からだもこころも看れる看護師に

どうもどうも齊前です。また、投稿が遅れてしまった。。。
今日は、午前中にTA(学部生の実習のお手伝い)、午後から地域の中核病院の元看護部長さんのご講義を聴講した上で感じたことを書こうと思います。
※ちなみに、意思決定支援で必要なのは、患者の「納得感」と思っています。


長くなりそうなのでできる限り端的に書こうと思いますし、感じたことのほんの一部です。ただ、色んな文脈ありきの言葉なので、あしからず。

自戒を込めて書きますが、僕は、看護師こそフィジカルアセスメント・疾患に対する知識を基盤としたきめ細やかな観察が必要と思っていますし、それありきじゃないと看護師として自立しているとは言えないと思っています。
また、前者の能力はこれからの時代を生きる看護師にはなくてはならない能力だと思っています。

世界でも類を見ないスピードで少子高齢・人口減少社会となった本邦における病院への影響として下記があるでしょう。
①平均寿命の延伸による慢性疾患の急性増悪事例の急増
⇒地域包括ケア病棟に代表されるような混同病棟の急増、専門病棟でも専門外の疾患を受け入れざる負えない状況

②生産人口減少に伴う医療人材の不足
⇒ますます業務の効率化に拍車がかかり、均一化した看護の提供となる可能性

看護師として3年目、脳神経外科病棟に勤めている時から①の状況はありました。大阪市の中央区に位置し、近隣に3次救急病院が乱立し医療資源が多い地域にある病院でも、患者という需要が供給を上回り、脳神経外科病棟にいながら、心不全の急性期ケアをする機会が多くありました。

約10年前でこのような状態だったので現状はもっと過酷でしょう。
これからの時代を生きる看護師には求められるスキルが高まってくるでしょう。そのような看護師をどのように育てていくかというのが教育者の課題となると思います。


一方、からだだけを看ることが出来る看護師がよいといえば当然ながらそうではありません。「こころを看る」という言葉が適切なのかは定かではないですが、対話の中で患者がどのような人なのか、病院という環境下でどう考えているのか、これからどう在りたいと思っているのかという心情の動的な揺らぎを感じる力は必要です。

ただ、コロナ過で看護師自身のこころが疲弊している中、患者のこころを看るのはかなりしんどいと思います。ただ、知識に関しては、疲労やコンディションどうこうは関係ないため、まずは知識をつけからだを看れる看護師となり、同時並行でこころを看れる看護師になれるよう実践を積むのが良いと思いました。


NPの導入など看護師の裁量権も増えてきている中、これからの時代を生きる看護師さんをどう育てていくのか。その解決策はすぐには思い浮かびませんが、TAという役割でも「気付き」という名の針治療をすることはできると思うので明日からのTAを頑張ろうと思いました。



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