韓ドラ日記38『私の解放日誌』

またも月末ぎりぎりの更新です。すべりこみセーフ!
さて、38本目、いつかみようと思っていた作品です。
いや~なんというか、良作。もっとじっくりみてたら結構泣けてしまったシーンも多かったと思うし、みる人・みるタイミングで感想や共感できる部分も違ってきそうですね。あまりにもリアルで、それぞれの人物にどこかしら自分と重なる部分がありそうというか、状況や抱えているものが同じかというと全然そういうわけではないんだけど、なんかわかる、、という痛みというか、、。

『涙の女王』でも話題になっているキムジウォン、本当にずっときれいで、、『涙の女王』みたのは少し前ですが、かなり役柄が違うのでまるで別人、、

なんか感想書くのが難しいですね、この歳この時期のわたしが感じたことを書いて残しておくことが重要だとも思うのですが、意外とそのときそのときに考えていたことを忘れてしまっていて…

物語としては三兄弟の末っ子ミジョンと、近所に住む謎のク氏とのかかわりが中心にはなってくるのでしょうが、三兄弟それぞれが個人的には意外とかなり掘り下げられていて、恋とも言い難い「あがめる」関係だけがストーリーをうごかすのでもなく、各人物のもつ仕事や恋愛や家族との関係性がとても丁寧に描かれているのが印象的でした。
日本のドラマは~韓国のドラマは~というのは一概に比べていいわるい言えるものでもないけど、単純にこれだけの尺があってこそ実現できる深堀だよねという気もします。

「解放日誌」というモチーフはたびたびドラマにも登場して、それはミジョンの解放クラブでの成果物を指しているのだろうけれども、書いていないだけで、各キャラクターたちが16話を通してそれぞれに見つけていたんだろうな、とおもいます。
ドラマ冒頭もラストでも、なにかものすごく最高の状態とか最悪の状態とかではなく、本当にリアル、誰もが抱えているような、とんでもなく辛いとか不安があるというほどでもなく、生きていられるし生きてきたのだし、まぁここまできたらそこまで大きくは変わらないよね、だってそれがわたしの価値観で人生だったし、そう思わない人もいるのはわかるけどわたしはこうやって生きているんだもん、そういう状況であることには変わりはない。でも、確実に彼らがドラマの中でおこった、あるいはおこした出来事を通して、ちょっとだけど、よくなった気がする、でもこれって結構、自分にとってはかなりいい方向に動いているのかも。そうやって思える物語だったように思います。そういう、ふとしたとき、通勤で電車を待つとき、人を待っているとき、食事を待っているとき、なんだか前より口角あげている瞬間が増えた気がする。それが、解放なんじゃないかと思いました。
最終話のミジョンの最後の台詞は、ミジョンのそれまで描かれてきた不思議な、しずかなんだけれども実はあつくて煮えているものを抱えていた彼女の自分への評価や意識からすると、あまりにも明るく前向きで、個人的にはかなり感動的でした。でもきっと彼女なら、この1時間後、1日後、1か月後もおなじ心で自分をみつめてあげることができるかはわからない。もちろんできるかもしれないけど、それはそれで素晴らしいことだけど、もしかしたらそうではなくて、転職もしたし一緒に住む人も変わったけれど、やっぱり各場面で問題や不安や揉めごとは生まれるんだと思います。でも、どうか自分でその境地にいけたことを忘れないでいてほしいと思います。
その日の気分という枠を超えて、やっぱりなんとなく自分の中で、なんか最近うまくいっている気がする、あるいはいっていない気がする、もしくは今考えるとあのときは結構よかったとか、苦労していてなんで耐えられていたんだろうとか、そうやって思うことは多々あるし、誰にでもあるんだと思います。でもどうか、常にではなくても、なんかちょっと今いいかも、明日がちょっと楽しみかも、あれやってみたいかも、なんかやっていけそう、そうやって思える瞬間が、どなたにも少しでも多く長く訪れていたらいいなと思います。そういう風に思わせてくれる要因が、ふと虹をみたとか、どんな食事をしているか気になったとか、風邪をひいていないかとか、そういうことを心の中ででも話しかけられるだけの距離においておけたら、それは自分を「解放」に導いてくれる光のように、たいせつな存在であって、「いい」を生むための「ちょっといい」をくれる、宝ものなんだろうな、と思います。

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