悲しい気持ちの時に大きな決断をしない事が暗黙のルール
こんにちは
NICUは原則複数人での面会は1度で30分と決まっているので控え室で同じく面会中の家族待ちの子どもが見ているYouTubeから流れている歌を聴きながら本を読むも、頭がサメの家族やおもちゃの兵隊が出てくる歌詞に引っ張られてしまって上手くいかないので、こういうときこそ、日記を更新しようと思い取り掛かっています。
そういえば、前回の日記に載せ忘れましたが、
10月29日(火曜日)に体重測定してもらって
558gだった体重は739gに。
身長は1センチ伸びてました。
禁乳の期間も長かったのに、とってもとってもよくがんばりました、こっこです。
10月30日(水曜日)
酸素濃度27でサーチは97程度。
もぞついても、90台を維持できていた。
それから自分でもストマーからうんち少し出せていたとのこと。うんち見せてもらうと小指の爪ぐらいの柔らかめではあるが立派なうんちに変わりは無い。うんち見せてもらう状況でこれ程嬉しい状況はないだろう。まあ、わざわざうんち見せてもらうなんて言う状況、こっこ以外にあってたまるかって話なのだが。
そしてこの日あの瞬間は突然訪れた。
何かしていて、ふとこっこの顔を見ると、顔にどこか違和感を感じる。
右目が空いていた。真っ黒だが、つぶらな瞳というよりは黒目がち、むしろ黒目しかない、日本人形のような切れ長の目がこちらをじっと捉えていた。いつも右向きで寝ていたため、下になることが多かった左目は開きずらかったらしい。だが、間もなくして左目も開いて見せた。
夕方医師より動いても酸素飽和度が下がらなくなってきているので鎮静のお薬は腸の動きを悪くしてしまう面もあるので少しずつ減らしていますと教えて貰える。
その一時間後に小児外科の先生たちによる腸洗浄。自排便も多少あり。生まれてからの最高記録おしっこも30.2CC出る。
あたしにはそれが多いのか少ないのか分からないのだが、看護師さんがおしっこやうんちを嬉々として見てくれて褒めてくれるので、あたしもそれがうんちでもおしっこでも嬉しい。
10月31日(木曜日)
酸素濃度30。昨日の夕方から酸素飽和度のふらつき見られたとのこと。
うつ伏せに体位交換してもらったら、落ち着く。
うつ伏せでも目はしっかり空いていたので、じゃあじゃあビリビリという絵本を読み聞かせる。ページをめくるとカッと目を見開き、目で追っている様子が見受けられる。
お昼すぎ酸素濃度は33に。
酸素濃度の変化に母はめっぽう弱い。いま思い出しても投げやりな気持ちになってしまうほど、落ち込んだし、魔の10月28日(酸素濃度が100でも酸素飽和度が70台だった日)が思い出されて、またそうなるんじゃないかって怖かった。
ただ、この日母は清拭をさせてもらった。汚れを落とすクリームを塗ってそれを拭き取る。皮膚がまだ薄いため、擦るのではなく抑え拭きをするのだ。背中とおしりといった限所的なものだったけど、酸素濃度ばかりに取り憑かれておかしくなりそうだったあたしを1度解放してくれた尊い作業だった。
11月1日(金曜日)
酸素濃度27。モゾモゾと動くと酸素飽和度は83以下になりアラームがなる。ただし、90台まで上がってくるのに時間はあまりかからない。戻りがいい。
そしてこの日レントゲンを撮って腸の膨張もないとの事で母乳が1CCから再開された。
生まれてから1ヶ月の日だった。そこに合わせて母乳が再開されることを母はとても喜んだし、こっこからのプレゼントだと受け取った。
夕方、顔を真っ赤にして泣いた。オムツ交換、たん吸引してもらった。
10分経ってまた泣いた。頭と背中を手のひらで包み込む。落ち着く。
この頃はまだ、普通の赤ちゃんのようにおしっこやお腹すいて泣くという当たり前のことをすっかり忘れていて、たん吸引?オムツ交換?どっか痛いんじゃないの?また褥瘡出来てたりしない?腸に穴空いてたりしない?早く見つけてあげてと口にはしなかったけどイライラして余裕が無かった。
病棟を定期的にまわって声をかけてくれる臨床心理士の人に、NICUは看護師さんもお医者さんも優しいし、周りもコッコと同じようにいくつものチューブに繋がれて泣き声もあげれないような子ばかりで温室のような場所。ただここから1歩でも出てしまえば、赤ちゃんを抱くお母さんやわがままを言って駄々をこねる子がいてそれに嫉妬したり、SNSでは正産期の方や、低体重出生児でも1000g以上の子を持つお母さんをフォロー出来ない。何よりそんな自分が嫌になると泣いてしまった。優しいから、心が広いからそんな自分に気づけるんだよと言ってもらってまた泣いた。
こっこがそんなあたしの顔をじっと酸素飽和度のアラームも鳴らさず保育器の中から見ていて、あたしの話が終わると目をそっと閉じて寝たフリをした。いろいろあるけど今目の前に眠る息子がとても可愛いことだけは確証のある事実だった。