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note感想🌟 苦しさの正体は一般論



人間関係の悩みや、仕事の悩み、容姿の悩みなど生きていると悩みは尽きないです。
嫌なことが頭から離れず疲れる、このような日々は生きづらい。

悩みを少しでも減らすには、どうしたら良いでしょうか……


千野帽子さんの著書『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書 2017)を参考に考察します。
結論はタイトルの通り「苦しさの正体は一般論」でそれを緩和することです。

苦しさの正体=一般論

一般論が、苦しさの原因。


他の様々な悩みの処方箋も同じなんだなと参考文献を読んで強く感じました。
つまり、地道で退屈で、ある程度の努力が求められることの方が正しいことが多い。
もう抵抗するのは諦めて地道に行動したほうが結果的に楽になれるのだと思います。

甘い話にまどわされず、地道な行動が、悩みを減らす結果につながります。

そんなことは、わかっているのに、なぜ、それができなくなってしまうのでしょうか?


ぞれぞれがもつ一般論、あるいは常識がある期待を持たせそれが果たされない時に苦しみを感じる。この大元の自分の一般論、常識を意識することが緩和に繋がる

一般論があるために、それが果たされない時に苦しみを感じます。

まず、一般論をどうにかしないといけません。


一般論と常識を千野帽子さんは「べき論」と読んでいます。つまり「〜するべきだ」と言う考えですね。

一般論=べき論

「〜するべきだ」という思いが、私たちを苦しめています。


この期待にそぐわないから、イライラしたり落ち込んだりするのです。

そしてここから人間の癖として「実存的な問い」に発展すると言います。

「実存的な問い」とは、「なぜ他でもない私にこの苦悩が降りかかるのか」さらには「何のために苦悩しているのか」と言う問いです。

「〜するべきだ」という思いが果たされないと、哲学的な深い悩みになってしまいます。

何のために苦しんでいるのか…

答えを探しはじめます。


ここで答えとして自責、他責の因果関係が出てきます。自責だと「できない私が悪い」ですね。他責だと「仕事ばかりの夫が悪い」ですね。
どちらにしても、ここが不健全なところになります。なぜかと言うと、こう言うふうに主観的に結論づけて納得すると苦悩が和らぐみたいなんです。

ここで麻薬のような因果関係が生まれます。

自責や他責。

「〜だから悪い」と主観的に結論づけて納得します。

主観的だから、必ずしも本当にそうだというわけではないのです。

そうやって、答えを見つけることで悩みが和らぎます。

でも、それは解決にはなりません。


でも実際は、制御できるのです。その方法は、just do it(すぐ行動する)と言う
1番努力の必要なものになります。でも結果的に心が楽になるのです.

一番の解決は、行動すること。

麻薬のような因果関係で答えを見つけたつもりになっていないで、行動することが悩みを本当に解決することにつながります。


べき論の究極系が「他者は私の思う通りに行動するべき」です。突き詰めればこうなります。
因果関係の麻薬は、「他者はコントロールできない存在である」という事実を隠蔽する作用があります。
だから不健全になっていくのです。

私たちを苦しめる一般論。

その究極は、「他者は私の思い通りに行動するべき」

そんなこと叶うわけないのは当たり前なのに、麻薬のような因果関係を作り出して、できない理由を見つけてしまう。

それは「他者はコントロールできない存在である」という事実を見えなくさせます。


なのでこの悩みの処方箋は、自分の期待に近づけるために因果関係をこじつけるのではなく唯一コントロールできる自分の行動を変えていくのが良いということになります。

一般論が果たされないからと、因果関係を見つけて誤魔化していないで、ただ、行動する。

それがベストです。


タイトルに戻りますが、まずは自分の一般論を認知するところから始まります。

怒りを感じた時、不都合を感じた時
自分の中にある前提の期待は何か?

そして、それを自分の行動でどうやって叶えられるかを考え努力すると心は因果関係の麻薬効果を使わずに健康になっていきます。

「〜するべきだ」という思いが、苦しみの原因です。

怒りや不都合を感じた時、自分は何を前提にしているのか?

それを意識してみると、解決のための行動につながりやすいですね。



experience18さん、素敵な記事をありがとうございました😊

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