[パーソナリティ]私たちの時代の最後のロマンチスト「国民歌手」パク・チャングン
韓国語の記事を直訳したものです。
元の記事は写真付きであります。そちらも一度、是非見てください。
https://naver.me/I5cHFUJq
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(記事)
「お母さん、お母さんだけで終わる歌だけど本当に上手だった」
ある日、母が英文を知らなかった。歌詞を「ママ」としてだけ書くことができるか。母の言葉は半分だった。オーディション番組「明日は国民歌手」(以下、国民歌手)でパク・チャングンという歌手が決勝曲として取り出した「ママ」の後輩は本当にママ、ママだけ切なく繰り返し終わるからだ。母親の誕生日プレゼントレベルで「国民歌手」に出演したパク・チャングンは「ママ」を呼び、ママに優勝をプレゼントした。その無心なように激しい技巧と日当たりの良い悲しみは、現場にいた人々はもちろん、テレビの前にいた人々の心まで模造受付し、パク・チャングンを「国民歌手」にした。
パク・チャングンを知らなかった人は、彼のアットなルックスだけを見て、在野に埋もれていた新人で間違って知ることもできる。だが1999年にデビューアルバムを出した彼は今年で23年目の歌手だ。年齢は千人だ。パク・チャングンは自身の正規アルバムだけ4枚を持っており、デュエット、バンドとしても活動した。キム・グァンソクの歌で飾った小劇場ミュージカル「風が吹くところ」で3年間主人公イ・プンセ役を引き受けたことはもう遠い話だ。
国民歌手'で歌った歌とイメージだけで見ると、パク・チャングンはただ歌が上手で静かなフォーク歌手ろ映るかもしれない。だが彼は誰よりもはっきりとした自己世界を持つシンガーソングライターで、いつも人と社会、その間の共存とコミュニケーションに悩んできた歌手だった。だから知っている人々は彼を民衆歌手と見なすこともあるが、本当の当事者は民衆を大衆として理解し、扇動的な民衆歌謡と自分の音楽の間に明確な線を引く。パク・ハギの酷いロマンス、ルシッドポールの穏やかな冷笑、チョン・テチュンの赤い怒り、キム・グァンソクの哀れな思い出。民衆歌謡の代わりに大衆歌謡を目指すパク・チャングンの歌と音楽は、それらをすべて抱えて、過去23年間、ゆっくりと熟した。
そのようにパク・チャングンの音楽は虚無と喪失、魂と実体の間で絶えず後退した。彼はこちらか、それとも明確な境界よりも、こちらの向こうを行き来し、より良い方向を探す方を目指す。違いを認め、区分は地揚するのだ。アルバム「生きていくすべての人々に機会を」とそのアルバムに収録された曲「こんな思い一度どうですか?」はそれでパク・チャングン芸術世界の前提だ。そしてファンデミックを扱った「2020物語」とセウォル号を盛り込んだ「星になって下がる」は、そんなパク・チャングンの芸術館にそのまま合う結果物だ。デビュー作のタイトルを反反神話(または反価値観、Anti Mythos)で書いたのも、「私たちはどこに行くのでしょうか?」という歌を通じて私一人でよく食べてよく買える世界はないと話したこともみな心を触って心を動かす方向に自分の歌を役割を果たそうとするパク・チャングンの意志だ。彼は自分が謙虚な社会から抜け出すことができる創作者はいないという事実をあまりにもよく知っている創作者だ。
社会派歌手パク・チャングンの気質がキム・グァンソクの側は知心から来たらロマン派歌手パク・チャングンの感性は生まれたものに近い。彼は火の前ではピットバルを立てても晴れた空を見るとすぐに涙を流すロマンチシストでもある。パク・チャングンは「国民歌手」に出て「こんな姿でこんな歌をする人もいることを見せたい」と話した。彼は歌う4~5分以内に人生を経験し、その経験を他人への癒しに変える。理解とコミュニケーションの代わりに恥ずかしさと不痛が乱舞する現実でパク・チャングンの歌はだからあなただ。
「その頃に埋葬された本一冊に/人生を語って哲学を論じて/愛と正義と孤独と孤独なお酒を飲んでしまった/その時私たちの中に吹いてきたその風はもうどこに」
刻まれた「風の記憶」歌詞の一幕だ。短い歌詞の一行で彼の音楽が何を望んでまた見つめるかを知ることができる。社会と人、人と人の間のコミュニケーションまたは正義、そして愛。パク・チャングンはギター・メゴ・ハーモニカに尋ね、マイクの前に立った「カスタマー」という名前のヒューマニストだ。
キム・ソンデ(大衆音楽評論家)
入力2022.09.06。午前8時01分 修正2022.09.06. 午前9時13分