なんてったってシンディ・ローパー
小泉今日子の代表曲のひとつ『なんてったってアイドル』(1985年) 。
これはたぶん、「コンサートでファンとノリノリにノレる曲を」という制作サイドからの依頼を受けた故筒美京平氏と秋元康氏が、小一時間で作ったものではないかと勘ぐっています。
先ず「自身の音楽性や世界観を持ちつつも職業作曲家として割り切って売れる曲をどんどん作っていった」筒美京平御大が「なんてったってアイドル」という既存のフレーズに基づき20分程度でメロディーをこさえ、それに対しおニャン子クラブに象徴されるような80年代後半の「すっからかんな勢い」を仕掛けた秋元康大先生が前年にブレイクしたシンディ・ローパーのイメージでちゃちゃっと詩を付けた、と。
当初『ハイ・スクールはダンステリア』という邦題だった『Girls Just Want to Have Fun』(1984年) は、シンディのカラフルなはっちゃけ感で日本でも大ヒットしました。ただ、このように意訳された邦題により、ほとんどの日本人は歌詞や内容についてあまり分かっていなかったと思います。
そのイメージを秋元氏が彼女に「しれっと」当てはめたのではないかと。
「女の子は単に楽しみたいだけ、女の子であることを」を「アイドルであることを」に。
なぜ、シンディのイメージなのか。それは、18歳から二十歳すぎまでのアイドル期ど真ん中のころに彼女が付き合っていた当時のボーイフレンドがシンディ大好きだったから。
「変わっているコがいいな。ミステリアスで何考えているか分からないようなコに魅かれちゃうんです。でも明るいミステリアスですよ。暗いコはにがてだもん。だからシンディ・ローパーが大好き、いきなりワァーっと叫びだしちゃう。あれこそ明るいミステリアスですよ。」 MISS HIRO 1985年9月
そのことを秋元氏は知っていたはず。というのも、氏は当時彼の方にも詩を提供していて、彼が彼女の手を取り二人で歩いていた光景も見ていたから。
彼女は1984年までコンサートなどの衣装のはっちゃけ度は「そこそこ」だったのですが、彼の方は既にかなりアバンギャルドなステージを見せていました。それに感化されたのか、彼女も85年から水着同然(というか、まんま水着やブルマー)の衣装でどんどん過激に。イベンターも彼と同じところで、さらにコンサートが盛り上がるような曲を、と作られたのがこの曲です。
で、思ったよりいい感じで仕上がったので、じゃあシングルにしようか、という流れになったんじゃないかと思います。
歌う本人は後年、「スタジオで “イェーィ!” なんて言うのが嫌で、この曲を歌うのが嫌だった」と言っていますが、確かにファンも客もいないところでこれを歌うのは不本意だったでしょう。
彼もこの曲についてたぶん「バカくせぇ曲」と思っていたんじゃないかと。シンディの世界観とは違うじゃん、って。
『Girls -』は享楽的なようだけど、その底には若さゆえ女の子ゆえの刹那さ切なさがあるのに、この曲はおニャン子クラブ的な軽薄さだけでペラッペラじゃねーか、って。彼もアイドルだし。でも書き手も歌い手もそれは分かっていて、その時勢に売れるためにあえてそうした、と割り切っていたのでしょう。それが1985年の空気でした。
ところで、彼はこの曲で自分のことが歌われているということに対してどう思っていたのでしょう。「俺、イカしてるけどミュージシャンじゃねーし」といったところでしょうか。いつか聞いてみたいものです。