東京世田谷のオルタナティブスクール HILLOCK初等部を見学
東京世田谷にあるオルタナティブスクールの見学にやっと行けまして。
ずっと行きたいと思っていたのだけれど、忙しさを言い訳にどんどん後回しに。
転機は、今年の夏。
同じ小学校に一緒に勤務していた講師仲間と白熱した教育トークに。
児童たちの現状、職員室のあれこれ(笑)などから、オルタナティブスクールの話に。
「話や対談では聞くけれど、実際どんなスクールなんだろう」
「実際の子どもたちの様子が見たいよね」
昨今、教育界で語られる学校の良し悪しはさておいて、
公教育の枠を出た、新しい学校の選択肢と言われる学校の実際を見に行ってみよう!という話になったのだった。
東京都世田谷区、用賀駅。
近隣には、自然豊かな砧公園や世田谷美術館、大手企業の入ったビルがある。
駅を出て歩いていくとすぐに閑静な住宅街に入る。洗練された住宅が並ぶ。
砧公園のすぐ手前にある3階建ビルの一室、そこが今回見学させてもらったHILLOCKの学舎だった。
まとめようと思ったけど、どれも詳細に書きたいので、とても長文です。
\ 目次から、読みたい部分に飛んで読んでみてください!/
1. 子どもたちの様子
午前9時半。サークルタイム(朝の会のようなもの)が終わり、
それぞれ自由進度学習が始まっていた。
実際に見てみて驚いたのは、学びに向かう自由な雰囲気。
床に置かれた大きな机向かっている子。
カウンターに向かって椅子に腰掛けている子。
友達と話しながら何かをタブレットに打ち込んでいる子。
ソファーに友達とギュウギュウになりながら座ってタブレットを操作している子。
床に寝そべりながらタブレットに向き合っている子。
例外なく一人一台タブレットを持ち、
それぞれが好きな場所で自分の楽な姿勢で
今日の自分の「まなびのめあて」を考えながら打ち込んでいた。
その時間、自由だけれどふざけたり遊び回ったりするような姿はない。
とても静かで、穏やかな雰囲気だった。
子どもたちは、何をやるかを分かっていて、
おもしろいのは、相談しあう仲良しそうな二人組のめあてを覗いてみると、
それぞれに全く違うめあてを書いていた。
(例:一人は「漢字を15個覚える」、もう一方は「繰り下がりの問題を30問解く」)
同じ目当てでお揃いにしているのかしら、という予想が簡単に裏切られた〜!
シェルパは低学年に一人、中学年に一人、高学年に一人。
担任教員のような存在で、9時の登校から14時半まで(高学年は15時近くの日も)ずっと一緒に過ごす。
12人の子どもに対して一人のシェルパが配置されているが、
世田谷校では、現状10人に1人いるような状態だった。(とてもきめ細やかに目を配れそう!)
2. 自由進度学習とシェルパの関わり
この自由進度学習の肝は、めあてと振り返りにありそう。
めあては、何をどのくらいやるのか自分で決められる。
うん、俄然やる気が出そう!ただ、そうなると、児童によっては簡単に達成できてしまうめあてを立ててしまいそうではないか?と考えるなっつん。
そこでさらに重要になると思ったのが、シェルパ(教員のような存在)による価値づけ。めあてに、100%達成できることを掲げた場合、それではあまり学びがないと伝えているそうだ。むしろ「達成できなかった」「あと少しで達成できた」くらいの達成率の方が、次への問いを生んで成長につながっていく。自分の成長にとってこの目当ては適切かという視点を提供し続けているというのだ。
実際、このめあてを立てる時間にも、シェルパから
「このめあてでいく?ただ、それだと xxxx なんだよなぁ。」
と、一人一人に対して声掛けがなされていた。
指摘を受けた子どもは、ああそうかと、渋ることなく訂正作業に入った。
3. 国語は「思考と言葉」、算数は「数と論理」
理科や社会、情報リテラシーは「テーマ学習」で扱う。
教科が細かく分かれているわけではないけれど、
小学校の教科の学びは履修できるようになっている。
低学年、中学年、高学年に分かれ、集団で行われる。
各シェルパが、電子黒板やパソコンの側に立ち、子どもがそれを囲むように座り、教材について学びを分かち合っている。
見学時にやっていたのは、説明文や物語(ごんぎつね)。
文中の表現について、自分の解釈を具体的に絵で可視化してみたり、
低学年は体で表してみたり。
みんなタブレットに向かっていて、ICTばかり?と思ったけど、「ワイルド」を理念の一つに掲げているように、自然の中で学べることにも価値を置いている。
目と鼻の先にある砧公園にいってどんぐりを大量に集め、その経験とさらに数を数えることで量的感覚を養ったり、季節の移ろいを肌で感じに行ったり。
(天気の許す限り、毎日公園でピクニックランチがあるのは、とっても魅力的!)
公教育とだいぶ違うなと感じたのは、
✔︎ノートはなく、一人一台タブレットにメモや考えを書き留めていること。
✔︎漢字や別でメモをしたい場合は、それぞれ好きな紙媒体にメモ(かわいいキャラノートやデザートの形をした付箋etc)
✔︎床に横になりながら勉強をしているという光景。
ここに違和感があったのは、私の同僚の先生も同じだったようだ。
付箋がノートの代わりになるのか
考えの蓄積や思考の構造化は、付箋で叶うのか
寝そべって学びに向かっていて集中しにくくないかな
この違和感はとても大事な気がする。
私自身の経験に強く紐づいていると思うけど、もっと見つめてみたいと思った。
4. 知らないことも、どんどん伝えていく
学齢や年齢を区切りにして、いつ、何を学ぶのかが決められているのが公教育。
メリットは、より多くの人に一定の学力を効率的につけさせることができ、教える側が管理しやすいということ。
HILLOCKでは、「○年生だからまだ早い」「○才だからXXXしよう」という目安はあえて意識されていないという。その学年では知らないだろうことも、どんどん伝えていくし、発言していく。
たとえば、習っていない漢字も見せ、「読めない」「分からない」を積極的に経験させている。そこで見つけた分からない漢字は、自由進度学習で調べてみる?と働きかける。
HILLOCKでは、公教育とほぼ100%同じ内容を履修(知る/分かる)できるようになっている。さらにそれ以上に、知らない知識にもどんどん触れさせる。
しかし、修得(できる/身につける/レベルアップする)にこだわらない。
子どもが自分で考えて、取り入れたいタイミングで自ら修得を選択していくことに期待している。(主に自由進度学習の時間に)
社会に出たときに、知らないことや分からないことに対して、
自分で問いを持って解決していく力をつけてほしいと願ってのことだそうだ。
5. いちばん違うと感じたのは、教師のマインド
シェルパの持っている情熱や理念が、子どもに対してとても大きな影響力を持つと感じた。
HILLOCKのテーマは、福利の拡張と、自己の成長。
自他の成長を拡大していくための場所であり、成長が共通言語。
自分を高めていく場所なのだ。
そのために、どうしたいか。何をするか。
遊びたいなら、ディズニーにでも行けばいい。ここは遊ぶところじゃない。
そんな空気を醸成させることに注力されているという。
どのシェルパも元小学校教員、元中学校教員で、教育や心理、人間の発達について興味を持っている人がほとんど。
小中学校の今は、この先の人生につながっている。自分が人としてどう成長していけるかを考えられるようになってほしいと願っているそうだ。
なんなら、学習よりも大切なものがいっぱいあるから、
そちらを培えるように苦心しているとも。
14時半ごろ子供が帰った後は、シェルパと言われる先生たちは、
今日の子どもたちの様子について語り合う。しかも毎日2時間ほど。
この子には、今日どんな学びやつまずきがあったのかを
みんなで手札を出し合って仮説を立てる。
次からの時間で、どう手を打っていくかを考えているそうだ。
シェルパにマニュアルやカリキュラムはなく、自立性高くいることが求められていると感じた。
設立から3年目の今は、まだ育成の面が強いというが、
校長によると、シェルパには子どもの変化を見取る力があるかどうかがとても大事な要素だとのこと。
6. 親に必須のマインド「トレードオフ」
公教育にあって、オルタナティブになるものの一つが、通知表やテスト。
数値化や記号での評価、教師からの所見欄。
数値化することで、わかりやすく、親に伝えることができるメリットがある。
親も、その数値や評価を見て、
「もう少し算数を頑張った方がいいんだな。家でも見守ろう。」
「体育は、難しくても一生懸命参加できていたんだな。」
などがわかりやすく見て取れる。次に活かすための、評価になる(と期待されている)。
でも、何かを選択すれば、何かを捨てていることにもなっている。
つまり「数値化」することで、失っていることもあるのだ。
それは、子どもの内面の変化。
まだ言語化されないけど、醸成されている気づきや力は数値化できない。
教科の学習での評価がわかりやすければわかりやすいほど、そういった繊細で外面化しづらい部分の成長は、まるで「あればいいよね」くらいに思えてくる。
数値に囚われすぎて、「結果が全て」に傾倒していく場面も多いと思う。
もちろん、社会に出れば結果にこだわる要請が増える。
でもね、学校にその考えを持ち込んでいるとしたら?
実際、それは荷が重すぎやしないか?
大切にじっくり育てていくべき、社会性や困難に立ち向かう力、感情のコントロール、俯瞰する力が見過ごされてしまいがちだとしたら?
また、数値化されると、教科の学習がとても重要で絶対的に教えていかねばならないことのように思えてしまう。蓑手校長も、数値化しずらい部分にこそ、人間として育んでいかなければならないものがあるとおっしゃっていた。
一番近くの大人が的確に見取って働きかけて、たくさんの時間をかけて、今の時期に培っていかなければならないと熱く語っていらしたのがとても印象的だった。
数値化は、実際わかりやすい!次にも活かしやすいのかもしれない。
一方で、難しくて複雑で丁寧に理解していくべき繊細な部分に意識がいかなくなる。
選択することで、捨てていることもある。
「Aを選ぶことでBを捨てているんだ」という意識を持って、
その上で選んでいく必要がありそうだ。
7. 学費という高いハードル
オルタナティブスクール全般に言えることだが、全てを自力で運営しているため、
学費がとても高い。年間100万円程度かかることはざら。
東京都は、申請すれば月2万円の補助が得られるようだが、
それ以外の自治体では珍しいし、月2万円だけではまだハードルは高い。
ここをどう捉えるか。
・中学受験が大きなトレンドになっている今、塾や学費にかけるお金を考えれば同じような額になる。
・大学受験でかかるお金を、前倒しして大事な時期である小学生時代にかける方が費用対効果が高い。
なるほど、確かに。そんな考え方もある。
いずれにしても、子どもは一人の人間で、
個性も発想も、人それぞれ濃淡があるわけで。
親はきっと、選択をする場面で、点検できるといい方向にいくのでは。
✔︎ わたしの叶えられなかった願いや期待を、かけすぎてない?
✔︎ この選択で、捨てていることは何?それ、親も子も、納得できている?
でも、教育とお金が絡んでくると、心が置いてけぼりになりがちだから。
少しでもより楽しく伸びやかに成長できる方を、納得して選んでいけたらいい。
8. 見学を整理してみて
やっぱり支える人たちがアツい。シェルパは知識も力もすごくお持ちなんだと感じたし、情熱の火を絶やさず持っている。だってスクールはシェルパ募集してないのに、自分で調べて問い合わせて応募してきた方々らしいのだ。
熱量って、松岡修造みたいな迫力と熱量っていうことじゃなくて、こどもと真摯に向き合われているなということ。とある保護者にもお会いできてお話を聞けたけど、たくさんたくさん悩んで考えて、周囲からの理解もあまりない中で大きな決断をされていたことがわかった。ちょっと聞くだけだったのに、鳥肌が立つほどに、言葉の重みがあった。その想いが、アツい。
それから、やっぱり、オルタナティブスクールは、経済的に余裕がないと継続して通わせることは難しい。見学してみると、建物がとんでもなくおしゃれというわけでも、設備が抜群に整っているというわけでもなかった。
実は、子どもの人数に対して、もう少し広くてもいいよなぁと感じた敷地面積。
一人一台のタブレットも、余裕のある家庭はそちらで用意してもらい、何台かは大学の研究の関係で貸与されているものだという。
スクールは、通う子どもの数が減らないように、収益も考えていかなければならない。通常の教育活動に注力しながら、利益が出続けるよう運営するのには、人も必要だしお金もかかる。国からの補助が薄い分、いつでも営業要素がつきまとう。
ここが公教育と1番の違いなのかもしれない。
校長は、親とスクールが、同じ方向を向いていけるようにするということに一番苦心しているとおっしゃっていた。そして、多くのオルタナティブスクールがその点で苦労し、道半ばで消えていっているのも事実だと。スクールがどんなに理念を唱えても、「やっぱり通知表がないと不安」「テストして数値化してほしい」「受験に対応できるところの方がいい」と思って、子を通わせなくなれば、存続の危機にもなりえる。そんなリスクを背負いながら運営されている。
そう考えると、自治体にもよるけれど、公教育は状況がかなり違う。
まず、資金がある。講師を呼んで研究できたり、不具合はすぐに修理が来てくれたり、必要な備品がちゃんとあったり、タブレットも支給してくれたり、日々の教育業務を支える職員が(少ないけど)絶えることはない。
だから、公教育は、活用のしがいがあるはず。
たとえば、もっとクラスの子どもたちの様子や学びについて話し合い、仮説を立てるなんていうことを毎日みんなでできたら最高じゃない?
これほど子どもにとって心強いことはないと思うし、教員間で知識や経験のシェアができて、スキルアップにもなる。日々の子どもたちに還元されるのだから、そばにいる教員のモチベーションも上がる。
教員間でより深くコミュニケーションが取れるから、変な誤解やミスコミュニケーションも起こりにくく、職員室不仲説もなくなる!(笑)
公立校で、自由進度学習やクラス会議を取り入れている先生も増えている。
テストや通知表の大きな存在感はあるけれど、
それを超えて大事なことを伝えようとしている先生がまだいっぱいいる。
書いてて泣きそうになってきたけど、
私は日本の公教育って、いろいろ悪いけど、最悪じゃないぞ
と思う。
インフラとして磐石だからこそ、すぐには変革が起きにくい構造になっている。
それも一長一短であって。
実は、変革起きまくって質が落ちないようなシステムになってる、とも言える。
公教育とオルタナティブ。
それぞれにメリットがあって、デメリットもある。
公教育にしても、私立にしても、オルタナティブにしても、
選択するには、他を捨てることになるということへの認識と覚悟を。
それから、大事なこと。公教育に行けず、オルタナティブに行って救われる子がいるということ。そして、公教育も、オルタナティブもどちらも選択できない子がいるということ。
この現状に対して、子どもがいる/いない関係なく、あらゆる大人が理解と働きかけをしていく必要がある。例えば、選挙でオルタナティブやフリースクールへの助成金を公約に掲げている候補者を選ぶとか、そういう話題を家族で話すことでからでも、意識は上げていけると信じたい。
親の金銭的余裕で受けられる教育が変わってしまう現状。もっと構造から変えないとといつも焦る。
親としても、教壇に立つ人間としても学びがあり、
たくさんの問いを持てた日でした。
これを読んでくださったあなたにも、なにか問いが生まれていたら、嬉しいです。
みんなが、きっと良い方に進んでいけますように。
HILLOCK初等部の皆さんと
ここまで読んでくださったあなたに、感謝を込めて。