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父親の涙
初めて見た 父の涙の話
私の記憶を辿る
どんなに思い出そうとしても
父の泣いた顔が思い出せない
泣きかけた顔さえ思い出せない
結婚式だろうと、葬式だろうと
そんな事くらいでは
涙を流す父では無かった
涙ぐむ気配さえ
見せるような父では無かった
・・・・・
そうか…父は私の前では泣いたことがない
だから、思い出せるはずがないのか
私の、記憶の中に無いのだから..…
1.2年に一度帰っていた実家に
またも帰る事になるとは…
前回の帰省から3か月
再び、父の介護で2週間 実家に帰っていた。
父(85歳) 母(80歳)
日課として 数十年続けていた
プールやテニス、散歩に行かなくなって1年
毎日ベッドの上
やりたいことも 特に無く、昼間からお酒を飲み、TVを見ながウトウトする。
そんな生活が繰り返されている
毎日酔っぱらっては
「○○は来んか?」
「ちゃんと仕事はあるんか?」
(近くに住む孫は来てないか?)
(家業を継いだ息子は頑張っとるか?)
「話(はな)さい言葉は、いつもこれくらいだわ」と、母は話してくれた。
結婚50年を越える夫婦
同じ趣味がある訳でもない、
今更、毎日二人でいる時間が 増えたからと言って
急に夫婦で世間話でも楽しみます?(笑)なんて
そんなことが出来てたら、苦労はしない
長く一緒に過ごした結果、二人は必要最小限の会話しかしなく無くなっていた
それでもお互いは、この家に一緒に居るのが当たり前になっていて、これも家族なんだと思わせてくれる。
前回帰省した時は、自分で立ち上がる事ができた父、どうにかトイレ迄は、何かにつたいながらでも歩いて行けた。
なのに今回は、ベットから起き上がるのも一人では、ままならない状態…
たった3ヶ月で..…老々介護の実態を、まざまざと見せつけられる。
今はベットからトイレの往復さえ、一人では難しいだろう。
母も寄り添うには頼りなく、細い体をしている。
嫌でも共倒れを想像してしまう。
それに父はもう、自分では排泄の感覚も分からなくなっている。
リハビリパンツがどんなに濡れていても気が付かない。
もう、トイレに行こうともしなくなってる。
結果、毎日 居る場所(ベット)が濡れる
きっと父は
自分の服が汚れる度
シーツが汚れる度
リハビリパンツが汚てれる度
母の 不請顔を
見る事になってるんだと思う..…
「触るなって言ってるだろうが!」
母は父に怒られると言っていた。
母は、父に怒られるのが怖く、焦って 着替えの動作を急がせてしまう。
足も思うように上げることが出来ない
手も思うように動かせない
だけど・・・・・
まだ、
ゆっくりなら自分で出来る、これくらいならやれる
誰の世話にもならない(世話をかけたくない)
父は、そうも思ってたんじゃないかな…
でも…
毎回それを 繰り返される母は…
気丈に振る舞ってる分、辛くなる
どちらの気持ちも 大切にしたい
どちらも 少しでも 楽にしてあげたい
ただ この思いとは裏腹に…
実際問題、私に出来ることなんて限られていた
外部の者を、これ以上、家に入れたくない
(現在、週2回の入浴に看護師介入)
これが両親の意見
今迄は、この二人の意見を尊重してきたが、
今回は違う
もう、エゴと言われようと、
今の状況を変えさせて貰う事にする。
(兄弟+嫁さん、皆の意見)
もう、心配で見て居られない
頼むからヘルパーを入れて欲しい
その為に、私は兄弟に呼ばれたんだから。
(兄弟家族は、いつも近くで両親を見守ってくれている。それに対して私に出来る事は、両親の説得、これくらい…)
(※兄は適応障害の為、親を説得出来る状態ではない上に…複雑な家族関係が絡まります。近くで支え合っている家族より、外に出た私がする事で、前に進む事もあり…)
帰省した間、父の食事の準備、おしもの世話、着替えなど、母は私に任せてくれた。
(今まで、ロクに親孝行をしてこれなかった分、これをさせて貰えたことは本当にありがたかったです)
こうして1週間
仕事場での、母の表情も良くなったと兄夫婦が話してくれた。
(母は週3日気晴しも兼ね、働いている)
余裕が出来、顔が穏やかになったと
それは家での父と母の間も同じだった
二人の会話に笑顔があった
お互いのピリピリ感がなくなり、表情が柔らかくなった。
(2人っきりの生活を、どんなにお互いが頑張っていたか)
そして
父が私に「毎日、お前がおってくれて助かるわー」
そう言ってくれた。
このタイミングをみて、行動開始
父に、今の父の現状を話し
父を囲む人達の思いも話し
父がこの先どう生きたいか聞いた。
今迄に、こんなに真剣に父と向き合った事は無かったかもしれない。
そして、私が帰って来た理由と、
この先の計画を改めて父に伝える。(母は説得済み)
私が居なくなった後は、代わりに別の人(ヘルパー)が来ること。
それも、毎日
・・・・・
「そうか...、そうだわな…」
初めはとても、とても渋ったが
このままでは、母が倒れてしまうと分かると
寂しそうに…納得してくれた。
「..…宜しく頼む」
それからの父は
あの頑固さはどこえやら
人を頼らなければならない状態になってしまった…
そのことを
自分の中で受け入れた父はとても潔良かった
母と、おむつ交換をする練習にも付き合ってくれた
母には、なるべく負担の少ないやり方を教えると、
それくらいなら出来ると前向きに聞いてくれた。
そして、怒る事なく協力してくれる父には感謝を伝えた。
あっという間に、残りの1週間が過ぎ
ヘルパーへ引き継を行い、実際に父の対応をした時の様子も3回見届ける
父はとても頑張ってくれていた
文句の一つも言いたいだろうに
子供扱いの様に見える事も…私と目を合わせ(^_-)-☆をする
有難う、慣れて行くからね
あまりに嫌な事は我慢しなくていいからね
最後を見届け2時間後
私は家を出ていく。
父にもう一度 挨拶をしておこう
そーっとふすまを開けると、気配を察した父がこちらを見る
目が合う
「じゃーね、行くわね」
「おー、もう行ってしまうか・・・また帰って来てくれよな!(⌒∇⌒)」
恒例の握手(まだまだ力あるな(^^)
「うん、元気でね! 頑張ってよ!」
「おーーー! わかったぞ!ワハッハッハ・・・」
無理に笑ってるわ^^;
握り絞めた手に力が入る
ワハッハッハーと笑っていたから
こっちも笑顔で返してたら
その笑顔が 崩れた・・・
アハハハハハ・・・
父が泣いてる
笑いながら・・・泣いている
自分がすぐに泣きそうなのが分かったから
私は慌ててその手を握り返し、そして離した
「時間だから行くね、また来るからね!」
ふすまを閉める…
危なかった…
あそこで別れないと、きっと号泣してた
そんな悲しい別れ方
・・・まだしたくない
今回の帰省で最後に見た父の顔は
笑いながら 泣き崩れた顔だった
大丈夫…ちゃんと、焼き付いている
あの頑張って作ってくれた笑顔は
絶対に忘れたくないと思いました。
ここまで読んで頂いてありがとうございました🍀