5月2日(火)〜8日(月) 週報GWのくらし
5月2日(火)
カレーを作る。バスマティライスの大袋をついに使い切ることに成功する。たぶん2キロぐらいのやつが1年ぐらいかかった。
いつもならバスマティライスはインターネットで見た方法(茹でる→水切り→蒸す)で精製していたが、今回は白米で用いている真崎庸の炊飯法で試してみることにした。
ツヤのあるバスマティができたがそれほどおいしさに大差なく、いつも通りおいしかった。そもそもバスマティにツヤとふっくらを求めてはいけなかった。
5月3日(水)
益子の陶芸市にいく。乗り換え含めると3時間弱かかるなかなか長い行程だった。下館〜益子間は、SLもおか、つまりは蒸気機関車だった。本当のポッポーは、恐ろしいほど爆音で、談笑していた人々が一瞬でみな黙り込んでしまうほどだった。デカい声はおそろしい。
対照的に車窓からの景色は、農作業をする人がこちらに気づいて手をふってくれるやさしい人にあふれていた。皇太子の気持ちで手を振り返す。SLが通るたび手をふっているなんてすごい市民たちだなと思ったが、のちのち時刻表を見ると、SLは一日一往復しか登場しないレア車だった。
益子にはそれはもう大量の陶器が並んでいた。街にお店や工房自体がデフォで多く存在しているのに加え、市場の期間中は、脇道までいたるところにテントを立てて、商いが行われていた。
値段も安いと50円のものもあったし、高くても数千円と割と頑張れば手の届く範囲だった。やすみやすみ見ながら、お気に入りのものを手に入れた。壺なんかあやしげな商談にしか登場しないと思ったが、気に入って買うとは思わなかった。あとは古書や植物も迎えた。
重くて泣く泣く購入をあきらめるものもあったのが残念だった。
5月4日(木)
押上・黄金湯のビカク外気浴イベントに行く。
ビカクシダの販売やお世話になっている方がDJするとのことで気になっていた。
DJではサウナにまつわるレコードをプレイしていた。以前WEBの記事で見たことはあったが、実際に聴くことができて愉快だった。思いのほか、各国のサウナ文化に寄っておらず、その時の流行りの音楽が反映されている印象があった。そして昨日も植物買ったのに、ちっこいビカクシダを購入してしまった。
5月5日(金)
大学の友人の結婚式で金沢に行く。
北陸にいくのはそうそうないので、事前に見どころを探し、寿司屋の予約を入れた。昼前に金沢につき、兼六園から少し離れた『魚がし』というところに行く。披露宴のごちそうの数時間前にごちそうがかぶってしまったが、たのしみコース13貫というちょうどいいボリュームでありつけた。
「まわらない寿司は出てきたらすぐたべたほうがいい」とどこかで聞いたことがあったので出たらすぐ食べていたが、大将もそのスピードでガンガン握ってくるから、ちょっとばかしフードファイトになってしまった。途中から大将がスピードをおとしてくれたものの、少しくやまれる。しかし、おいしかった。
時間が空いたので近くを散策すると、自家製のお茶っぱを販売している小さな店と、たくさん本が置いてあるカフェに出会ってくつろいだ。少し離れた住宅街に小さな商いがあるのは素晴らしい。
結婚式は新郎新婦のらしさが随所にあってさすがだった。
大学4年間のすべての暇をささげたといっても過言ではないコミュニティだったので、それはもういちいち楽しかった。そういう場所をこれからも増やしていくことで、人生がよりゆたかになりそう。
店を転々としながら深い時間まで話していたが、オールまではいかず解散となった。別れを惜しみつつも、それぞれ支障ない程度で散っていく姿に30代を感じた。
またどこかで。
5月6日(土)
昨晩遅かったが割とすっと起きて、大浴場とサウナをさっときめて金沢をまた散策した。金沢の縮尺に慣れてなく、歩くと思ったより時間がかかる。
ギャラリー「SKLO」がとてもいい空間だった。
川のせせらぎ、緑の景色、さしこむ光が心地よく入ってきて、境界がないような感じだった。店主の方との会話ですらセッションみたいで心地よかった。
5月7日(日)
昼から新宿で映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を見る。金子監督のトークショーもついていて、演出や思いなどを聞けてさらに深めることができた。
原作より「対話」がより重視されていた構成になっていた印象があった。映画の表現としても、今公開する意味でもとてもマッチしていてよかった。
それからベルグなどいってゆったり過ごした。
5月8日(月)
GW開けたというのに一番ゆっくりした。五月病というよりそもそもフィジカル的にしんどかった。
phaさんの著作『しないことリスト』を再読する。ここ最近は月1ペースで読み返している。といっても項目をざざっと読んで気になる部分をじっくり読むので、そう時間はかかって(かけて)いない。
今月は「何かのためにしない」に目が留まった。何か役に立つからやるといった投資的行動ではなく、今それ自体を楽しむことを大事にするということだ。
ターニング期間というか、今の姿にいい影響を与えている時期は、その時を謳歌していたことが往々にしてある。大学時代の日々はそんなもんだったとつくづく思う。
投資しているはずはなかったが、いつの間にか返礼されているという感じだろうか。そういうのは狙ってできるものではないが、少し気にはして、時に損得勘定からはみ出していきたい。