わたしの「さみしい」の原因は、インスタだった
友達もいるし、家族も元気だし、大好きな彼氏もいる。
それなのに、なぜか時々とっても「さみしい」と感じる。
なんでなのか、考えてみた。
相対的に見て予定がない
え、どうしようもうこれに尽きる(笑)
時間があるとすぐインスタグラムを開いてしまう。人のストーリーを見るのが大好き。あれ、みんな外に出てる。予定あるのか。私はない。あれ?
友達と遊ぶ予定も彼氏と会う予定もこの先あるけど、今誰もいないから、さみしい。
彼氏が遠距離なのも大きい。半年間、同棲のようなものをしていた時は全くさみしくなかった。むしろ彼氏がいない時少し嬉しく感じる時もあったくらいだ。
ひとりの時間を満足に咀嚼できていない
ネットフリックスを見るとか、本を読むとか、服を買いに行くとか、ジムに行くとか。趣味はあるし、充実している。いくらでも休みが欲しい。でも、なぜかさみしいと感じる。
「趣味」というものが、充実していて満足感の得られる無駄なこと、だとするなら、私にとって、趣味だと思っている上記は趣味になりきれていないのかもしれない。ひとりの時間を埋めるための行動、にすぎないのかもしれない。実際に、ネットフリックスで見ている作品は他の人と話がしたいから見ている、という側面もある。勿論、流行りのものがなぜ流行っているのか知りたいとか、見たくて見ている作品もある。
結論、インスタやめろ
これに尽きる。インスタで人と比べて自分が充実していないように感じる。私のフォローしている友人たちは基本的に誰と遊んだとか、誰とご飯食べたとか、「誰かと何かをした」ということを発信している。ひとりじゃなかった、ということを発信している。ひとりじゃなかった、ということが発信者にとって「さみしくない」と直結するのかは知らないが、私にとっての「さみしくない」に直結するので、相対的にみて私自身が「さみしい」と感じてしまう。
結局、インスタ見てさみしくなってるだけなので、インスタやめろ、自分。
インスタ見るの、控えてみた
まじで体調がいい。インスタの代わりに、何かSNSを見たくなったらツイッターを開くようにした。わたしのツイッターは友達をフォローしていないので、さみしいという感情には直結しなかった。
さみしいと思うのは、人と比べているからだということがわかった。インスタを控えたら、一人で過ごす土日はとっても幸せで充実していることを実感した。もちろん、彼氏や友達、家族に会いたいけど。
みんなは、SNSみて寂しくならないのかな。
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