桜舞う、堀ノ端公園にて。
「なあ、見ろよ。これ以上無いってくらいリアルでリアルなリアルだろ。」
チーフは完璧な作り笑いの顔で、その方向を見つめたまま動かない。
何にも言えない僕は、何にも言えないまんま隣に馬鹿みたいに突っ立っていた。
話は10分前に遡る。
いや、違う。
1ヶ月前から話さないといけないだろう。
半年前に店を上がったチーフとは、会う頻度はそりゃ減ったけど、近況はちらほらと聞いていた。
夜の世界から抜ける。
と、見栄を切ってまで飛び出た割には、繋がりのある店のヘルプに入ってるみたいで、先週はあの店で見た、その前はあの通りで会ったなどと、希少動物のような目撃情報が常連客から寄せられていた。
それらがある時期を境にパタリと途絶えたのは、多分どっかの店の女の子に入れあげてるからではないのかとは、夜な夜な会議を重ねた常連客と僕らのろくでもない結論だ。
暇か。
あまりにも意外な事に、それが飲み屋ではなく小さな雑貨店だったと言う特ダネは、ある夜常連のSさんによって持ち込まれた。
と言う訳で、
大体あってた。
「中にカフェスペースがあってね。かわいらしい飲み物とケーキなんかも出してるみたい。しかも店長さんすごい美人で、ありゃ間違いないわね、チーフ完全に惚れてるわよ。」
数回見かけただけと言う割には、いやに詳しい。
こういう時、瞬時に悪ふざけを考え出せるのは僕の才能だし、それに一秒も迷わず乗っかってくるのは店長とオーナーの懐の深さだと思う。
かくして翌日の営業前、チーフがその雑貨店の扉を開けた時、カフェスペースには何とかフラペチーノを握った、僕ら三人がならんで座っていた。
「やあ、偶然だね。」
目があってから5秒で僕らを店から引っ張り出したチーフは、なぜだか僕だけを連れて歩き出した。
「あの二人はあかん。何を言っても無駄だ。」
それもそうだ。
「奴等は仕方ない。災害みたいなもんだ。いいか、ちゃんと答えろよ。この事知ってるのはお前らだけか?」
「えーと。Sさん。」
あー、と天を仰いでチーフは足を止めた。立ち止まったまま一人でブツブツ言っている。
「いや、まだ大丈夫。Sさんだけなら何とかなる。今度呼び出して口止めしとこう。あの二人も今日のでだいぶ気が済んだろ、しばらくは大人しいはず。」
「別に良くないっすかー。悪いことしてる訳じゃないんだし。」
大事なとこなんだ。
チーフが僕を見上げて言う。
「今、邪魔されたくないんだ。何と言うかこう、いい感じにいい感じなんだ。分かるだろ。」
わからない。
いい感じにいい感じが特にわからない。
が、そう言うことには奥手だとばかり思っていたチーフの恋は、意外に佳境を迎えてるようだ。
告白直前か、いやまさかプロポーズとか。チーフだってもういい年だ。昔の恋愛を拗らせまくっていたチーフに、長い潜伏期間を経てやっとやってきた恋の話。
あえて言おう、ラストチャンス。
9回裏。
サヨナラのバッターボックスだってあり得るのだ。
「…来月、初めて彼女の店の花見に誘われたんだ…。」
試合は始まってなかった。
なんなら前日の宿舎だ、まだ。
「だからいいか。邪魔するなよ。」
それをどうやって邪魔すればいいのかと思いながら、わかりましたと僕は頷いた。
夕暮れの風はまだ冷たいが、残った日差しは季節が変わるのを知らせていた。
そうか花見の時期か、と僕はこっちを睨むチーフを見ながら思った。
4月。
うちの店の花見を、雑貨店のそれと同じ日にしたのは、完全にオーナーの親切だ。
「あっちのお花見も今日よ。店に案内のポスター貼ってあったから間違いないわ。」
通りすがりにと言う割に、相変わらず詳細情報をSさんは仕入れてくる。
「あんな美人に彼氏や旦那がいないはず無いだろ。しかもまだ連絡先も知らないって、そりゃ先はないない。」
とはオーナー。
「おんなじ日なら振られたってコッチに来なくて済むだろ。だから日を合わせたの。」
とは店長。
「いや見たかったっす。それ見たかったっす。」
が僕。
三々五々に集まり出した常連客は、もう半分がた散ってしまっている桜の下、小さな輪をいくつも作り、思い思いに飲んでいる。
「城下広場はもう散っちゃってるねー。昨日会社の人間が堀ノ端で花見したって言ってたけど、あっちはまだ残ってたらしいよ、桜。」
常連のひとりが早々と酔った口調で言う。
そう、堀ノ端公園。
それが、チーフの向かう、彼女の店の花見会場だ。
缶ビールに焼酎ウイスキー、ワインと日本酒はクーラーに、ソルティドッグ位ならカクテルだって出来ますよと言う、バーの意地をかけたような宴の中盤。
散らかった空き缶を、僕が回収している時に携帯が鳴った。
着信はSさん。
ぐるりとブルーシートを見回すが、さっきまで居たはずの姿は見えない。
何だろうと思いながら電話に出た。
「何にも聞かないでひとりで堀ノ端公園に来て。いい、ひとりでよ。オーナーも店長もなしで。」
昼前に始まった花見は、その頃には50人を越える大所帯になっていて、上司は二人とも代わる代わるに酒を注がれ酔っていたから、その場を抜けるのは簡単だった。
急げば5分もかからない。
僕らのいた、城下広場から少し下った場所にある堀ノ端公園は、なるほど桜がまだ残っていた。
散りかかりながらも、何とか満開に近い桜並木の真ん中ほどに、チーフとSさんが二人で立っているのが見える。
あのシルエットは間違いない。そして間違いなく嫌な予感がする。
あんまり急いで行きたくなくて、僕はゆっくりと二人に近づき声をかけた。
いや、かけようとして、その向こう側の風景を見てしまった。
20メートルくらい先の桜の下。10人くらいの花見客に囲まれて、彼女はそこにいた。
赤子を抱いて。
長くなってしまったが、話を冒頭に戻そう。
もう、冒頭が何だったか忘れてしまった人は、一旦戻って見てきて欲しい。
もう一度ここに書くことが憚られる程の、虚勢から捻り出されたチーフの決め台詞を。
あまりの事に呆然としていた僕は、はっと我に帰った。
こんな時、何を言えばいいのだろう。
慰めは失礼で、励ましは嘘っぽい。
笑い話に出来る程に、まだ時間はたっていない。
「チーフ。」
良いって何にも言うなよ、現実なんてこんなもんだ。またいい出会いを探すよ。笑ってくれ、その方がマシだ。
みたいな顔を作ってチーフが振り返った。
そんな顔を見せられたら、僕の言うことはひとつしかない。
「ドンマイ。」
飛び上がって僕の頭を叩く、チーフのさらに上から、桜が舞って落ちてくる。
ざっと風に吹かれて散った花びらが、はらはらと公園中に降り注ぐ。
その桃色の欠片が、彼女の視界からチーフを隠してしまえばいい。
頭を叩かれ続けながら、僕はそれだけを願った。