AIR Design誕生秘話 Part4
株式会社ガラパゴスの代表を務めております中平です。
2019年9月にローンチしたAIR Designは、ありがたいことに約2年で導入300社を突破しました。
ただサービスの成長には紆余曲折のストーリーがあり、簡単には超えられなかった試練もありました。
昔を思い出しながら、AIR Designの誕生秘話をお伝えいたします。
Part3に続きましてPart4となっております。
体制変更を月次報告会で伝えた2017年末
月次報告会というのは毎月ガラパゴスで行っている、全メンバーが集まって報告や共有をする場です。今でも続けていて、幸いにも今はとても良い雰囲気だったのですが、この頃の月次報告はとんでもない空気感だったと思います。
2017年12月の年末の月次報告会で、こんなスライドと共に大きな発表をしました。
正式に、取締役3名はデザインAIにリソースを大きく傾け、祖業であったスマホアプリ開発事業(=サービス開発事業)は平井さん以下メンバーに任せる、というメッセージでした。
当時のメンバーからの反応は、「???」と「は???」と「え?これからどうなるの???」というような感じだったと思います。本当に不安だったと思います。
僕が逆の立場でもそうですよね。
未来が良く見えない。まさにそんな雰囲気だったと思います。
それでも空気を読めない僕はこんなスライドで鼓舞しようとしていました。
今振り返るとわかるけど、こんなスライドはメンバーの怒りを買うだけだし悪手だけど、必死になにかを変えたい一心でした。
崩壊する組織、軌道に乗らない新規事業
2018年3月から新たな期が始まりました。
当時のガラパゴスは30名の正社員と10名のアルバイトというような規模でした。
組織の崩壊が音を立て始めたのは、2018年5月くらいからでした。アプリ開発事業部のメンバーが一人、また一人と毎月誰かが辞めるような状況が始まりました。
この1年で約半数のメンバーがガラパゴスを去っていく異常事態となりました。
Slackのチャネルでメンションが付くたびに嫌な予感がして、それが結局誰かの退職の報告で、本当に悲しさと申し訳無さを日々感じていました。
そんな状態なので会社全体の空気感は正直最悪な状況でした。
それで、取締役が注力しているデザインAI事業のロゴ生成事業が大きく伸びていればキレイなストーリーになるのですが、全然そんな事もなく、先行きが見えぬまま売上は伸びずに大きな赤字を垂れ流し続けていました。
これを書きながら今思い出しても、はっきりとした道筋を示せなくて結果を出せなくて、ガラパゴスと僕に失望して去ってしまったメンバーに申し訳ないし、信じて踏ん張って支えてくれたメンバーには本当に感謝しかないし、先頭に立って本当に何とかしてくれた平井さんには感謝してもしきれないです。
ロゴの自動生成を開始するも上がらない売上
新体制から半年くらい経過した2018年9月頃には、AIチームのメンバーの頑張りもあり、ロゴを自動で生成するシステムが完成しました。
最盛期には月に2万個のロゴを作り、どんどん提案していきました。
それでも売上は全然高まらず、月に100万円行けば良い方で、このあたりから頭の中をグルグルと同じことを反芻するようになってきます。
「ロゴ一個売れても、売上大したことなくないか?」
「自動で生成して提案しても、手直し多すぎて利益出なくない?」
「そもそもマーケットサイズ、そんなにあるっけ?」
「安定収益にならなくない?」
思い起こせばこの頃から違和感はハッキリとありました。
けど、エクセルで数値計画を書いて、未来があると自分たちに言い聞かせて、自分たち自信を誤魔化しながらやり過ごす日々が過ぎ去っていきました。
EOの先輩社長に事業計画をプレゼン
そんな状況でも創業メンバー3名の結束はこの頃も変わらず強固なものでした。
それは本当にありがたかったのですが、自分たちだけでの成長に限界も感じ始めていました。なのでこの頃から、EOの先輩社長の皆さんにお願いをさせて頂いて自分たちの事業を見てもらいました。
何でも良いからこの最悪の状況を抜け出すヒントが欲しかった。
インクスの先輩でもあったSHIFTの丹下さんや、上場企業の社長含めて20名くらいの皆様に貴重なお時間を頂いて事業をプレゼンさせてもらいました。
(EOって本当に素晴らしい組織だと思います!)
結果は本当に散々で、たくさんの愛情深くも厳しいお言葉を頂いて、正直なにか大きく変えないと本当にヤバいなと実感をしたのがこの頃でした。
(ちなみにこの頃の資料を抜粋。言ってる事はあんまり変わってない。笑)
夢は大きいけど、増える赤字、減り続けるキャッシュ
ここまでガラパゴスは外部からのエクイティ調達はせず、銀行などからの借り入れで事業運営をしてきました。
なんとなく、本当になんとなく外部からの調達はするもんじゃないと決め込んでいたのですが、前述の先輩社長との会話の中でそれも手段の一つだと思い始め、取締役3名で話し合い、資金調達をしようと決めました。
要は、中小零細企業から変化して、スタートアップ村への入村ですね。
それに、現実的な問題としてこれ以上新規事業に資本投資をしようと思ったら借り入れでは厳しいなと感じていました。
とは言え資金調達のピッチデックなんて作ったこともない。
ググってみたらこんなスライドを発見した。
よし、このままやってみよう。
ワンセンテンスピッチ
↓
30秒ピッチ
↓
ショートピッチ
↓
インベスターピッチ
と、本当に書いてある通りそのまま作っていきました。笑
例えば30秒ピッチならこんな感じ。
2019年の年明けにはショートピッチを作り終わって、資金調達に動き始めました。
年末の出会いと動き出す資金調達
ピッチの原型みたいなものを作りながら、2018年末にたまたまお食事会にお誘い頂いて参加しました。その場でたまたま横に座った方に、僕は事業を一生懸命説明しました。
僕「・・・というわけで、資金調達をしようと思ってるんですよ。」
「そうですか。そしたら、XXXさんとXXXXさんとXXX社をご紹介しますよ。」
え?なんでいきなりそんなに紹介してくれるんですか?神ですか?
と出会ったのが、株式会社ZENKIGENの社長の野澤比日樹さんでした。
この場でお約束頂いたVCの皆さんはもちろん、それ以外にもめちゃくちゃ様々な方をご紹介頂いて、ここから僕らの資金調達活動は始まりました。
(野澤さんはその後も本当に様々面倒見て頂いて感謝しかないし、このご縁で2019年初頭に繋がりを持たせて頂いたみずほキャピタルさんにはその後投資して頂きました。)
苦戦する資金調達と、B-SKETとの出会い
始まった資金調達活動でしたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
そもそも自分たちのバリュエーション(企業価値)をいくらにしたら良いのか?そもそも総額どのくらい調達するのか?そのお金を使ってどうなっていきたいのか?エクイティストーリーは?ユーザーのペインは?マーケットは?
ピッチデックはみようみまねで作ってみたものの、計画やビジョンは穴だらけで、VC各社からの反応はとても厳しいものがあり全然まったくもって箸にも棒にも引っかからない感じでした。
どうしようかと悩んでいたら、島田がこんな投稿をしてきました。
だいたいこういうのを見つけてくるのはいつも島田だ。
Part5に続きます!