験をした人もいます。

また、家では手話言語を多く使うことから、言葉の発達に遅れが生じる場合もあります。この場合は成長につれ、環境が変化し、解消されていくことも多く、言葉の遅れそのものにフォーカスするだけでなく、環境的な要因の理解をしていくことが大切です。

② 彼らをヤングケアラーにしないために

聞こえない親とコーダの子どもたちにかかわる際に、周囲が気を付けておかなければならないことの一つが、親とコミュニケーションをとるときに、子どもに通訳を頼まないということです。

子どもは、本来は大人が担うべき、親の世話をすることにより、学校生活、友人関係、精神的な成長に大きな影響がでたり、必要以上の負担や責任を負うことになってしまいます。彼らに負担をかけないための配慮がとても重要なのです。

1.コーダを理解するための映画と本

コーダとして育った人たちの思いや家族との関係を知ることができる、映画と本を紹介します。映画「コーダ愛の歌」は2022年のアカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門を受賞したことも、まだ記憶に新しいところです。

五十嵐大さん著の「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」はコーダである五十嵐さんが母への深い愛を感じながらも、障がいを持つ母への偏見や差別を家族として目の当たりにし、傷つきながら、心揺れ、苦しみ悩んでいく過程が五十嵐さんの成長、人生とともに描かれています。

どちらもコーダとして生きる主人公をとりまく家族関係、差別、家族の元を巣立つ葛藤などが描かれていて、コーダとして生まれた彼らの置かれた環境、複雑な思いを知るきっかけになります。

①コーダ愛の歌

自然あふれる、海の街でくらす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で、自分だけ聞こえることから、幼いころから通訳をし、家業の漁業を手伝う生活を送ってきました。合唱部で顧問の先生に歌の才能を見出され、都会の音楽大学の受験をすすめられるのですが、家族に大反対されてしまいます。しかし、家族はその後、それぞれの夢に向かって歩みだすことになります。

この映画のすばらしさの一つは、両親と兄を障害のある俳優が演じていることです。監督のシアン・ヘダーは聴覚に障がいのある演劇コミュニティーに注目し、その才能を発掘したといわれています。

障がいをもちながら、テレビや映画というメディア、地域のシアターで手話劇団に入り活躍している俳優さんの存在は、多様性を受け入れ、誰もが活躍できる土壌がアメリカ社会にまさに存在しているという一つの例として、あらためて考えさせられます。

② ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと 


幻冬舎HPより

作者:五十嵐大

聴覚障がいの両親を持つぼくは、幼いころから、中途失聴者の父以上に、母のことを守らなければと想い、母が大好きであるゆえに、自分が彼女の“耳”の代わりになるのは当然だと考えるようになります。

小学3年生の時、友人から「母ちゃん、しゃべり方おかしくない?」と言われ、笑われてしまいます。その後、授業参観に母に来てほしくなくて、お知らせのプリントを破り捨ててしまうのですが、後からそのことを知った母は瞳を潤ませ、「わかった」とだけうなずいたのでした。

その後も手話をばかにされたり、「障害者の子どもだから」と差別的な目指しを向けられたり、自分がいじめにあっていることを家族に言えなかったり、と試練は続きます。

大学進学を経済的な事情であきらめざるを得なくなり、役者をめざすことにしたぼくは、障害ゆえに差別されてきた母、その息子であることで見下してきた人を見返してやるために成功することが必要だと感じます。しかし、その夢はかないませんでした。

近所の人たちの目が気になり、追い詰められたぼくは、誰も知らない場所に逃げたいと、上京を決めます。

ある日、バイト先で聞こえないお客さんのプレゼント探しを手伝い、人の助けになり、感謝されたことをきっかけに、もっと手話を勉強したいという気持ちが生まれます。さらに、友人から誘われた手話サークルで、生まれつき障がいを持つメンバーから、自分自身がコーダだと気づかされたのでした。

故郷の東北で東日本大震災が発生、その2年後には父がくも膜下出血で倒れたという出来事を通じ、ぼくは父の死を考え、それと同時に母の面倒を見なくてはという、目を背けてきた問題に向き合うことになりました。

さらに、父の入院中、祖母から父母が結婚を周囲に反対され、駆け落ちしたこと、当初、子どもを作らないことが条件だったが、母の強い思いから、ひとりだけと許されたことを聞き、母がどれだけ自分を大切に思っていてくれたのかを思い知ることになります。

この本には、旧優生保護法の被害者となった人たちについても書かれています。ろう者である夫婦が、旧優生保護法による、不妊手術を強制されたニュースをある日、ぼくは目にします。その法律の1条には「不良な子孫の出生を防止する」と記されていました。

この時、ぼくは自分自身が生きていることがまるで奇跡のように思え、同時に父母は人として生きる権利を奪われているのと同じなのだと感じます。そして、子どもを産むことは母にとって一つの戦いだったのではないかと思いいたるのです。

母の強さを知り、ぼくは母を守ってあげる存在としてでなく、共に生きていくのだいう認識を強くします。悩み苦しんだ末に、母の真実の姿を知り、変わっていく作者の心の変遷に、非常に心を動かされました。

コーダのように、障がいのある親のもとで育つ子どもたちは、やはり色々な葛藤を持ちながら、日々を生きています。障がいの特徴は様々ですから、悩みも異なっていると思います。差別的な見方や言動で彼らを傷つけたり、反対に過剰な親切心で彼らを戸惑わせてしまわないために、私たち自身がどのように、そばにいるのがよいのか、あらためて考えるきっかけを、この本に与えてもらった気がします。

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