ホタルイカ(1)
別に悲しい話というわけじゃないんだけど、長くバーカウンターに立っていると、恋人同士の終わりをたまに見かける。
それは分かりやすい別れ話とか派手な修羅場ではなくて、端から見ればあくまで自然に、しばらくは気付かないほど日常に紛れている。
大抵はカウンターに、かつて彼女と呼ばれていた女性だけがひとり座る日々が続き、ふいに遅まきながら僕はそれに気付くのだ。
彼女等は、どこでその術を学んだんですかと聞きたくなるほどちらっとも匂わせず、あたかも秋が来ましたね冬が近いですねとでも言うように、こないだまでを脱ぎ捨てて真新しく見慣れない何かを纏って、あくまで普通にお酒をオーダーする
そこに寂しさや悲しみを見ることは無いし、仮に見えたとしても僕らバーテンダーに出来ることは、はっきり言って何も無い。
ただ、もちろん例外はある。
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白石君は毎週末に長崎からやって来る。
高速バスで片道三時間半、六枚綴りの定期券を買うから往復で五千円くらい。
それでも貧乏大学生には痛い出費なんです、と白石君は言う。
金曜日にやって来ては十時までの二三時間をカウンターで過ごし、恋人からかかってくる電話を合図に帰っていく。
「僕らって、中学の同級生なんです。」
と、初めて店に来た夜に彼は言った。
「完全に僕の片想いで、三回告白して三回目でやっとオッケーもらったんです。彼女、頭いいから同じ高校に受かるの大変で。人生で一番勉強しましたよ。ただ大学は無理で、彼女こっちの大学の薬学部にいるんです。僕は地元の学校に。実習だかなんだかで帰りが遅いんですよね。僕こっちに友達もいないし、だからこちらのお店で待ってるんです。彼女が帰ってくるのを。」
いじらしいなあ、オレ。
と白石君はしみじみビールを飲む。
水商売にすっかり染まっている僕は、もうこのあたりでちょっと意地の悪い未来予測をしている。
大人がしたり顔で「そのパターンだと大体こうななるんだよね」みたいな事を頭の隅で考えたりしてる。
もちろん口には出さない。
そうならなければいいんだけど、とも思わない。
この時点での白石君に、思い入れみたいなものは全く無い。
「保育園みたいなものですよ。」
白石君は、ゆっくりゆっくりとビールを飲みながら言う。
バス代を心配する時のように、当たり前な日常の口調で。
保育園ですか?
あくまで儀礼的に、僕は白石君に訪ねる。
「ほら、僕が預けられてる子供で彼女がお母さん。帰るよーって電話が来たら走って帰っていく。なんだか保育園みたいじゃないですか。」
なるほど、と僕はにっこり笑って口先だけで言う。
白石君の彼女を見た事は、ない。