03010307 君たちはどう3月7日をむかえるか
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「無」を手に入れる。といっても生活は変化することなく、ありふれた何パターンかのひとつの一日をたどっていった。
近所の焼き鳥やさんで、ついに焼き鳥をテイクアウトできた。数か月前から存在は気づいていたものの、老後の趣味でやっているような面影のおみせで、売り切れだったり、そもそもお店が開いてなかったりと機会が訪れなかった。一本90円くらいで、野球少年たちも立ち寄って買っていた。タレがおいしくて、塩一択だったねぎ間も今度はタレで食べたいなあとなった。
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冷えこんだ一日だったので、主に家にいた。
NHKでやってた「世界サンライズツアー」という番組が面白かった。名の通り、世界の日の出の様子をリモートで現地人に伝えてもらう、というものだった。見た回はオーストリア、フィンランド、コロンビアを中継していた。コーヒーの名産地のコロンビアの日の出は力強く、フィンランドの日の出は木々からゆるやかにさしこんでいた。世界だから当然なんだけど、季節も違ってまわりの風景は全然違うし、フィンランドにいたっては数時間しか日が昇らなかったりと、サンライズの多様性を感じた。フィンランドに行きたい。
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報連相を簡潔にしたい気持ちが強くて、情報を必要以上にそぎ落とし、解釈がたくさんできるメッセージを送ってしまう。それは思いやりからの行動ではあったが怠惰に帰着しているのかもしれない。(自戒)
夜、中央区は小伝馬町にあるツバメスタジオにdowntの富樫ユイさんの弾き語りライブを見に行く。ツバメスタジオはオフィス街の雑居ビルのなかにあった。3階がアートスペース、4階が録音スタジオになっていて、3階の展示にあわせてライブが開催されるようだ。先日行った七針も含め、東の東京にいい音の集まる空間があるのはうれしい。
菅原果歩さんによる「凍るのは端から,溶けるのも端から Frozen from the edge, thawing from the fringe」展の作品にかこまれながら、浮遊感のある時間を過ごした。ふだんバンド形式できいていた曲が、アコースティックギターと歌声だけになると、余白がうまれ、想像の余地が生まれる。
菅原さんのフィールドワークにはくらしが詰まっていた
downtの新譜のなかでもお気に入りの曲
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ラヴィットで、はなまるカフェのオマージュ企画をやっていた。30代になるとリバイバルがひっきりなしに入ってきて、それらに踊らされるのはどうかと思っていたけど、絶妙な分野でこころが盛り上がる。小学校を休まないと見れない番組だったのでぼんやりしか覚えてないけど認知はしているレベルで、そのあたりには弱い。
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コロナ渦で閉店したライブハウスはその後どうなっているの?という話題になって(確かにどうなっているのだろう・・・)と思ったものの見当がつかず考えていたら、違う話題に流れてしまった。
音のある場所を営むという可能性を模索していて、手っ取り早いというか直結なのはライブハウスだけど、まっとうにやって続けるには相当の実力と運が必要そうでどうしたものかと悩んでいる。(そもそもはじまっていない)
(後記)調べてみたが有力な情報はなく、代わりにはじまったライブハウスの動画がみつかった。
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図書館に行って『国のない男/カート・ヴォネガット』を借りる。予約して届いた本だったけど、なぜ予約したかを忘れてしまっていた。たしか頭木弘樹さんが紹介していたような・・・そんな断片的な記憶で読みはじめて、印象的な一節が、頭木さんが引用していたところと同じで確信にかわる。
世の中には拒むことのできないことが往々にしてあるけど、距離をおくことはできたりはする。むしろそのくらいのほうがちょうどよかったりもする。
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サウナ(は混むので行かない)の日。
選択しなったほうの選択肢のことを思い返すのも日記の能力のひとつだ。と思ってたら、そんな状況を表す用語を昔学んだような、と思い出して検索していきついたのは、機会費用だった。
3月7日に満37歳のひとは無料でサウナ施設を利用できるというライフハックを数年前から知っているものの、自分が使えるのは当分先で、ネット回線乗り換え後のキャッシュバックより骨の折れる心待ちである。毎年この情報を思い出しては(まだ先か・・・)と途方にくれてもはやちょっと損した気になっていた。しかし今年は散歩していると「37歳の君たちはどう3月7日をむかえるか」という観点をひらめき、少し前向きに向き合う。
2024年3月時点では、サウナは2週間に1回ぐらいのペースで行っている。5年くらい前がたぶん全盛期で週2~3回ぐらい行ってた。当時は忙しさで心が亡(ほろ)び、心身ともにリセットするために行ってた。しかし最近は、ああでもないこうでもないと逡巡しながら湯舟に浸かるほうが好みだ。銭湯でうめいている人はそういうことなのかもしれない。そして無意識におれもそうなっているかもしれない。ほどほどの距離感で迎えられればいい。