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しんめいP『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
ヒマになると、なぜか自分探しをしたくなるのが人間という生き物ですよね。
きっとお釈迦様だってヒマだったに違いない。だって仕事で毎日忙しかったら、悟りとか開いてる余裕ないもんな。
逆に言うと、ヒマだったからこそ世の中の真理に辿り着けた。
ニート万歳(言うてる場合か)。
つーコトで絶賛時間を持て余しているワタシなどは、この機会になんらかの悟りを開きたいと思うに至りました。
そして一日でも早く、この嘘と欺瞞に満ちた、地獄のような日常から解脱したい。
悟りの境地。涅槃。ニルヴァーナ。
Come As You Are...
と、あーだこーだ言うておりますが、要は単にヒマっつー話。
そこで出会ったのがこの本。
仕事も嫁も失い完全ニート化していた著者が、藁をもすがる想いで辿り着き、救いを求めたのが東洋哲学だったという。
ワタシ、哲学とか一番苦手な分野なんすよねぇ(とは言え得意分野があるワケでもない)。
軽快な筆致で随所に笑いを散りばめながらも、専門家監修の元「超訳」された本作は、子供でも理解出来るレベルの極めて優しい内容。
入門書としてはもってこいだと思いました。
同時に、正直現代にはあまりフィットしない世界観だなぁとも感じた次第。
修行僧①:師匠、「自分」とは何なんですか?
某偉人① :知らん。そもそも「自分」とかないから。気にすんな(キリッ)。
修行僧②:師匠、悩みがあるんですが...。
某偉人②:悩みなど存在しない。なぜならそもそもこの世はフィクションなのだから。気にすんな(キリッ)。
修行僧①&②:は、はぁ...(ちょっと何言ってるかわからない...)。
そんな感じで、よく言えば懐が広く寛容な東洋哲学。でも悪く言えば抽象的な無理問答で、ある意味究極の「暖簾に腕押し」状態だなぁと感じるのはワタシだけだろうか。
基本このスタンスは大好きだし、ワタシも間違いなくそっち側に連れてってもらいたい人間なんだけどねぇ。
永遠に煩悩から逃れられないのが人間ならば、人間をやめて初めてスタート地点に立てる。
お釈迦様にしたって、親鸞だって空海だって、一生を修行に捧げ人間をやめて、煩悩を消し去ったから超人なんでしょう。
つーかどうやったら人間やめられるん?
俺、ただの中華料理屋の息子やで。
無理ゲーやん。
煩悩まみれのおじさんは、一体どうすれば救われるのでしょう。
嗚呼、神様、仏様、イエス様...。
この際、誰でもいい。
この悲しみをどうすりゃいいの?
誰が僕を救ってくれるの?
君がカンイチ僕はジュリエット。
この世はまさに大迷惑(迷惑なのはお前だろ)。
つーか神とか悟りとかどうでもいい。
とりあえず金をくれ(自暴自棄)。
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まあでもこういう内容の本がベストセラーになるって事はさ、みんな何かにすがりたいんでしょうね。ラクになりたいんでしょうね。
マジで世の中おかしいもんな。
特に日本。
ワタシはとりあえずエジプト辺りで、石仮面でも探してきます。