仲間を偲ぶ - 1000travels of jawaharlal
1000travels of jawaharlalのベーシスト、岩田真一さん(がんちゃん)が2022年9月29日に亡くなりました。もうすぐ1年が経とうとしています。追悼の意を込めて、1000travels of jawaharlalへの愛を込めて、書いてみます。
がんちゃんと僕が初めて出会ったのは、1998年11月4日、大阪のライブハウス、十三ファンダンゴ。東京からNaht、札幌からCowpers、京都のDig a Hole、僕らzirconiumという4バンドが出演するライブに、1000travels of jawaharlalのギターボーカルの下田くんとベースのがんちゃんのふたりが、小倉からお客さんとして観に来ていたことがきっかけでした。終演後、ふたりが僕に「ぜひ九州に呼びたい」と声をかけてくれて、当時ふたりがやっていたバンドHIGH HOPESのカセットテープをくれた、オレンジ色のスリーブの。十三ファンダンゴの左メインスピーカーの前で、下田君とがんちゃんと僕の3人が少し緊張して話をした変な空気をまだ覚えてる。
そのあと博多で彼らの企画ライブに呼ばれて、そこで初めて1000travels of jawaharlalを観てぶったまげた。メンバー全員がひとつの声明を胸に全身全霊で襲いかかってくるような、素朴で圧倒的なパンク。あのライブを観て、バンドとはそもそもちょっとした奇跡なんだと痛感した。絶対に勝てないなとすぐわかって、その場でファンになりましたわ。おそらくその日は、彼らが1000travels of jawaharlalの名前でやる最初のライブの日だったと記憶してる。
そこからはお互いに意気投合してライブに呼んだり呼ばれたり、泊めたり泊めてもらったりもあった。遠い街で暮らしてる人達だけど、ギターボーカル同士が同い年で当時のベース同士も同い年で、同世代に話せる仲間がいる、べらぼうに良いバンドがいるってことにすごく喜びを感じてた。がんちゃんは僕よりひとつ歳上で、パンクスの流儀を持った心のやさしいお兄さんって感じだった。
ジャワハルラル中期の後半以降、活動を停止した後も、僕らは疎遠になっていてほとんど連絡をとってなかった。がんちゃんから久しぶりに連絡があったのは2013年にブッチャーズの吉村さんが亡くなった時。今度会ったら一緒にブッチャーズや吉村さんの話をしながら乾杯しようなんてやりとりをして故人を偲んだ。あとその時に、この先ジャワハルラルが再始動してライブするようになるなら関西方面は全部僕に世話させてよ、一緒に周りたいバンドがいるのなら僕らは出演せずに企画と宿を貸すだけでもかまわないからなどと、そんな話しもしたな。その後は年に1回あるかないかくらいにはメールのやりとりをしていた気がする。
2022年5月の下旬にがんちゃんから、博多のキースフラックで6月25日にジャワハルラルが飛び入り的なライブをするんだと連絡をもらった。病気になってしまったもんでせいぜい5曲くらいしかできないんだけど、とのことだった。表向きは出演をシークレットにしてたようで、それなのにわざわざ僕なんかに情報を流してくるということは、がんちゃんも待ちに待った再始動でテンションが上がってるんだろうなって、その時はそのくらいに思ってた。お、ええねーやっとスタートするんやね、博多まで観に行こうかなー、なんて病気のことは深く聞かずに返事した。
その後もがんちゃんは、今、リズム隊ふたりでスタジオに入ってるよと写真を送ってきてくれたり、ライブの準備の楽しそうな報告をしてくれた。博多まで観に行きたいのはやまやまだったけど、スケジュール的になかなかの弾丸ツアーになるなと思って、僕は行くのはやめるわ、ええ日にしてよとがんちゃんにメッセージを送った。その返信で、がんちゃんは自分の病気が肺ガンでステージ4だということを僕に伝えてくれた。僕はすぐに博多行きの新幹線の切符と宿を予約してライブの前売りもお願いした。出演をシークレットにしていた理由は、不確実な体調を考慮してのことなんだろうなと、ようやく察した。
ライブは僕の愛した1000travels of jawaharlalそのものだったな。
終演後は、がんちゃんが後ろから近づいてきて僕の耳元で、僕らのすごく古い曲、頻繁にジャワと一緒にライブをしていた頃によくやってた曲の歌詞をぼそぼそ呟いてきて、なんやなんや恥ずいやん、やめんかい、みたいなそんなじゃれ合いもあったな。「どこかで誰かが僕のしくじるのを待ってるはずー」とか、卑屈過ぎる僕の歌詞を茶化して遊んでたんだろうな(笑)。大阪に帰り着いた後、昨日ありがとうねと、こちらからLINEを送ると、曲数が予定より少なくなってごめん、また会おうよ、などと返信が届いた。僕らが最初に会った日のことについて、あれって何年のこと?ときかれたりもしたな。
ライブの3ヶ月後、下田君からがんちゃんが亡くなったという知らせが届いた。
最後になったライブ、あのタイミングでがんちゃんが僕に会いたいと思ってくれたこと、きっと思ってくれたんやんねってことが、心に沁みた。ジャワ初期の頃の小さな思い出、くだらないエピソードの数々、天国のがんちゃんとは全部共有できてる気がしてる。
下田君、がんちゃん、よっけん、中園君、1000travels of jawaharlalのメンバーみんなに感謝してる。長くバンドをしていく中で、ジャワハルラルと出会って一緒にライブしたりジャワのライブを観に行ったり、あんなに楽しかった時期は他にない。僕は、1000travels of jawaharlalの音楽を自分の誇りのように思っている。
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