伏見宮
伏見宮とは、なんぞや。
この答えは一つ、皇統の根幹。本流である。
応永16年(1409年)、北朝第3代崇光天皇の第一皇子、栄仁親王を初代として創設された。1428年、後光厳流断絶にあたって、伏見宮貞成親王の嫡男彦仁。後花園天皇として即
位。じつに崇光院77年ぶりの即位である。この後、彦仁が天皇家。貞常が伏見宮を継ぎ、連綿と現在に至る。
そして1779年、後桃園帝の崩御により、東山天皇の分家閑院宮家からの光格帝が出た。 そして現在この系統が断絶の危機にあると言う。
女子を介した 継承で皇統を繋ぐ案。これは令和新修旧華族家系大成 に記述されている家のみとする
五摂家、清華家 ならばなお良い
男系では 現在 正当性 も家の格も高い 伏見宮 系統の一族より天皇を出せば良い そのためにも 愛子様と賀陽家の若君と 結婚させれば良いのだろう。 そして 悠仁さま をお守りしていけば良いと思う。 だが 愛子様と家柄の低い男との結婚は決して許されてはならない 小室圭や ランボルなど 父親の名前すらろくすっぽにわからない とても卑しい家の人物が 天皇の父親になるおぞましい光景が 広がってしまうからである 終わり
天皇陛下万歳。