父親とドライブ、自分の帰る家
地元の話後編。
友達の結婚式の日を楽しく過ごし、豪勢な朝ごはんを食べたそのあと。
初めて父と二人でドライブをした、車にいる時間以外を含めると、一緒にいたのは五時間くらい。
泊まっていたホテルに迎えに来てくれて、それから弾丸でずっとしゃべりっぱなしだった。
昔は父の方が母より怖かったし話すのも苦手だったけど、大人になってからは父と居る方が楽になった。反対に母親のことが嫌になった、いろいろな理由で。まあその話はおいといて。
海沿いの道路を走りながらいろんな話をした。地元は曇りの日が多いのに、この土日はとても天気が良かった。
水平線がとてもきれいだった。たくさんならんでいる風力発電機がなんだかかわいく見える。全然関係ないけど、風力発電機のガチャガチャとかあったら可愛いな。ありそう。
天皇グリーンランドでトイレ休憩。なんだかめちゃくちゃ人がいた、すごい。日曜日だから?
小さい頃から“天皇グリーンランド”で覚えていたので、道の駅だとは知らなかった。
寄り道しつつ、祖父母の家へ。最後に父方の祖父母の家に来たのはいつだったか覚えていない。たぶんかなり昔。
コロナ禍の間に祖父が亡くなったので、お墓参りをしたいと言った。祖母も既に亡くなっているので、父は自分の親が居ない人生をいま生きているんだといまこれを書いてて思った。どんな気持ちなんだろう。なんでか泣きそう。
父はたまにきて庭に除草剤を撒いたりしているらしい。家の中も散らかってはいるけど、足の踏み場はあるし、そのまま残っている感じだった。子供の頃は気にしていなかったいろんなものが目新しく感じて、飾っている賞状や写真、カレンダー、壁の模様、食器棚、たくさん見て回った。
奥の部屋に木箱に入った巻物がたくさんあって、お宝あるかもしれねーや!(訛り)と二人でじんわり汗をかきながら広げていった。これレアじゃない?!なんてキャッキャと話していたけど、あまり時間がなかったので広げたあとはそそくさと巻き直した。かなり古いもので、紙がパリパリになっているものが多かった。明らかな虫食いのあともあって、巻物が虫に食われるって本当にあるんだなと思った。虫食いクイズみたい。
お墓参りも無事できた。結婚したよ、と報告もしといた。天気がずっと良くて、ずっと泣きそうだった。
車を走らせていると(運転は父親)、知らない地名がたくさんあるな〜とつい思ってしまうが、実はほとんど知っていたり聞いたことのある場所ばかりだった。子供の頃は場所の名前をひらがなでしか認識していなかったので、大人になった今標識を見るとあれってこういう漢字書くんだったんだ!!となり、かなり大きな発見をした気持ちになる。
そんな話をしていると、子供の頃あまり出掛けに連れて行けなくて申し訳なかったな、と父親が苦笑いしながら言った。まあしゃーないよ、と軽すぎるフォローをした。正直大人になってからそう思ったことはある。父親は基本土日休みでもなかったし長期休暇もなかったので、まだある程度みんな仲の良かった時代にも家族旅行をしたことがなかった。姉は19歳で上京したので、それ以降の家族での外出は全くなかった。そのせいもありわたしは大人になった今でも、いやむしろ今の方が遠出に心躍る人間になった。行ったことない場所がたくさんある。夫には苦労をかける。(いろんなところに連れて行ってもらう前提である。)
のんびり戻っていると、この途中に田んぼアートがあると言い出し寄り道をした。わたしは実物は見たことがなかったしせっかくなので。
駐車場に車を停めると、見事に人っ子一人いない。こんな田舎なので人が居ないことに関してはまあそこまで驚くことでもないのだが。
やぐらのようなものがあり、それに登って見るらしい。まあ下からでも見えると言うので、田んぼアートがあるだろう方向を見ると
ん?
そう、どう見ても何も無いのである。父は驚愕していた。なぜなら去年はこの場所にしっかり田んぼアートがあったからだ。
やぐらの下のところにベンチなどがあるのだが、そこに募金箱と田んぼアートを続けるために支援をどうかお願いします!!!みたいな貼り紙がされてあった。これか…?
田舎ではもしかしたらこういったことがたくさん起きているのかもしれない。それもきっと人知れず、誰も気づいていないんだろうな、なんて田舎に思いを馳せて切なくなった。こうやって村を活性化しようとか前向きな気持ちで何かを始めても、結局は金と人間がいないと継続できないのである。秋田県はこのままいくといずれ消滅するだろうと言われているので、悲しい気持ちもありつつ、今更どうしようもないよなぁ〜という諦めの境地。住んでる人には申し訳ないけど。
なーんて語ったあとに調べてみると、そういうわけではないらしかった。来年はできるといいね。
父親が子供の頃釣りをしていた川の横を通ったりと寄り道しつついろんな話をしていると、なんだか大人になったんだな、と思った。だんだん実家に近づくにつれて懐かしい景色になる。家の周りは比較的あまり大きな変化はないような気がしたけど、実際は違うのかもしれない。
実家に帰ると、母親が居た。
相変わらず、家の中には物が溢れかえっていた。正直溢れかえっているとかいうレベルではない、わたしが居た時も相当だったが、今ではもう本当に半分が物で埋まっている。母親はもったいないと言いながら物を捨てず、その割には買い物ばかりして、そりゃあ物が永遠に溜まるのは当たり前である。
わざわざ本当はこんな寄りたくない実家に寄ったのは、結婚式のムービーやらで使う昔の写真を漁るためだった。わたしの部屋だった部屋は元々まあまあ散らかっていた上にさらに物が積み重なる物置になっている。前来たからそうだったので今更驚くことではないのだが、久しぶりだとやはりダメージがある。今回帰省する前は写真を漁るついでに毎回後回しにしていた大好きなアニメのDVD BOXを持ってこようかな?卒アルも持って帰ってきちゃおうかな?とかなんかいろいろ考えていたのに、実際部屋に来て物を漁っているとだんだん気持ちが萎えてきて、いらいらして、嫌気がさしてくる。
最初母親が少しアルバム探しを手伝ってくれたが、赤ちゃんの写真を見てもわたしか姉かわからないと言った。産んだのに見分けつかんのか?部屋を見渡して、置いてる服いらないんでしょ?捨てていいんでしょ?と言った。その前にその上に山積みされている自分の服をなんとかしたら?そのあとに居なくなった人間(わたし)の物に手をつけた方が早いと思うけど。
そのあと入れ替わりで父がやってきた。母親が見つけられなかったアルバムを見つけ、一緒にのぞいた。さっきのとは別だけど、同じような赤ちゃんの写真を見つけたので父に聞いてみると、これおめ(お前)だな〜と笑っていた。うーん、ありがと。
父がいると母親の態度が他人に向けるものよりも冷たくなるので、わたしに対してもそうなる。それにイラついてわたしも冷たい態度をとる。むしろそれがデフォルト。
父と玄関でまたね〜と挨拶をした。
最後は駅で自分用のお土産を買った。職場に買うなんてことをすっかりしなくなったな、正社員やめてからだからだいぶ。
前回来たのは三月でそのときもその前の十月のときも、新幹線の中でめっちゃ泣いていた。なんだろう、悲しいというか、やはり生まれ育った地なので泣きたい気持ちになる。
しかし、今回はまったくならなかった。むしろ早く帰りたいと思っていた、特に実家に着いてから(ピンポイント)。ここはわたしの家じゃない、わたしの帰る家はここじゃない、と思った。思って、夫を思い出して、早く夫に会いたい、早く夫がいる二人の家に帰りたいと強く思いながら、新幹線で一人静かに泣いた。けっこう長時間。夫は駅まで迎えに来てくれて、車の中でも帰ってからもたくさん話をした。
そういや父とこの前電話をしたとき、この前のドライブ良かったなぁ〜と嬉しそうに話していて、なんだか嬉しかった。もしかしたら昔あまり出掛けに連れていけなかった罪滅ぼし的な思いもあってあんなにたくさん寄り道してくれていたのかも、とあとから少し思った。
今回の帰省、総合的にはとてもよかった!何より友達の結婚式に出席できたこと、友達たちと会えたこと。それと父親とドライブできたこと。
ちなみに写真はあまりなくて数えるくらいしか持ってこれなかった…。絶対足りない気がするけどまあ仕方ないよね。二番目なので写真が少ないのはあるあるだと思う。思えばわたしは二番目に産まれてきた時点で劣等感と共に生きる人生になってしまったんじゃないだろうか。そんな気がする。
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