クローサー (1)
蔓押 寧(づるおし ねい)は困った男だ。
気分屋で、思い立ったらすぐ突拍子もない事をおっぱじめる。
酔っ払うとさらに行動が予測できない。
そしていつも大体酔っ払っている。
泥酔して、路上で寝転ぶ事などはしょっちゅうだ。
気持ち良く酔っ払ってニコニコしてるかと思いきや、ふとした事で激昂して見知らぬ人に喧嘩を吹っかける事もある。
家に帰る電車賃が無いと言うから、小銭を貸してやっても、3分後にはその金でアイスクリームを買ってしまい、また電車賃をせびってきた事もあった。
蔓押がある日突然、俺は花屋になる!と言い出した時もあった。
野や山に自生している花や草を毟ってきては、駅前で路上販売し生計を立てる計画だったらしい。
当然そんな物が売れる訳もなく、奴はより希少な高山植物を採取しに、Tシャツとジーンズだけで日本アルプスを目指した。
慣れぬ登山で怪我を負い、そのまま奴は遭難。
ヘリに乗せられ救助される蔓押の姿はニュースで報道された。
まあ救いようのない馬鹿だ。
だが蔓押は気の良い奴だし、その衝動的な無邪気さとノリの良さは、どこか人を惹きつけた。
気立ての良さと行動力、そして危うさが同居する不思議な魅力に溢れる男だ。
その気まぐれには呆れ果てる事もあるが、少なくとも俺は奴を信頼している。
俺は今日、蔓押と1ヶ月ぶりに会った。
飯を食いがてら近況を話し合い、お互いのブツを交換し合うのだ。
「おっすー。ひさびさー。いいのできたー?」
「完璧な自信作。というか葉っぱ抜きのでも普通に美味い」「ハハ、パティシエになれんじゃないの?」
「最近はそうなってもいい気がしてきてるよ」
もう何杯か飲んできているのか、蔓押は上機嫌だった。
奴のトレードマークのスキンヘッドは相変わらず。
足下はカラフルなリーボックのポンプヒューリーで、服装はダメージ加工を施した黒い作業着風のお洒落ツナギ。
ツナギの背中部分には本人が直筆で書き込んだであろう赤い文字。
Dream baby dream
Dream baby dream
Forever
NYのニューウェーブ・パンクバンド、スーサイドによる一節だ。
俺も蔓押もこのバンドが大好きだ。
2人でアランとマーティンのコスプレをして遊んだ事だってある。
「腹がへったー」
「あっちに最近できた店が良いらしい」
「んじゃそこー」
俺達は職質も恐れず、ブツを持ったまま飲み屋街を歩き、食べログで評判だった居酒屋に入った。
「あー! 肉が食いたい!肉が食いたい!! 」
「肉?牛肉か?」
「そう!肉!」
「ここは海鮮がメインの店だよ。あんまり牛は無いんじゃないのー?」
案の定、この店のメニューには牛すじの煮込み程度しか牛肉の料理は載っていない。
「えー?肉ぅ!肉ぅ~!」
「うるせえよ!わかんだろ!この店構えからしてここは肉はそんなに置いてないよ!」
「あーー?あ゛ーーーー?」
脚をバタつかせて駄々をこねる蔓押を、俺はなだめる事が出来ない。
仕方なく日本酒とバイスサワーに焼鳥と海鮮サラダのみで席を立ち、次の店を探し求めた。
焼肉屋、ステーキ店、鉄板焼き、etc。
様々な選択肢が俺達にはあったが、肉を食いたいが美味いウィスキーもいっしょに飲みたい!と言って聞かない蔓押の要求は難題だった。
この男は強い酒しか飲もうとしない。
ビールやサワーを飲む所を見た記憶がほぼ無い。
大体いつも1杯目からウィスキーをストレートでグビグビ飲んでいる。
そして焼酎を嫌うので、上等のウィスキーが置いていない普通の居酒屋に入ると、この男はあまり満足しないのだ。
美味い肉があり、美味いウィスキーがあり、値段も程々。
そんな店はこの街にどこにある?
「ムニエルさぁーん。あーー!まだぁ?肉ぅ。どこだよぉーー。ムニエルさぁーん!?」
蔓押が俺をムニエルさんと呼んでいるのを、通行人の若い男が白い目でチラ見し通り過ぎる。
ムニエル、とは俺のあだ名であり、もうずっと活動していないがDJをする時の名義だった。
少し歩いては立ち止まり、スマホで店の情報を探している俺に痺れを切らした蔓押は、コンビニで買ったウィスキーの小瓶をラッパ飲みしながら俺を急かし、よく叫ぶ。
「ねぇまだーー!?にくーー!!あーーー!!」
こいつのために店を探してやってんのにちきしょうこの野郎!
俺は最初の店でもっと食いたい物があったというのに……!
「ちょっと待てよ!やっぱりそんな店なかなかねえよ」
「え゛ーー?」
「まずは肉を食おう。あっちのホルモン屋は牛肉がメインの店だし、内臓系が嫌でもカルビとかハラミとかならある。酒はその後バーで飲むぞ」
「うーーん。…………はーい」
蔓押は渋々従い俺の後を追う。
途中、幼い男の子とすれ違った際、蔓押はニタニタと頬を緩め性的な欲求をボソボソと呟き始めたが、それを俺はこついて止めさせた。
「肉食ったら、あのオッチャンのバー行くからな」
「あのオッチャン?……ああ!ポストパンクの!?」
「そう」
「もう潰れてるでしょー?アレは!」
「もーそろそろやばいよ。潰れる前にお前ももう1回行っとこや。俺は週1であの店通ってる」
「ムニエルさんは、あのオッチャンが好きだねぇ……」
****
「……っだらぁ…………ぅん …………………………共産党………………っ……んなあにを!!………………んあぁにを!!」
ボロボロの身なりをした老人が、何やら不明瞭な事をボヤきつつ、カートにゴミ袋を積んで引きずり歩いている。
「……野郎………………のりも……そ……そもの……………………………小泉の!……………………んふむ…………」
老人の身体からは悪臭が漂っているが、ゴミ袋からはさらに酷い臭いが発生している。
10メートル離れても十分嗅ぎ取れるレベルの異常な臭さだ。
老人の脚がふいに止まった。
その目の前には赤い郵便ポストがあった。
彼はそこでゴミ袋を開き、スコップでその臭い中身をポストの中にせっせと投函し始めた。
黒く、固形が混ざるドロドロとした汚物であった。
「……っとに!…………って!………………んあ゛ぁ!!」
まず糞尿と残飯をかき混ぜ、半日以上グツグツと煮詰めた物に、腐葉土や解体した動物の死体などを加え、最後に米ヌカを適量配合し、数日放置して醗酵させる。
醗酵させるには米ヌカが重要だ。
それは、門外不出のオリジナルレシピで手間暇かけてこしらえた、この老人の最高傑作であり、最低最悪のゴミであった。
正体不明の憎しみと、尽きることのない怒りで生み出される、呪われた物質であった。
「……ぅう………………からこれは…………もう……あぁ…………ぅんぐ…………その通りに…………」
老人が運んできた汚物はゴミ袋まるまる2袋分ある。
ポストを汚物で満たすには十分な量だ。
袋の中身が減ってくると、彼はスコップを置き、袋から投函口へ汚物を直接流し込み始めた。
老人は何故この様な凶行に及ぶのか。
なんらかの恨みを抱えている事は確かだが、何に対して怒っているのか、その矛先が何故ポストに向かっているのか……
それは狂える老人自身を含め、誰にも分かりはしない。
付近の地面は、すでにこぼれ落ちた黒い汚物と黒い液体で満ちており、通行人たちはその凄まじい悪臭に顔を歪ませる。
「ふぁーーあーーがぁーー?……なーー?………………っ奴らの時!!ぅんんんっ!!んんんっ!!!」
事態に気づいた人間は、しかし止めようにも狂人に関わる事を恐れ逃げる様に去っていく。
立ち止まって老人を注視する者もいたが、意思疎通が不可能な相手であろう事を察すると、距離を取り、警察に連絡を始めた。
「……ああぁーーーーっ!………………あー……」
汚物は相当量注ぎ終えた。
重労働に一息つきたいのか、老人は煙草に火を点けポストにもたれた。
「てめぇ!!何やっとんじゃ!!」
そこへ郵便物を回収しにきた集配員が、バイクから飛び降り、大声で叫びながら被っていたヘルメットを地面に叩きつけた。
「てめ……ッ!クルァアア!!」
集配員は憤怒の形相で老人に掴みかかる。
「!??……ぅんー!?」
老人は何故自分が攻撃されたのか、何故集配員の男が激怒しているのか、見当もついていない様だった。
老人は、ぽかん、としたまま煙草片手にノーガードのまま、集配員に襟首を掴まれた。
「ぬあ゛あ゛あ゛ん!!?」
「アー!?テメエかコラ?最近ポストに糞詰めとるんわ!!」
集配員の怒りは凄まじい。
男は老人を掴んだまま押し引っ張り、老人の身体をポストに叩きつける。
「ぅんだぁー!?ァァあああ??!」
老人は苦しい表情で手足をバタつかせる。
だが、すかさず集配員に腕を掴まれ抵抗は阻められる。
掴みながら体当たりをかける形で、集配員は狂える老人を再びポストに叩きつけ押しつける。
「ンナァァン!!?痛っ!痛いぃ~!」
拘束状態の老人はこの時、このままでは未だ手に持ったままの煙草の火で、自らの手を焼いてしまう事に気づき、恐れた。
煙草を地面に捨てようとするが、体勢的にそれは果たせない。
そこで、位置的にすぐ手元にあるポストの投函口へ、手先の動きで煙草を押し入れ、ひとまず火傷の危機を避ける。
そういう意図の行動だった。
その後の事は、老人が狙ってやった訳ではない。
ゴッボ!ボボゴーーーン!!!
郵便ポストが爆発した。
投函口からすごい勢いで、葉書と封書混じりの汚物が吹き出し、老人の後頭部と集配員の顔面に直撃した!
「う!?おおおお!!?」
「ああぁー?」
汚物から発生したメタンガスが、ポストの中に充満し、煙草の火によって引火。
悪夢の如き不浄不潔な爆発を巻き起こしたのだ!
「お…………おお!」
目潰しと強烈極まりない悪臭、そしてよぎる病原菌の恐怖。
集配員は地べたを転がりながら、必死に制服の袖で顔の汚物を拭う。
そこへタイミング悪く、帰宅を急ぐ学生が漕ぐスピードのついた自転車が、集配員を腹から豪快に轢いた。
「お゛ぉっ!」
突然の激痛が目の見えぬ集配員を襲った。
ガッ!シャンシャンシャンシャン……!キリィーーーーーー!
つまずいた自転車は倒れ込み、ホイールが空回りする音をたてる。
学生は咄嗟に手で受け身を取ったが、軽い怪我を負った。
「…………おっ………………ごぇえええ!!」
集配員の男は嘔吐した。
衝突による腹部への衝撃と、正気を失いかねない悪臭。
その両方が引き起こした身体の拒否反応だ。
「ぶぅぇえええ!!」
男は吐いた。吐きに吐いた。
遅めに食べた昼食のカップラーメンを根こそぎ吐き尽くした。
吐くしかなかった。
そうしなければ死ぬのではないか――
そんな恐れが頭によぎり、頭からは冷汗が流れる。
嘔吐をすると、どういう訳だか涙も出る。
留めなく溢れ出るその涙が、集配員の目に入った汚物を洗い流した。
老人は?
どこへ行った?!
集配員は辺りを見回すが、見つからない。
逃げられた……
少し前からこの近辺で発生している、郵便ポストへの汚物混入騒ぎ。
ただでさえ配達業務で多忙な彼に、糞より臭い物を清掃させられる許しがたい苦しみ。
犯人を見つけ次第、この手で捕まえてやると意気込んでいたのだが……
「大丈夫ですか!?すいません、何がありました?」
駆けつけた警官が、怪我をした学生へ声をかける。
集配員の男はそれをひと目見た後、爆発したポストの方へ目を向ける。
ポストは、根本の棒を固定するコンクリを引っ剥がして倒れていた。
騒ぎを駆けつけた近隣の住民達と通行人らが、異常な悪臭に顔を歪ませ、その臭いの発生源である汚物と郵便物を撒き散らし倒れる郵便ポストを発見すると、目を丸くした。
「郵便屋さん、どうしました一体ここで?」
警官が集配員の男に尋ねる。
集配員は言葉に詰まり、無言のまま涙を流した。
嘔吐からくる落涙ではない。
悔しさと、怒りによるものであった。
****
「……という事があったんだ」
マスターはカウンターに肘を置いてもたれながら、今日この街で起きた悪臭騒ぎの一部始終を語り終えた。
「クソやば案件でしたね」
「クソやばー。はひひひ」
俺と蔓押は、値段相応に美味い肉を食べ終えて、このバー『クローサー』にやってきた。
『クローサー』はロックバーだが、ありがちなストーンズやキッス、オアシスといったメジャーなバンドの曲を決して流さない。
あるいは存在すら許されない。
名前すら出すことも憚れるバンドや歌手も大勢いる。
ましてやアイドルやJ-POPの話を出そうものなら、マスターはグラスや酒瓶を投げつけてくる。
ここは、マスターの趣味であるポストパンク・バンドばかりが流れる卑屈かつ偏屈な店なのだ。
ポストパンク。
70年代後半のパンクロックムーブメントの後に、パンクをより先鋭化させ音楽的に前衛嗜好になったジャンル……とでも言えばいいだろうか。
ニューウェーヴとも似ているが、少し違う。
だがニューウェーヴとジャンルの区別がつきにくい存在で、俺もその辺が曖昧だ。
ソリッドなギターサウンドが特徴的、と言える。
ギャング・オブ・フォーやジョイ・ディヴィジョンがその代表格なバンドと言えるだろう。
ここのマスターはそれらのバンドをこよなく愛し、人生の全てと言ってもいいほど没頭している。
「ポストが、パンクしたんだ……」
マスターはそう言って、息を吐いた。
「え?」
「ポストはパンクし、倒れた……」
「……いや……はい、パンク?っていうか、ツイッターでもポストの中で爆発があったって書いてる人が……」
この異臭騒ぎはすでにツイッター上で話題になっており、黒い汚物を垂らす郵便ポストの写真が出回っている。
「あれはパンク状態だった……これ以上ない程に。完璧に……」
マスターは、至って真剣だった。
それどころか、目はどこかおぼつかず、手先は震え気味で、髪はグシャグシャに乱れ、心中穏やかでない様を深刻に物語っていた。
「ポストが糞まみれでパンクした。これは啓示だ。俺への、未来への……」
「何を言ってるんですか」
「はは」
俺と蔓押は軽く笑いながらジンを飲んで目を見合わせた。
「ポストパンクは終わった。いや分かってた!だが遂に今日破滅した。終わりなんだ!もう、この音楽は何の役にも、何の助けにもならない!」
マスターは激高し叫ぶ。
正直よくある事だが、今日は一段と様子がおかしい。
「いやいやいや!」
「落ち着いて下さいよー」
「終わりなんだ!!!」
マスターは大声で吠え、カウンターのグラスを勢いよくスライドさせ、床に落として割った。