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「わかりあえない」を越える〜私の体験

「わかりあえない」を越える

私が…
コロナ禍で体験したこと

今も、このことを表現することを怖いと感じている
私の真実を表現したい望みと、
それを聴く人が受け取るインパクトへのケアに、
文字通り身体が引き裂かれる…

2つの問い:
「私の内面で何が息づいているか?」
「人生をより素晴らしいものにするために、何ができるか?」
を吟味して、
こうして散文詩のようなカタチで表現することができると、
気がつきました…

コロナの真実
PCR検査の仕組みの理解
mRNAワクチンの仕組みの理解
ワクチン義務化と選択の自由
見え隠れする支配(ドミネーション)システム

メディアの流す解釈と意見・判断
ネットで流れる解釈と意見・判断
観察・事実の層につながるチャレンジ
情報戦争

増幅する違和感、
ますます大きくなる真実の渇望と
精神の自由への希求

今日の朝、
ゆうちゃんとやったダイアーズ瞑想の4つの問い:

①「わかりあえない」時、あなたの身体、心に、何が起こりますか?
②「わかりあえない」があなたに伝えたいことは何でしょう?
③『「わかりあえない」を越える』のを、踏み留まらせるものは何ですか?
④『「わかりあえない」を越える』先にあなたのハートを開くと何が起こりますか?

私にとって、
『「わかりあえない」を越える』のを、
踏み留まらせるものは、
相手がどう反応するかがとっても怖いということ…

それは、
私にとってトラウマの体験でもある…

信念体系のエッジに触れる
地雷を踏む怖さ

両親が日本共産党員だったこと
周りの大人がその事実にどう反応するかを見ることは、
小さな私にとって、
時に衝撃であり、
生涯をかけて紐解く問題意識となり、
謎となった

中学の時、
不登校したこと

20代のはじめから海外に渡り、
アメリカのスピリチュアル・コミュニティに属したこと

外側から見えること
内側から見えること

一つの信念体系を共有するコミュニティの内と外

信念体系が違う時、
文化が違う時、
人は、
互いにどう理解し合うのか?

マジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)

多数派の声に圧倒されて、
少数派の声が出せない時、
人は、
互いにどう理解し合えるのだろう?

手法(モダリティー)が違うことも同じ
NVCのコミュニティにいれば、
NVCの手法が世界に拡がればいいと望む

プロセスワークも、
IFS(内的家族システム療法)も、
コミュニティでつながりの質を育むに必要十分な豊かさがある

パートナーとの、
わかりあえないを越えるために、
互いのパーツのことも理解しようとした
今ここに共に在るために、
互いのトラウマにもセルフで寄り添った

コミュニティーの力動に気づいて、
わかりあえないを越えるために、
グループのプロセスを理解しようとした
ランクを自覚し祝福して、
本当の意味で力を合わせることを望むから

暴力が、力が暴れることだとしたら、
非暴力は、その同じ力を自覚して合わせること
対立・葛藤に消耗されるパワーを、
控えることなく、
フルにそのまま創造に使えるとしたら…

手法(モダリティー)が
共有できなくても、
人は、
わかりあえないを越える
ことができるだろうか?

私の夢は、
個人がパワーウィズで力を合わせるように、
人類の智慧が、
力を合わせること

NVCは一つのモダリティ(手法)だけど、
宗教や信念体系を超えて、
いろんな他の手法(モダリティ)とも、
手を合わせていける親和性や浸透性があること
NVC x (エックス、かける)の可能性

わかりあえないを越える
ことが大切なのと同時に、

もしかしたら、
わかりあえないを超える
ことも大切だと感じていて、

それは、
もしかしたら、
分離の幻想を終わらせること

同じ一つの意識が、
それぞれの宇宙を主人公として体験している、
頭のない視座というノンデュアリティ(非二元)

地球人だけじゃなく、
宇宙人も含めた、
わかりあえないを超える視座を思い出すこと

宇宙を旅する、
セルフ・ジャーニーとしての私を思い出すこと

私が、
わかりあえないを超える私に目覚めること

2022.1.3

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