発売22周年にかこつけて『ゼルダの伝説 風のタクト』のラストバトル周りのシーンを語り散らかす
風のタクト、22周年おめでとうございます。
この記事では、記念日にかこつけて風のタクトのラストシーン周りを語り散らかしたいと思います。このゲームのラストシーン周りが大好きなんですよね。もう語りたくてしょうがない。はしゃがせてくれ。
なお、この記事で語ることはすべて勝手な解釈です。妄想とも言う。なんなら設定とかに詳しいわけでもありません。公式の設定資料集とかも持ってないし。
この記事では、おもに台詞に注目して語ります。ラストシーン周りを語るので当然ながらネタバレ満載です。なんなら『時のオカリナ』についてもちょっとふれます。語り散らかします。いくぜいくぜ。
クグツガノン戦前後
まずはクグツガノン戦前後のガノンドロフの台詞から入ります。
太字はゲーム内で大文字で表現されています。この最後の台詞を言うときのガノンドロフの表情は注目に値します。リンクたちを嘲っているかと思いきや、怒ってるんですよね。この怒りってなんのかというと、見捨てられたことに対する怒りなんですよね。ハイラルという素晴らしい国を忘れ去りやがって。挙げ句できたのがこんな海ばっかりのつまらん世界だと!という怒り。お前達は神に滅ぼされた、と言っていますが、この“お前たちは・・・”の中にはガノンドロフ自身も含まれている気がします。誰よりもハイラルを欲している男、ガノンドロフ。続く台詞も味わい深いですね。
ここで注目したいのは、リンクのことを時の勇者の生まれかわりとして扱っている点ですね。これがもう既に面白い。初めて風のタクトを遊んだとき、「おっ、ついにガノンドロフを認めさせたぞ」とワクワクしたのですが、実はその逆。ガノンドロフにとっては風のタクトのリンク自身はどうでもいいんです。いま目の前にいるリンクを通して、自分が過去に敗れた【時の勇者】を見ているわけですね。この辺りの台詞からして、ガノンドロフが過去に囚われた男、ハイラル復活という妄執に生きる怪物であることが示されています。
この、【風のタクトのリンクは時の勇者の生まれかわりだ】という考え、これはたぶん間違ってます。おそらくガノンドロフの思い込みです。ガノンドロフがそう思いたがっているんですよね。いくつか根拠があります。まず、さっき書いたとおり、ガノンドロフが過去しか見ていないから。また、ゲーム冒頭で語られる伝説のとおり、時の勇者は再び現れなかった。生まれ変わるハズの魂が別の時空に行ってしまっている。さらにデクの樹サマやハイラル王の台詞からも、リンクは時の勇者とは無関係であると示唆されています。
そしてなによりも、風のタクトで描かれるテーマの一つが、【ちっぽけな少年が立派な勇者になる】だからだと思うんですよね。のちのシリーズ作品でも描かれる、古くから続く因果を、ただの少年が打ち破る。だからこそアツい。むしろ、なんの関係も無い少年だからこそ打ち破れたんじゃないかと。かつて時の勇者の帰還を願い、沈んでいったハイラル王国の民。彼らの祈りは、大きくなった男の子に緑衣を着せる風習となって残り、永き時を経てついに新たな勇者が誕生した。こう解釈すると、ちょっと感動しますね。また、リンクを【勇者になった少年】と考えると、テトラは【姫にならなかった少女】と解釈できます。因果を打ち破った二人の子ども。これが綺麗に対比表現になって美しいんですよね。(ここまで言っといて公式設定で生まれ変わりって明言されてたらごめんなさい)(テトラについてはあとでたっぷり語ります)
ところで、ガノンドロフと立場を一部同じとするハイラル王はというと、彼はリンクが勇気のトライフォースを宿したのを見て、リンクのことを【風の勇者】と称します。ここも対比表現になってるんですよ!過去に囚われているガノンドロフはリンクを時の勇者の生まれかわりとみなし、過去に囚われつつも未来を見ようとしているハイラル王はリンクを風の勇者と称するわけです。
というわけで、ガノンドロフとハイラル王を対比させました。そしてこの二人は【過去に囚われている大人】と置くこともできます。で、リンクとテトラが【未来へ進む子どもたち】に。ここも対比になってるんです。ラストバトル周りは、これらの対比が分かりやすく示されているわけですね。この記事は以降もずっと対比対比って言うんですが、そのように描写されている(と解釈できる)からです。過去と未来、大人と子ども。こういうの大好き。
ラストバトル前
ガノンドロフ
いや、台詞良すぎ。時のオカリナをプレイしていると、当時のガノンドロフの気持ちが明かされてワクワクします。なぜガノンドロフがハイラルを欲したか?その一端が垣間見える興奮。
一方で、リンクが「なに言ってんだこのおっさん…?」みたいな表情してるのがいいんですよね。時のオカリナを遊んでいないプレイヤーもたぶんこういう表情になる。おっさんが「昔はああだった。昔はこうだった」なんて言ってても、今を生きる子どもたちにとっては「知らんがな」で終わるわけです。ガノンドロフのほうも、聞かせるつもりはありません。これは悲願成就を前にした、感傷に浸る独り言です。体も視線も横を向いていて、リンクのほうを見ていません。
そしてガノンドロフとハイラル王が願いを言うシーン。
“過去の地ハイラルを消し去り”この台詞の中にはハイラル王である自分も含まれているわけです。子どもたちに未来を託し、自分は消える。ここもやっぱり対比表現になってるんですよね。過去を望み世界を手中に収めようとするガノンドロフと、未来を望み自分は消え去ろうとするハイラル王。
ガノンドロフ、大爆笑。
これはまぁ、ずっと頑張ってきたのに、めちゃくちゃあっけなく横取りされたらそりゃ笑いが出ますよね。しかも自分がどうでもいいと思ってる願いにトライフォースを使われた。
この台詞から分かるように、未来?なんだそりゃって思ってる笑いです。
リンクを時の勇者の生まれかわりとして扱う。徹頭徹尾、今を生きている子どもを認めない。見ようとしない。手に宿ってるトライフォースにしか興味が無い。それを示すかのように、最初の語りシーンでは体を横に向けていて独り言をつぶやくようなスタイルになっているし、“バカげている・・・”のシーンでも背中を見せているわけですね。
ここでようやく向き直り、本当の意味でリンクたちと対峙する=戦闘開始、という流れ。キャラクターの見せかたとゲームプレイの融合、完璧すぎないか……?そして、戦いの果てに最期の台詞につながるわけですが、その前に。
少し戻ってガノンドロフ爆笑後。お待ちかねのテトラのシーンだ!
テトラ
来ましたね。問題のシーンが。このシーン好きって人、めちゃくちゃ居ると思います。僕も大好きです。風のタクト最高のシーンの一つですよね。ここ、なんでこんな「イイ!」ってなるのか。ちゃんと理由があります。一言で言うと、テトラが自我同一性の危機を乗り越えたことを、テトラらしさ全開で勢いよく表現されているからです。
はい。自我同一性の危機とかいう意味分からん用語を使いましたね。横文字で言い換えるとアイデンティティクライシス。すみません。ちょっと通ぶってみたかったんです。ようは、「自分って何者なの?」って感じてしまって自分という存在が揺れ動いている状態のことです。めっちゃ雑な説明したな。
テトラはそれまで海賊のお頭として大海原を股にかけていたわけですが、ゲーム中盤でいきなり「実はお前は滅びた王国のお姫様だったんだよ」と告げられて心が揺れ動きます。海賊のお頭としてのテトラか、ハイラル王国の姫としてのゼルダか。「私ってどっちなの?どうすればいいの?」こういう状態になります。自分の出自が原因でガノンドロフとかいうヤバそうなおっさんに狙われるし、リンクたちにも迷惑をかけた。だからゼルダ姫になった直後のテトラはずっと混乱していて、不安そうな表情をしてるわけですね。
自分という存在に関わる葛藤なので、テトラにとって非常に大きな出来事です。テーマも面白いですよね。大海原に生きる海賊のお頭か?海の底に沈んだ王国のお姫様か?アニメで言えばワンクール使って語れるレベル。この大きな葛藤が、ゲームでは眠りという形で表現されています。ガノンドロフの台詞で、海の夢を見ていると言われていますが、これはテトラとしての自分を取り戻しつつあることを示唆しているんですね。そして目覚めの第一声。これがもう圧巻です。
いきなりガノンドロフを“いまいましいオヤジ”扱い。これがマジでスゴい。
ガノンドロフはハイラル王国を滅ぼした元凶なわけです。ハイラル王家ゼルダ姫にとっては因縁の相手。絶対に許せない仇敵です。それをオヤジ呼ばわり。これってつまり、「お前なんか知らん!」と言ってるんですよ。自分はハイラル王家ゼルダ姫ではなく、海賊のお頭テトラであることを主張する強烈な一撃!
この“寝坊しちまった!”は、さっき書いたように、眠り=葛藤の比喩表現であることの裏付けになってるわけです。そして言い回しから、言外に(こんなくだらないことで悩んでしまった!)というテトラの心情が滲み出ていると思いませんか?
続いてハイラルを“こんなトコ”呼ばわりし、帰る場所を海と定めてるんです。テトラのトレードマークとも言うべきウィンクをしながら!
「自分は海賊のお頭なのか?滅んだ王国のお姫様なのか?」という非常に大きな葛藤を、テトラらしい台詞と表情で以て一気にぶち抜く!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
しかもプレイヤーからするとかなり久しぶりにゼルダ姫ではないテトラに会うので、ギャップも相まって非常にグッとくる!マスターソード持ってきてカメラ外でリンクに手渡してるのも好き。さらにここを深読みすると、時のオカリナのラストバトルとの対比になってるんだよ!リンクにマスターソードを取りに来てもらうゼルダ姫と、リンクにマスターソードを持っていくテトラ!過去を、先祖を越える!ゼルダではなくテトラとして!行動、台詞、舞台、表情、どれを取っても完璧すぎる!!なんだこれ!!!すべてが突き抜けている最高のシーンにもほどがあるだろ!!!!!ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!
ラストバトル後
風
この台詞は本当に深い……何重にも意味が重なって受け取れるようになっています。まず、今際の一言なので、ゲルドの砂漠に吹く風──死を運んでくる風=自らの死を意識した台詞と取れます。おそらくですが、ガノンドロフは故郷のゲルド砂漠のことがあまり好きではなかったんじゃないかと思うんです。なにせハイラルの復活は望めど、ついぞゲルドの復活を望む素振りを見せたことはなかったんですから。あの世界の大地は海に沈んでいるので、ゲルドもまた滅んでいるんです。子孫は生き残ったかもしれませんが、“漂う木の葉のような島”に追いやられている。それでもハイラルを、ハイラルだけを求め続けた。それなのに、ハイラルとともに滅びゆく自分。そこで最期に感じるのが故郷の、あの忌まわしき風。ずっと欲しかったあの風は手に入らず、捨て去ったはずのあの風が最期に自分を迎えに来る。欲しいモノはすべて手に入れてきたのに。盗賊王と呼ばれていた自分の運命の皮肉さに、笑って死んだ。時のオカリナでは怒り、恨み、屈辱といった表情で封印されているので、やはりここも対比になってますね。
風のもう一つの意味。当然、ここも対比表現です。ゲルドの砂漠に吹く風は死をもたらしてきた。ならハイラルに吹く風は?死の反対は生。新しい命です。ゲーム内では希望、未来と呼ばれているモノ。いい年したおっさんが“バカげている”と切り捨ててやろうとした子ども二人に完敗ですよ。まさに風が吹いたんです。笑うしかない。
リンクが風の勇者と呼ばれていて、戦うまでそれを認めていなかったガノンドロフ。プロローグも含め、バトル前のやり取りなどすべて伏線になっていると解釈できる台詞なんです。風が吹いているという表現はリンク、つまりプレイヤーへの賛辞にもなっている。もうホントに最高の台詞。たったひとつの短い台詞でここまで深みをもたせられると、もはや感動するしかない。もう、なんというか、ある種の神懸かった到達点だろこれ……
ハイラル王とテトラのやりとり
ゲーム中盤にも似たようなシーンがあるんですけど、このシーン、見上げる二人と見下ろす王の構図めっちゃいいんですよね……未来ある子どもたちと失敗した大人。
これを言うテトラとそれを聞いたハイラル王の表情、スゴすぎる……いま最新のゼルダを作ってる人に失礼なんですが、『ティアーズオブザキングダム』や『ブレスオブザワイルド』にまったく負けてない。これ2002年のゲームって本当ですか?
テトラの健気さ、何度でもやり直せばいいという子どもらしい純真さ。それを受けたハイラル王は、悲しい表情から、諦めたような、嬉しいような微笑みへ。新しい王国に自分は行けないし、行ってはいけないと思っているんです。そして、テトラたちならきっと新しい国を作ってくれると確信したんです。
“お前たちの国だ!!”で音楽が消えます。ここで流れている音楽はハイラル王のテーマ、つまりハイラル王国を象徴しているわけです。それがこのタイミングでぶつっと切れる。ハイラルの完全な崩壊です。これは願いが完全に実行されたのもあると思いますが、それと同時にハイラル王が新しい国の誕生を予感、確信したからでしょう。演出、良すぎか……?
ハイラルとともに沈んでいく、ハイラル王とガノンドロフ。マスターソードもあるんですよ。後のシリーズ作品を見ると、これも非常に大きな出来事ですよね。風のタクトが発売した時代よりもあとになって評価が上がっている──ゼルダ・サイクルが起きたのはこういうところもあると思います。シリーズ作品全体で見たときに、より味わい深いシーン。もちろん、制作陣からすれば面白い遊びを作ることが一番大事なので、ストーリーを最優先していないのは分かっているつもりです。それでもこういうので興奮しちまうんだ……
スタッフロール
スタッフロールは海の中で描かれます。今までに出会った人たち、冒険の思い出が泡となって浮かんでいく演出。これって最後の演出から考えると、リンクとテトラが海面に上がるまでのシーンを描いているんですよね。それを第三者の視点から見ているような映像になっているわけです。海の中で、三人称視点……つまりこれ、海の底に沈んだハイラル王が最期に見届けている光景なんですよ!リンクとの冒険の思い出、未来へと船出する子どもたちの姿が泡に浮かんでいってるわけ!!最っ高の演出!!!スタッフロールの使いかたが完璧にもほどがある!!!!
いや、それなら視点(カメラ)が海面に浮上していくのはおかしいだろ?うるせえ!オレの中ではこれはもうハイラル王の視点なんだよ!!リンクの持つゴシップストーンがこの光景を見せてくれてるんです!!!そういう設定がちゃんとあります!!!!(こういうときだけ公式設定を持ち出す)
ラストシーン
この記事、一生ぶんの「対比」を言った気がしますが、ここも対比です。魔獣島に行くときとの対比です。あのときはみんなに手を振り返しながら妹を助けに行くリンクでしたが、今度は妹にも見送られながら背を向けて出発します。小さな島の小さな村の小さな少年が、冒険を経て妹を助け、勇者と呼ばれるようになって、大人たちの過ちを知り、それでも未来を託され、大海原へと船出するのです。まだ見ぬ大地へ。希望に向かって……
あとがき
はい。語り散らかしました。ここまで付き合っていただき、ありがとうございました。満足しております。やっぱり風のタクトのストーリー、好きだなぁ……大人の思惑や過ちを、子どもが飛び越えていくみたいなハナシがめっちゃ好き。
あらためて、名作をありがとう。風のタクト、22周年おめでとうございます。