BLUE GIANT(映画)が良いのは認めるから、エンドロールをもっと長くしてくれ
初めて、エンドロールが短く感じた。
原作を読んでいた。
だから展開は知っていた。
その上で、べっちゃべちゃになるまで泣いた。
映画『BLUE GIANT』。
元々映画はそんなに観るわけではなく、1年で1〜2本観る程度です。
映画館の環境が苦手で、腰が重い方だと思っています。
なのに足を運んだのは、「音楽がふんだんに使われている」と前情報を得たから。
大音量でいい音を浴びたい!
そう思って
「昼間に軽いライブ観よ〜♪」くらいのノリで行きました。
が、結果として予想を遥かに上回る音楽とストーリーでの感動。
全然軽いライブじゃなかった。
あれ、おかしいな、原作読んでたから全部展開知ってるのに。
なんでこんなに泣いちゃうんだ…??
序盤こそ「あー原作のここがカットされてるから説明が少ないな」などと考えたりしましたが、中盤以降いよいよメンバーが集まり演奏シーンが増えてくると、そんな理屈なんか吹っ飛ぶ吹っ飛ぶ!
余計なことを考える自分がひどくちっぽけに思える。
ジャズに詳しいわけじゃない。
ピアニスト・小曽根真さんのプレイが大好きで、コンサートのチケットを買って観に行ったことがある程度。
原作を読んだ時だって、登場キャラが語るジャズプレーヤーの名前や曲が全然わからず、音楽サブスクで検索しまくった。
「ほんとだ!漫画で言ってた通り、この曲めっちゃ速い!」
技術に舌を巻きながら、あらためて漫画に共感する。
それが限界。
アーティスト名を追いかけて既存の曲に共感することはできても、主人公・大(ダイ)の力強い音はわからない。
漫画自体が本当に良いから登場キャラクターの音が聴こえなくても気にならないと思っていたけれど、本当はわたし、知りたかったんだ。
彼らがどんなふうに心を動かす音を出してくれるのか。
映画版は自分でも見えなくなるくらい心の奥底にあった願望を、引きずり出してくれました。
「これは映画館で観て大正解!」と思ったのは、もちろん演奏シーンが良いから。
演奏がストーリー以上にキャラクターの歩みを届けてくれる。
演奏中は定番である「演奏するプレーヤー」「観客の反応」の絵だけでなく、音楽の勢いを表現する抽象的なイメージも巧みに入れて、飽きずに音楽に集中できるような工夫がされていました。
主人公・大の「面白い」「強い」と評される音がどんなものなのか、やっと知ることができました。
もう一度新鮮な気持ちで『BLUE GIANT』に出会えた。
その嬉しさで胸がいっぱいになる。
演奏中、不思議と自分が過去に人前に出た時のことをたくさん思い出しました。
それも失敗シーンばかり。
主人公が初めてバンドを組んで、ライブを重ねて前に進んでいく姿を描くストーリーに影響されてなのだろうけれど、ただJAZZの名プレーを見ているだけでは呼び起こされないであろう記憶が出てきたことに動揺。
音楽を通じて、その人の積み重ねてきたものまで呼び起こす。
「あぁこれは、いい映画だぁ…」と噛み締めていると、両隣からしくしくと泣いている気配が。
今劇場で一緒に見ているみんなが、自分の中での悔しかったことや、それを乗り越えて今の自分があることを噛み締めているんだろうなと愛しく思う。
クライマックスでは、会場中大泣き。
もちろんわたしも。
ここでこの映画を観て、泣けることを幸せに思う。
エンドロールが終わっても、まだ余韻にひたっていたかった。
人生で初めて「エンドロールまだ続いてくれ!」と願った。
劇場の明かりがついても立ち上がる気になれず、泣いてぼんやりした頭で前方をただ眺める。
「音楽が消えてスクリーンが消えてもいいから、もうちょっとの間暗くしておいて欲しい」とさえ思った。
立ち上がった人たちも、心なしか映画館を出る動きが鈍い気がする。
わたしの両隣のマダム達もいっこうに立ち上がらない。
この映画に唯一文句があるとするなら、「余韻に浸る時間をもっと取れるように、エンドロールを長くしてくれ」だ。
🎷🎷🎷
JAZZがポピュラーでない事実を認めながら、それでもJAZZを信じ続けて支えてきた人たち。
色々あるけど「JAZZって良いよ」。
熱いメッセージを受け取りました。
観に行って本当に良かったと思える映画をありがとう。
原作者、作画担当等、この映画に携わったすべての人たちと、偉大なるプレーヤーや、JAZZを紡いできた人すべてに敬意と感謝を。