夜に抱かれて
タイトルと画像から、ロマンチックなお話を想像された方に、まず謝りたい。
コレはそんな色気のあるお話ではない。
全然、違う。
しかも、このバーシリーズで多分ひとつも良いところの無い僕の、最悪のエピソードのひとつである。
最悪のひとつ、と言う矛盾はこの際お許しいただきたい。
思い出しただけで、怒りが間欠泉の様に噴出しているのだ。
このお話に出てくるその男。
名前を「まこと」と言う。
お気付きだろうか。
僕はこのバーシリーズnoteの登場人物を、全て役職名かイニシャルで統一してきた。
イニシャルにしたって本名とは無関係だ。
ただ「まこと」はそのまま「まこと」
本名だ。漢字と名字を隠した事を誉めて貰いたいくらいだ。
まことは、チーフが店を上がった後、1年後に補充要員として、やってきた。
長期間居酒屋勤務の元モデルと言う、会う前に聞こえてきた経歴が、今思えば何かの予兆だったんだろう。
顔見せの日、「よろしくお願いします!頑張ります!」と一人一人に頭を下げ、僕だけをスルーして帰っていった時、それは早くも確信へと変わった。
オーナーが近寄ってきて言う。
「俺らに言われてもなあ。あいつの生殺与奪はお前が握ってるのにな。」
そう、まことは僕のバーテンダー時代の初めてにして最後の後輩だ。
まこととは、7年半同じ店で働き、僕が独立し彼が店を辞め、最後は「てめえ、二度と連絡してくんな」と僕が言って別れて5年が経つ。
今でも泥酔した時に限って、たまに電話があるが三回に二回は出ないようにしている。
そういう間柄だ。
と、言うわけで。
彼との7年半のエピソードは、それはもう些細なことから言えば「土曜日の丑の日」やら「フード・プロフェッサー」やら「冷蔵庫の半導体」やらやらやらで、枚挙してたら肩が外れるんだけど、その中でも一番デカイやつをご挨拶代わりに聞いていただこうと思う。
それは、春先のある夜だった。
ひとつ前のnote
で、チーフが桜と共にさっぱりと舞い散ったあの日の、2年後のお花見の夜。
その頃には、入店して半年ほど経っていたまことと僕に、そのイベントの段取りは任されていた。
朝からの準備、場所取り、接客。
常連さんにも、やっと顔と名前を覚えて貰ったまことは、意外と言えば意外な事に、それらをそつなくこなしている。
飲食業界が長いとは言え、居酒屋とバーでは業務内容や時間帯がかなり違う。
まだまだ慣れないところはあるけれど、なかなかしっかりしてきたじゃん、と思っていた。
この時は。
花見から流れた二次会も終わり、希望者だけを引き連れて、店長が三次会の店へ常連客と向かう。
宴会場をざっと片付けて支払いを済ませ、僕らはその後を追っていた。
「いやしかし、初めての花見の仕切り緊張しましたよ。」
まことが、その日初めて疲れを滲ませて言う。
「仕切ったのは僕だ。お前はうろちょろしてただけだろ。しかもまだ終わってない。」
わかってますって、とまことが笑う。
「酒は飲んでいい。ただ、解散するまでは酔うな。ですよね。」
まことが、軽く体当りをしてきた。
「わかってりゃいい。三次会はSだからくれぐれも失礼の無いように。」
はーい。と僕の肩をぱんぱん叩きながら答える。
「ただまあ、昼間の動きは悪くなかった。店でもあんな感じで接客できれば、お客さんとも今より打ち解けるだろ。お前も大変だろうが」
ぱんぱんぱんが、バンバンバンに変わっている。
ん?どした?
視線をまことに遣ろうとした、その時。
「おい!」
はい?
振り返ると、まことが目を血走らせて立っている。
何ですか、一体。
フーフーフー、と。
わざとらしいくらい鼻から息を吐きながら、肩を怒らせたまことの目は、一体いつからですか、どっかりと酔いに座っていた。
「自分ばっかりが大変みたいな顔しやがって!俺だってなあ!俺だってなあ!大変なんだっ!」
戻りたい。二次会のお会計辺りに戻りたい。あと語彙力がヒドい。
一本路地に入ってるとは言え、繁華街のど真ん中。
通りすがる人達が、ちらちらと見ている。
僕らが誰だか知ってる人も、なかには居るかも知れない。
「おい!」(2回目)
はい。
「一発殴らせろ。それでチャラにしてやる。」
苦手。その感じ、超苦手。
でえりゃあああああああ。
と、僕の返事も聞かずに突進してくるまこと。
この半年間で、彼が文化系まっしぐらな青春を送ってきたのは知っていた。
ただ、その日初めて見た私服にはシルバーのアクセサリーがごちゃごちゃついていて、指には4つも指輪が嵌まっている。
僕も昼から相当飲んではいたが、それにしたってあれは痛そうだなと思った瞬間、頬に金属の感触がめり込んだ。
痛い。
シルバーアクセで武装した文化系を舐めていた。
めちゃめちゃ痛い。
しかし痛そうな顔を見せるのは絶対に嫌だったので、何でもない風を装って顔を上げる。
まことは、殴った勢いで僕の首に右手を回したまま項垂れていた。
「気が済んだか。」
出来るだけ渋く言おうとしたのに、何かが口の中に引っ掛かる。
コロコロと舌の上を転がっている。
歯。
歯ー!
途端にむらむらと、怒りが湧いてきた。
慣れないイベントの仕切りは殆ど僕がやった。疲れるだろうからと、まことの明日のシフトは休みにしてある。なんならさっきの二次会会費3000円は出してやった。
なのに、この仕打ち。
てめえ、さっきの3000円返しやがれ!
と、湧いた割にはみみっちい怒りを燃やしていたら、回された右手に力が入りぐっと抱き締められた。
え、嘘マジ、ナニコレ?
僕の肩に顔を押し付けたまま、まことは黙って僕をぐいぐい抱いている。
通行人の視線はじろじろに変わっていた。
「あのー。まこと君?」
大人が泣きじゃくるのを、初めて見た。
「うわーん。(ホントに言った)すいませーん。すいませんでしたー。好きですー。尊敬してるんですー。」
どこからか指笛が聞こえた。僕はいつの間にか囲まれていた酔っぱらいのギャラリーに、
「違うんです。」と言い続けた。
あれから、10年ちょっとが経った。
今の僕から、まだ街中で飲食の世界に居る、まことに言える事がふたつある。
ひとつは、
チーフが懲りずに僕を飲みに誘い続けた様に。
完全に「別れ話のカップル」と言う視線を浴びながら、僕が君の腕を振りほどかなかった様に。
先輩と言う立場を存分に使った自己満足を、自分の後から来る者に見せてほしいと言うこと。
それは、たとえ言葉で伝えなくても、相手の体の芯のどこかに、ちょっとだけ残り続けていくものだと思うから。
時に滑稽にして、でもすこし眩しく、そのバトンは渡っていくと願うから。