クローサー (3)
「ぶっ殺してやる……!思い知らしてやる……!」
男は歩き、顔を強張らせ独りごちた。
すれ違った中年女性が恐ろしげに男から距離を取る。
男は血走った目で前を睨みつつ、時折殺す殺すと呟きながら歩を進める。
狂った老人と掴み合いになり、汚物に塗れた集配員である。
彼は老人を自力で捕まえる事を諦めていなかった。
老人は未だに検挙されていない。
警察は現場付近をくまなく捜査したが、一向にそれらしき老人を見つける事はできなかった。
だが、現場から少し離れた古い家屋から、度々異常な悪臭が漂ってきている事が以前から問題となっており、目撃者の証言を考慮しても、そこに住む異常な老人がこの事件の犯人であろうことは明白であった。
警察は直ちに臭いがする家へと急行した。
だが老人からの応答はない。
明かりはついていないようだ。
老人が家の中にいるのかいないのかは定かではないが、数日後には老人に対し逮捕状と家宅捜索の令状が出されるだろう。
集配員はそれを待つつもりは毛頭ない。
あいつを汚物の塊へ顔を突っ込ませ、タコ殴りにして殺してやるーー
そしてこのクソみたいな仕事も辞めてやるーー
ぶん殴って、ぶっ殺して、仕事も辞めてやるーー
いつまで経っても契約社員で、手当もない、安い賃金でこき使われ、年末には不要の年賀はがきを大量に買わされる。
そんな俺に罵声を浴びせ、いつも蔑んだ目で見る職場のクソども。
ジジイをぶっ殺したら、そのまま仕事用のバイクで局の中に乗り込んで、クソどもにジジイの汚物をぶち撒けてやって、部長をぶん殴り、その拳に握ったグシャグシャの辞表を提出してやる……!
そんなビジョンを絶えず頭に浮かばせながら、集配員は老人の家に着き、辺りを軽く見回した後にスッと中に侵入した。
窓ガラスを割り、鍵を開け、部屋に入る。
簡単だ。
やろうと思えばやれるもんだ。
彼の怒り震える心は、不法侵入に良心の呵責を感じる事はなかった。
家の中は荒れ果てており、蝿が飛び、ゴミが散乱としている。
そして臭い。
コンビニ弁当の容器、中身が少し残ったペットボトル、脱ぎ捨てたままカビが生えている白いランニングシャツ、エロ劇画雑誌、巨人のマジックナンバー3を大きく伝える10年近く前のスポーツ新聞などが目に飛び込んでくる。
薄闇の中をパッとで見ただけで、ゴキブリが2匹すぐに見つかった。
あのジジイはどこか?
駆け足で部屋を探すがどこにも見当たらない。
家に無断で入った事が、近所の人間バレると通報される恐れもある。
俺はまだ何も仕返しできちゃいない!
こんな所で俺は逮捕される訳にはいかないのだ。
なんとしてもあのジジイを殺し、職場で暴れて辞表を叩きつけるまでは、俺は捕まらん!死ねん!
やがて男は悪臭がひときわ強い部屋に足を踏み入れた。
部屋の中央には、黒ずんだ汚物が入った大きな鍋がカセットコンロの上に置かれており、その材料と道具が周囲に散らばっていた。
部屋の隅にはビニールを被せたバケツがあり、これが出来上がった汚物のストックであろう。
あまりにも、臭すぎる。
なんという臭さだ。
一刻も早くここから立ち去りたい。
アイツは何故こんな臭い物を作っている?
何故この汚く臭い家で生活できる?
早くここから出たい!
だがジジイが見当たらない!
他の部屋も調べたが、今、この家に老人がいる気配も痕跡も見当たらない。
どちらにせよ通報されるとまずい、長居はできない。
糞ジジイめ!
あの後、奴は家には戻らず街のどこかに隠れたか……
集配員の男は、汚物のストックを一袋、手に汚れがつかぬ様そっと持ち出し、老人の家を後にした。
ーーーーー
僕はタクヤ。
至って普通の高校2年生。
クラスの目立たない奴で、至って平凡な暮らしをしていたのだけど、1ヶ月前から僕の人生はおかしくなってきたんだ!
ほら!今日もまたたくさん!
ラブレターが毎日毎日、大量に家へ送られてくるんだ!
なんでも、最初に僕へラブレターを書いた子が、封筒をポストに投函した帰りに一億円が入ったスーツケースを拾ったらしいんです!
僕にラブレターを出せば幸運が舞い込む。
そんな噂がたちまち学校中、やがて街中に広がって、ネットでも拡散されちゃって、今では全国各地の見知らぬ女性からラブレターがどんどん送られてくるようになっちゃったんだ!
ポストからはみ出て落ちたラブレターの受け皿になってる段ボールも、今日は山盛りになってる!
ポストは?
ポストはもうギュウギュウの……
「うわぁ~!ポストがパンク状態だよ~!」
僕はそう叫んで呆然と……
ビシャアアア!
!?
なんだ?!変な黒い液体が飛んで……く、臭い!とんでもなく臭い!うわあああああああ!!?
「ボケがあ!お前のとこ配達多すぎなんだよ!死ね!!」
ーーーーー
ボケが!思い知ったか!
ただでさえ忙しい俺を、あいつは大量のラブレターでさらに苦しめた。
これはその報いだ。
怒り続ける集配員の男は、毎日嫌というほど大量のラブレターらしき物を届けさせられる憎き配達先に、老人の家から持ってきた汚物を投げかけ、叫んだ。
ーーそう、冷静になれ。
冷静になって考えてみれば、汚物を持ち続けて街を歩くなど、あの狂ったジジイとやっている事は同じだ。
冷静に考えて、周囲に臭いが目立って仕方がない。
職場の奴らには代わりに俺の小便や大便をくれてやればいい。
だがせっかく手に入れたこの汚物を俺は無駄にはしない。
ついでだ、日頃ムカついてたラブレターのアイツの家にプレゼントしてやった。
俺は冷静だが、決して怒りを忘れはしない!
さて、ジジイはどこだ?
どこにいやがる?
ジジイ!!
「おいジジイ!どこだよ!!」
出てこい!
「出てこい!」
おおおおおおおお!!ちきしょおおおおお!どこだ!
「どこだ!」
ーーーーー
酔って、歩く。
俺達はフラフラしつつ笑いながら公園に向かった。
途中、24時間営業の100円ショップで必要な道具と酒を買い漁る。
夜の公園には予想通り誰もいない。
さっそく木と木の間に糸を張り巡らし、ビニールに入れたポストパンをクリップで留める。
俺たちは笑いながら飛び跳ね、パンに食らいつこうとするが、酔いが進みすぎた俺達には一向にキャッチする事ができない。
「ポストパン!ポストパンク!ポストパン!ファーックオーフ!!」
俺はデッケネのナチパンクスファックオフの替え歌を叫びながら走り、ジャンプする。
俺も相当酔っているのだ。
大の大人3人が、酔っ払って深夜の公園で大はしゃぎしながらパン食い競争に興じる。
その馬鹿らしさがたまらなく、最高に楽しかった。
やがて疲れ果てて3人とも地べたに寝転がった。
「ポスト、パンクしちゃったけど、それ、俺の人生とあんまり関係ないかもな」
マスターが言った。
「でしょ?」
「そうでしょ!」
蔓押と俺が答える。
「ポストをうんこの爆弾で爆発させたテロリストが出ただけですよ」
「言われてみればそうだった。俺はこの世の終わりだと完全に思い込んでた」
「はははは!」
「ふふふ」
寝転がったまま俺達は笑った。
あーー気が晴れた。
そして疲れた。
しばらくここで休んでから帰ろう。
砂まみれのポストパンを、はたいて蔓押が齧る。
「フゥラァァァゥワァァァオブロォマァアアンス!!」
マスターが叫んだ。
しばらくして、飲みすぎてはしゃぎすぎた蔓押が嘔吐し、やがてつられてマスターも吐いた。
酷いもんだ。
俺達は馬鹿で、浅はかで、無謀で、未来がない。
この夜の行動も最悪なものだ。
「……おい」
だがいくら最悪な愚行だったとしても、俺達……少なくとも俺にとっては、この夜は輝かしい思い出となって、いつまでも心に残るだろう……
「オイ!」
少なくともマスターはこれでいくらか元気になってくれただろう。
「オイ!!うるせえんだよテメエら!!こんな夜中にパン食いなんかしやがって!ふざけてんじゃねえぞオイ!!」
……なんだ!?
なんかキレてる男が目の前にいるぞ?
俺達、今、喧嘩を売られた??
せっかく良い気分に浸っていたのに、なんだよ。
酔っててよくわかんねえけど、とりあえず立って謝っとくか。
「え?ハイ、すいませんでし……」
「オラァ!」
「ぐ……っ!?」
起き上がろうとした俺を、男は蹴り込み、転がした。