曖昧な記憶を手探りで
本当にごめん,記録として残したく、8月に行ったグアムについて。(謝)
今年の夏はgoodなinfluenceをgiveしてくれたって前書いたけど、そういえばoutputし足りてなかった
夏休み始まってすぐかな、映画館で映画見てる時のトイレぐらい滅多に行かない家族旅行に行ってきたわけ。
最後に行ったのはおそらく俺が小学生のとき
中学からおれの部活が毎日のようにあったから。週一のoffで結構な喜び様ではあったぐらいやから家族よりサッカー部と県外に宿泊することが多かった。県外遠征でも車出して試合観に来ていた両親には頭はあげようとしてもあがらない。昼間サッカーしすぎて日焼けしてたなあ、あの時すごい黒かったなあ。
たまにお母さんに「コーヒー淹れて」って頼まれてお湯注ぐんやけど出来上がったブラックコーヒー覗いて反射するはずのおれが映らないみたいなこと何回かあったしな。
そんなこんなで、もちろん5月ぐらいから楽しみやったし、家族にはもちろん、「楽しみにしてますよ!」みたいな感じも出さないようにはした。きっとバレてたんやろうけど
普段会話の少ない兄貴とも旅行中は会話が弾むまで!は行かんけどワンバウンド、ツーバウンドはするぐらいにも成長遂げた
兄貴の影響で始めたサッカーも中学の頃紅白戦でマッチアップした以来、というか遊びなら小学生低学年で公園で蹴り合った以来してなかったサッカーをグアムの砂浜で形は異なるが"ビーチサッカー"という名目で再び蹴り合うことができた。砂浜でした1対1は気まずさと謎の緊張感により兄弟とは思えない距離感が生まれDFとしてはFWに与えてはいけないほどの距離感だった。謎に親父も参加していたが、親父とは海でのオーバーヘッド練習をした。大成功した時は親父の方が喜ぶことは想像しなかった。それを動画を撮りながら見守る母親。車の中でファンモンを聞いていたあの頃にどこか似ていた。
あの頃のファンモンはDJ仕事せい、ぐらいしか思わなかった。
「ヒーロー」の"家族にとってのヒーローになる為、転んでも立ち上がるんだぜ"はあの頃は刺さらなかった今は家族全員当てはまってるんやないか?そう解釈するようになった。歳重ねるごとにヒーロー欲ってのは大きくなってるな。
みんな知ってる通り母親は友達の前でも怒ってくるし、頑固なとこあるけど大事にされてるなって感じるし一人暮らし始める時も別れ際泣いてたのはさすがに愛感じたし心配かけるの申し訳ねえって強く思った。まぁ、酔った時にグアムで店員さんに日本語で絡むような親父と勉強でマウント取られ続けてきた兄貴は触れないでおこう。
3週間ぐらいあっためてそれよりも過去の話を書き綴ったことお許しください