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エール


「何にも特別な日じゃなかとやけん。いつもどーり、いつもどーりたい。」


と、母ちゃんは朝から何度も言って、多分オレより緊張している。


ご飯と味噌汁と卵焼きに、納豆とウインナーとサラダ。


サラダ。


今だかつて朝御飯で見たことの無い、彩りも鮮やかなレタスとキュウリと真っ赤なトマトのサラダ。


意気込みが感じられる。


高校受験日の朝は、母ちゃんが言うのとは正反対の完全な「特別な日」として始まった。

サラダのせいで。

駅へ向かう田んぼ道には、何をしてるか分からない農家のおじゃんがちらほらいるだけで車は走ってないから、オレは自転車のスピードをあげる。

3月頭の朝の空気は、春は始まってるはずなのにほっぺたを引っ掻いていくように冷たくて硬い。


半年前。


塾の先生と母と三人で志望校を決めた時、まだオレ短パンだったなあと思い出して、何だかそれは遠い昔話のように懐かしい。

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「お母さん、チャレンジです。」

塾の面談室はエアコンが効きすぎていて、Tシャツに短パンのオレの腕にはびっしりと鳥肌がたっている。


「夏までの成績なら充分狙える位置に居ます。まあこれから伸びてくる子もいますから絶対大丈夫とは言えませんが、彼だって冬に向けてまだまだ伸びるはずだし、でもまあ受験に絶対は無いんで油断は禁物ですが、このままのペースで行ければある程度余裕を持って試験を迎えられると、個人的には思います。」


どっちだよ。


黙ったまま鳥肌を撫でる僕を置いてきぼりにして、母ちゃんと先生はチャレンジとか挑戦とかいうフレーズをやたら多用しながら話し込んでいる。


一番の当事者としてはかなり不安な内容なんだけど、どこでどう納得したのか不意に母ちゃんがオレの方を向いて言う。


「やっぱりこの高校に決めましょう。ね、チャレンジよ。」


何かが吹っ切れたような、さっぱりとした表情の母ちゃんから顔を元に戻すと、正面の先生もおんなじ表情をして言う。


「チャレンジだよ。」


頑張ります、以外の言葉を許さないようなキラキラした圧に押されて、オレは面談室で初めて口を開いた。


「頑張ります。」


鳥肌は腕にびっしり浮いたままだった。

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都会へ向かう電車の中は、暖房が効きすぎていて暑い。


ばあちゃんが受験用にとくれたマフラーは、サラダのトマトよりさらに赤い。

勝負事には赤が良いと言い張るばあちゃんは、オレがちゃんとマフラーをしていくか玄関を出るまで見張ってた。


あと御守り。

これだけあったらどっかとどっかの神様がバッティングするんじゃないかと言うくらい、あちこちの神社から買ってきて、昨日の晩に渡された。


オレのチャレンジは、相当家族に心配をかけているらしい。


地元の街から40キロも離れた進学校を受験するのは、うちの中学からオレ一人。


母子家庭で小さい頃から「なるだけ早く、広い世界に出ていきなさい」と繰り返し言われてきたオレに、地元の高校という選択肢ははなから無かった。


あとこれは余談だが、という言い方で照れ隠しをするけれど、母ちゃんは、母一人という状況を周りに不憫だと思われるのが我慢ならなかったんだと思う。

「あそこは片親だから」

みたいな、誰にも言われてない評判におびえて、親父が死ぬなりオレの尻をせっせと叩いた。

そして、多分オレにも不憫だと思わせないために。

あれ、どこに照れ隠しがあったんだっけ。



降りた駅からの道は、母ちゃんと下見で一回来てるから覚えてると言うのは嘘。

ビビリの田舎者をナメるんじゃない。

実は一人でも一回来た。

三度目の、もう何だか見慣れた道を、オレはひとり歩き出す。


仲の良い中学の同級生はみんな、オレの心変わりを促した。結構しつこく。


「友達ひとりもいなくなるばい」
「通学遠かけん大変ばい」
「都会は危なかて聞くし」


うん、とか、ああ、とか。

思うような返事をしないオレに、諦めたやつらは「まあ頑張れよ」と、言ったような言わなかったような。




遠くに立派な校門が見えてくる。気付けば周りは色んな制服を着た中学生だらけだ。


そろって鼻の頭を赤くした受験生たちは、まっすぐに緊張した目を校門にロックして、早足で歩いてく。



「あそこの高校ば受けるとやろ。こっちに残らんてもう決めたと?」


一年前から片想いしてるあの子は、偶然すれ違った渡り廊下で、すれ違いながらそう言った。


緊張しているように見えた。


うん、と。


振り返りながら答えた僕に、背中を向けたまま


「決めたとね。」


振り返りも立ち止まりもせずに確認する様に言うと、そのまま校舎の中に消えていった。






4月になったら咲き誇りますよ、あなたが見られるかは知りませんが、とでも言うような緑色の桜並木の手前で、オレは一旦歩くのをやめた。



並木道のさらに奥に見える校舎は、今はまだ僕の場所ではない。


グランドも体育館も、どっかにあるだろうプールも売店も。


地面に落ちた桜の葉っぱ一枚だって、今はまだ僕とは関係の無いものだ。



桜並木に挟まれた校舎までの道は、なだらかな上り坂になっている。



バックから、隠しておいた赤マフラーを出して首に巻く。


御守りの所在を指先で確かめる。



大きく息を吸う。
大きく息を吐く。



上り坂を、歩き出す。



少しずつ早歩きになりながら、「でも」ってオレ思ったんだ。



普段は見ない朝のサラダも、ばあちゃんの赤マフラーも大量の御守りも。
塾の先生のチャレンジも、しつこかった同級生も。

あの子が振り返りも、立ち止まりもしなかったことも全部全部全部。



全部。




校舎に吸い込まれていく中学生の群れに混じりながら、オレは結構大きめの声で、その全部に答えた。



「頑張ります。」



何人かが驚いて僕を見た。














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gm
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