イグニッション
Kの事は説明が難しい。
なので、分かりにくいとは思うけど、取りあえず特徴を羅列してみる。
出来ればついてきて欲しい。
・基本リーゼントの黒縁メガネ
・大体アロハシャツ
・ブライアン・セッツァー大好き
・元魚屋
・元レストランバー経営
・年上で飲食歴も上
・無口
・バツイチ
・料理の腕はすごい
さあ、嫌になったろう。
僕だって書いてて嫌になったから、間違いない。
キャラクターがウロウロしすぎてる。
ただ、そういうヤツとしか言い様が無い。
ひとつ年上のKは、地元でそれなりに定着してた自分の店を辞めてまで、うちの店にやってきた。
「熊本の繁華街のど真ん中。そこを経験してみたいんです。」
と、言うような事を、オーナーにぼそぼそと話してるKの印象は、悪いけど
「何考えてんだか。」
だった。
飲食業は、長く働いてる人間ほどスタートが早い事が多い。
16から10年業界に居ますが、みたいなヤツが結構居る。
30前でわざわざ新人になる意味が、当時の僕には分からなかった。
「一応、後輩なんで。敬語使った方がいいかな。」
初出勤の日、Kは挨拶の前にそう言った。
古い飲食の世界は、各店舗でそれぞれルールがある。よそは知らないが、うちは年もキャリアも関係なく「後から入ったら後輩」だった。
別にどうでもいい。と、答えた僕は、正直不貞腐れていた。
先日チーフが辞め、めでたくメインのバーテンダーになったのに、経験も技術も上で、しかも元経営者と言うフルスペックの新人が来たのだ。
人手不足の解消を、手放しでは喜べない。
「じゃ、タメ口で。」
と言いながらKは、ロングブーツを脱いで着替えだした。
スタイルは基本ロカビリーらしい。知るか。
「気に入らないが顔に出てるな、新チーフ。子供か、お前は。」
金髪店長は、仏頂面の僕に呆れて言う。
「でもおかしくないですか。一応は後輩ですよ。そりゃあキャリアも、多分腕も負けてるかも知れないけど。でもここでは僕が先輩でしょ。」
ペキペキと。
仕込みの手羽先の間接を折りながら、金髪店長は言う。
「まあ、わからんじゃない。ただな、お前ももういい加減プロなんだ。ぺちゃくちゃ喋らないで仕事で黙らせろ、仕事で捩じ伏せろよ。プロなんだからよ。」
時計を見た。
準備の手を止めて、僕はもう30分も話していた。
「取りあえず、喋っててもいいから手も動かせ。仕事中だ。ただ喋るな。」
店長は、手羽先を脱臼させ続けながら言った。
無口な上に人見知りで、人相もいいとは決して言えなかったから、Kは常連客に、はじめは好かれなかった。
「なあ、どうしたらいいと思う。オレ多分皆さんに嫌われてるんだと思うんだよ。いや、間違いないね。」
営業が終わり、片付けも終盤の朝方。
二人だけになったら、ボリュームを最大にして、交互に自分の好きなCDをかける。
僕とKが揃った夜の、それは恒例になっていた。
「ええっ!?何?聞こえない!」
ブライアン・セッツァー・オーケストラのボリュームをほどほどに落とし、Kがカウンターで帳簿をつける僕の隣に来て愚痴る。
「こないだのは、完全にお前のせいだからな。あの黒板の新メニュー。」
Kは自分のグラスと僕のステンレスのカップに、サントリーの角瓶をどぼどぼと注いだ。
「言われた通りに黒板に書いたら『ふざけてる』って総スカン。何人か目がマジだったもん。ありゃ完全に嫌われたね。」
「だって、『僕と君とのカルパッチョ』なんて、マジで書くと思わないじゃん。そりゃ信じる方が悪いよ。」
Kは自分のグラスを雑に指で混ぜると、ウイスキーを半分くらい一息で飲んだ。
「新チーフはたまに真顔で人騙すよな。街中の水商売はみんなそうなんかよ。まったく。」
くっくと笑いながら、僕もカップの酒を飲む。
うちの店は、遅い時間、特に片付けの時には好きに酒を飲んで良かった。
僕は、一晩の喧騒を全部拭い終わった後の、ぴかぴかに光ったカウンターで飲むウイスキーが、一番好きだった。
「まあいいじゃない。一応話題にはなったんだし。あと、お前もっと笑った方がいいよ。顔怖いんだしさ。」
しばらく悩むと、Kは「こうか?」と顔を向けた。
営業中の、妙に強張った笑顔ではない。
笑うと人懐っこい顔になるKを、僕はこの頃もう後輩だとは思っていない。
「できんじゃん。やれば。」
僕らはこの時、バーテンダーと言う世界で、何者かになろうと必死だった。
それは、常にふざけ合っていなければならない程不安で、絶えず足掻き続けなければ溺れてしまう様な毎日で。
そんな日々に隣に立つKは、すっかり僕の相棒だった。
そう。
確かにあの頃、僕らはチームだったんだ。
Kが年内で店を辞めると聞いたのは、12月も半ばを過ぎた頃だ。
オーナーは、あまりの事に固まる僕に
「しょうがないじゃん。本人がそうしたいって言ってるし。」
とだけ言った。
その日の深夜。
なんでどうしてと詰め寄る僕に、大して悪びれもせず、Kは言った。
「ごめんごめん相談もしなくって。オレさ一回店やってるから、自分でやる面白さ知ってるんだ。街中はめちゃくちゃ厳しくて、地元とは全然違うけど。嫌になって辞めるんじゃない。この店もスタッフ皆もすごい。もう毎日がすごくって楽しくって。だからもう一回やりたくなったんだ。ここで教えて貰ったことや、出来るようになった事を、もう一度、地元で、自分ひとりで。だから、辞めるって決めた。」
この世界では、よくある事だ。
当たり前だけど、僕らには終身の雇用契約がある訳じゃない。
酷いのになると、ある日突然来なくなったりもする。
それだって珍しいことじゃない。
なのに、何でこんなに僕は怒ってるんだろう。
「いや、それがさ。さっき店長に話したんだけど、そしたら辞めるまでに一杯オリジナルでカクテル作れって。無理でしょ、そんなの。だからお願い!手伝って。」
いや。知らん。勝手にやればと言った自分の声はひどく醒めていて冷たく、そのままコンクリートの床に落ちて消えた。
年末までの日々は、いつもと変わらず、忙しくも普通に過ぎた。
相変わらずKは、常連さんには人気がなかったけど、辞めると告げると惜しんでくれる人もいた。
「寂しいんだろ。」
店長はそう言って、よくカウンターで僕を弄ったけど、笑って受け流せるようにもなった。
ただ、わだかまりが消えた訳じゃない。
幾分かは、営業中にも屈託無く笑うようになったKの笑顔を見るのが、少しだけ嫌だった。
「で。出来たんだろうな。カクテル。」
12月31日。
明けて。
1月1日。
毎年大晦日は年越しパーティーと称したイベントをやる。
営業時間もオーダーストップもなくなり、年明けの瞬間には、お雑煮とシャンパンのサービスがあった。
店の終わった同業者も、時間差でやって来るから、例年片付けが終わるのは元日の昼前になる。
嵐の様な忙しさからやっと解放され、取りあえず片付けを後回しにした店内に、僕らは3人でいた。
100杯近い雑煮を作り続けたオーナーは、少し前に「じゃ、K。頑張れよ。」とだけ言い残し、帰ったばかりだ。
「オーナーにも、見て欲しかったんだけど、まあ、仕方ない。引き留めたら、あの人多分死んじゃう。」
自分も相当に疲れた顔で、店長が言う。
Kは、何だか自信ありげに笑っていた。
久し振りにまともに見たKの笑顔は、不思議と嫌じゃなかった。
それが疲れのせいなのかは、わからない。
Kはバックバーからショットグラスを3つとワイルドターキー8年のボトルを取った。
グラスをカウンターに並べながら、悪戯でもするような顔で僕を見た。
シェーカー振れとは言わないけど、せめてロングカクテルにしろよ。ショットグラスでどうするんだよ。
僕は仕方なく目で言うが、大丈夫と言うようにKは頷いて返した。
そしてそのまま、グラスになみなみとバーボンを注ぐと、ボトルを置いた。
「一応聞こうか。これは、何だ。」
店長は、コックコートの前を開け、にやにやしてKを見ている。
カクテルとは、2種類以上の酒やジュースなどの副材料を混ぜたものを言う。
ドライマティーニやドライギムレットなど、香り付けくらいにしか副材料を使わないカクテルもあるにはある。
でも、これはあんまりだ。
3杯並んだ、ただのバーボンのストレートを前に、Kが言った。
「オリジナルカクテル、『イグニッション』です。バーボンにオレの旅立ちへの意気込みと、この店への感謝を混ぜたカクテルです。」
思わず、笑っていた。
こういうヤツだった。
にやにやしたまんま、店長が言う。
「イグニッションの意味は?」
はい!と背筋を伸ばし。
結局上手くはならなかったカクテルサーブの手付きで、Kは僕らの前にグラスを押し出した。
「点火です。または着火。」
もう無理だ、と店長も笑いだす。
こういうヤツだ。
こういうヤツだから、僕はKが好きだったし、好きだからあんなに怒ってたんだし。
そして、今別れがこんなにも寂しいんだ。
笑いすぎて涙が出る。
その本当の意味は、もうどうでもいい。
「新しい店の名前は何だ。」
乾杯するぞと、まだ笑いを残しながら店長がグラスを上げた。
「キャラバン・カンバック・スペシャル2006です。」
吹き出しながら僕らは、グラスを目の高さで合わせ、盛大にそのカクテルをこぼした。