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パチンコ 昭和の記憶:ぶどうとパンチ

時は昭和50年代半ば頃(1979~1981)と記憶しています。
 
近所のパチンコ屋で見たことのない台が入っていました。

試しに打ってみると、天のすぐ下の入りにくいところに玉が入った瞬間
中央縦に並んでいたチューリップが3個開きました。
 
そこまでは良かったのですがそのチューリップ、玉が入っても閉じず
玉がどんどん出てきます。
心配になり、小さな箱1杯になった頃に上のランプを押して店員を呼びました。

「チューリップが閉じないけど壊れていない?」と聞くと店員が
「これはそういう台でもう一回ここに入るまではずっと開くんだよ」と教えてくれました。

それを聞いて安心して打ち続けました。
そうこれは一発台もどきの台だったのです。
このあと本当の一発台が次々と世にでるのですが、当時その前段階でこのような台がありました。
 
今回は一発台の話ではありません。

この話を聞いてどう思われたでしょう?
”まじめな人だなあ、例え壊れていても店の責任だから出し続ければ良いんじゃないの? わざわざ店員を呼ぶかなあ”
 
と思われたかもしれません。
しかしそれは当時のパチンコ屋を知らないからです。
 
店にも寄りますが、例え不可抗力でも調子にのって玉を出し続けても許してくれるほど甘くありませんでした。
 
当時、見た光景です。
玉が釘に挟まって連なりぶどうの様になることがあります。
まあ普通は少し盤面を叩けばバラバラと落ちるか、店員を呼び解消すれば良いのです。
 
しかしまれにこのぶどうが入賞口までのルートになり有利になることがあります。
私の近くで打っていた(知らない人)ですがこの状態になり、ここぞばかり玉を出し続けていたようです。

そこへ店員が通りかかり、「おい!こら!おまえ何やってんだよ!」と台を叩きぶどうを解消し、さらにこの見るからに怖そうな店員はその男の胸ぐらを掴んで椅子から立たせ「これはインチキなんだよ!」と
暴力こそ振るいませんでしたがしっかり恫喝した上、玉を没収していました。
 
可愛い制服に身を包んだホールレディや腰の低い店員しか知らない世代の方には想像し難いかもしれませんがこの時代、パンチパーマをあてた怖い店員が結構いたんです。
 
私の友人も、玉が引っ掛かり詰まったときサービスで全部入賞口に
入れてくれるのではとアホな考えをして目一杯詰まらせて店員に
「ばかやろう、こんなに詰まらせやがって!」
と思い切り怒鳴られました。
 
もしゴト行為でもして見つかったら今ならすぐ警察かもしれませんが、当時はその前に店の裏に連れて行かれてどんな目にあうかわかったもんじゃありません。
 
というわけで、私が決して真面目や正直者というわけでなく怖い目に会いたくないという単なる小心者だったと言うことです。

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