40年前の恋人 との 再会 (第二話)
あまり盛り上がらないメールのやりとり
メールが来るようになった最大の理由は、たろうの病気について、彼女が心配してくれていたからでした。ざっくりした病状は友人に聞いたみたいでした。その時は、余命も長くないんじゃないかと感じていたそうです。
それ故に、何とか励ましてあげたいと考えたそうです。
5歳年上という彼女の夫である方も、40代で心臓の病気を患い、割と危なかったうえ、最近では、機械が埋め込まれた状態で、生活しているとのことでした。
そして10年くらい前に、胃癌になり、奥側の半分を切除したそうです。
重病人を身近に看病したり そこで生活を支えたりという苦労があったからこそ、何か伝えたい気持ちだったのだろうと思います。
しかし、たろうの症状は、その方と比較するとまだマシな気もしました。
一方、たろうは前向きな考えで病後の人生を捉えていませんでした。
再発率が高く、移植したとて5年生存率も6割以下くらいですから、先行きはさほど明るくないと考えていました。
闘病ブログや動画サイトのお仲間が、どんどん亡くなっていくからです。
世の中、普通に暮らしている人達ですら、病気以外にも色々と大変な想いがあるという話もされました。趣味などを持ち、明るい気持ちを保つよう提案されました。
悲観する必要はないのですが、楽観するのもどうなのか とたろうは考えていましたから、ちょっと齟齬があったように感じました。
次第にメールの間隔があき、お互いのこれまでについての話題に発展することもなく、内容が減って季節の挨拶と近況報告程度に落ち着いていきました。
突然の故郷訪問から急遽再会へ
様々な理由とタイミングから、年明け2週目に突然の故郷訪問をすることとしました。目的は発病以来ご無沙汰している母姉弟に会うためです。あけおめメールもほどなくして、訪問計画の旨を伝えると、彼女は楽しみにしている様子でした。
どちらも既婚者ですから、これまでメールのやりとりだけに限定していましたが、彼女の提案でお互いにラインの交換をすることにしました。伝達手段の便宜上、その方が良いとのことでした。
再会の方法もグループで会うのが適切なのか、二人で会うのが良いのかと問いましたが、積もる話の農密度を考慮するなら、二人で会おうということとなりました。
静岡から戻る際に、12時から17時まで時間を取りました。
新幹線の駅前ロータリーで待ち合わせしました。
車の特徴で美沙子さんをみつけ、かなり駅近の飲食店に移動して昼食をともにしながら四方山話をしました。
予想以上に意思疎通が出来る会話
東京駅の別れから40年、どんな感じに話をすることになるのか、全く想像できなかったのですが、驚くほど、意思の疎通が良く、会話がすごく嚙み合ったのは、ちょっと驚きでした。
別れてから結婚するまでは数年かかった模様でしたが、お見合いもたくさんして花婿候補と出会いは多かったようです。
病気のこともメールのやりとりでは情報が限られていて、こちらも迫真の状況を伝えることもしていませんでしたが、当時の自撮りを2枚ほど残していたので、それを見せると絶句していました。
完全に死相がでており、別人の雰囲気だったからです。
割と激しい口調で、これはたろうではない! 完全に別人よね! 目が違い過ぎる! などと言われました。
百聞は一見に如かずということなのだと思いました。
美沙子さんは、公社にお勤めの方とグループ交際を経て結婚したそうです。
出張の多いお仕事だったみたいで、家庭を守り二人の男の子を大学まで出して息子さん達の勤めも良い所で、既に結婚もされているそうです。
自宅のローンも退職金で終わっていて、御主人の病気以外の問題は無さそうな様子でした。
たろうも、別れの後、2年後くらいには自分の天職が見つかり、その会社で10年程務めましたが、うち6年を北米で駐在員として働き、帰国後に独立して有限会社を22年やってきましたので、職業的に言えば、恵まれた人生を歩んできたという話をしました。
現在は、九州の妻の実家に40キロの距離に住み、そこで農業をしていると伝えました。したいことをしてきた人生だったというくくりで話をしました。
相互の話の理解速度が速く、会話がとても楽なのが印象的でした。
若いころは、どちらかというとお互いに口数が多くない印象がありましたので、そのギャップに驚きました。
たろうが伝えたかった事
あの頃のたろうは、恋愛における真剣さに、いつも及び腰でした。
その最大の理由は、自分の内面の形成が不足していたからだと思います。
信念とか目的とか夢とか、そういったものがまだありませんでした。
ですから、美沙子さんの主義主張には、どうも気後れしてしまって、真正面から向き合うことが出来ませんでした。
一方で、本当に好きならば、自分の夢を捨てて、故郷で仕事を探して、お付き合いを継続するという選択もあることは、頭の中ではわかっていました。
しかし、どうしても、家には戻りたく無いという、親に対する拒絶がとても強かったのです。それは彼女には説明したことはありませんでした。
今回は、その件について、少し幼少期に遡って家庭の事情やそういった心情にあった理由などを話ました。
もう一つ、これはごく当たり前のことなのですが、男女平等とはいうものの、男として自分の仕事が納得出来る中身であることが、どうしても成し得たい事の一つだったということです。
それが未達であれば、結婚など出来るものではないという考えを持っていました。だから、美沙子さんの結婚願望は、当初からかなりプレッシャーでした。どうしても及び腰になり態度が曖昧のままでした。
たろうは、意匠の仕事がしたかったのです。デザインとも言います。
デザインという分野でも、主に立体造形がやりたかったことでした。
紆余曲折を経て、理想の仕事に巡り合った時は、どんなに給与が安くともこの仕事を全うしたいと思ったものです。プロの世界というのは、上には上の存在があり、同僚の中には神業を繰り出す人もいて競争は熾烈でしたが、必死に食らいついて仕事をしていました。
たろうが、美沙子さんとの別れを選び、その結果訪れた運なのだと思いました。
たろうが知りたかった事
それにしても、たろうは、お付き合いをしている当時から、不思議に思っていたことがありました。美沙子さんは、自分のどこが好きなのか、それがわからなかったからです。
そもそも、たろう自身地元に戻って結婚する意志は無いことは、匂わせていましたから、もっと、さっさと見切りをつけても良かったのではないかと、自分勝手ながらそう考えていました。
実家が太いとか、学歴、容姿、職業、収入 といった条件は、結婚する女性にとって、とても大切なことだと思うのです。たろうは長男でもありました。
たろうは、身長だけは180センチ以上ありますが、それ以外の要素は、あまりに不足していました。家はとても貧しく、母は再婚ですから実の親でもありません。バックグラウンドが良くないのは自明のことでした。
この日聞いた話でも、美沙子さんが中学時代 たろうも知っている3人の男子から言い寄られていたことや、高校時代も通学バスの中で、何度も多数の男子生徒からアプローチを受けたことも話してくれましたが、となると、尚の事、そこまで交際を続けてくれる理由に乏しいように思えました。
たろうの質問に対し、美沙子さんは、中学三年の時の出来事を教えてくれました。
クラスの女子(美沙子さんは実名で覚えていました)が体調の悪かったのでしょう、給食の最中に突然大量に嘔吐したことがあったそうです。
男子生徒諸君は、一斉に廊下に避難するなどして、距離を取ったそうです。でも、たろうが一人だけ、さっと雑巾を何枚か準備して床のゲロをふき取っていたそうなんです。
その姿を見て、好きになったのよ、と言われました。
当然、たろうにはその記憶がありませんし、まさか、お調子者のたろうが、咄嗟にそんな行動が出来るのか、確信はありません。驚きの証言でした。
普通に生活をしているならば、なかなかイザという場面に出くわすことはありませんし、現在のたろうにそういった要素があるのかも疑問です。
当時のたろうに、そういった人間性があったことが、たろうにとっては、貧しくとも精一杯生きていた幼少期から青年期までの自分が、良い意味で肯定できる気持ちになった瞬間でした。
彼女の人生の汚点にならなくて良かった
5時間に及ぶ会話の中で、多くを割かれた話題として、美沙子さんの現在の仕事の話がありました。たろうは、その内容を簡単に理解出来ず、その業界には疎いので、沢山の写真を見せてくれたり会社のホームページなどを出して説明を受けました。技術職といった仕事内容とその難易度が とても印象的でした。組み立てる装置はワンオフ製品で、かつ大型なので理系と体育会系を合わせたような仕事です。
確か、寿退社した最初の職場はアパレル関係だったので、かなりギャップがありました。そして、セカンドキャリアとしての、その仕事を極めてきた自信のようなものが伝わってきました。
中学も高校も部活は全国大会常連のようなハードな運動部出身ですから、そもそも体力にも自信があったとのことですが、男勝りな印象も受けました。
彼女の話を総括すると、今現在の幸福やこの先の生きる希望などについても、趣味の仲間も多く、当然のことながら部活仲間との繋がりとか、多方面に様々な人脈が形成されていることで、とても充実した生活ぶりが伝わってきました。ややお金がかかる趣味のように見受けられましたが、それを謳歌するだけの収入もあり、本人に限っていえば、健康で楽しく暮らせるという未来も見えているように思えました。
たろうと別れた後の彼女の人生が、御主人の病気などで様々な苦難もあったものの、総合的にはとても良いものであったことが、旧友として、すごく嬉しい知らせだとしみじみ思いました。
また、たろうは、謝るような気持ちで、こう言いました。
自分が苦しい時に、精神的に支えてもらうばかりで、こちらからは、何もしてあげられなかった。と。
美沙子さんは 少し考えているふうでしたが、
大阪や神戸でのデートの想い出とか、バイクの後ろに乗せてもらったこととか、数少ないことを美化している風でした。色々としてもらえて嬉しかったという言葉は、たろうとしては意外すぎると思いました。
そして、一線を越えずに綺麗な付き合いに終わったからこそ、こうして再び友達として会えるんだよね、とも言ってくれました。
長い間、ずっと心にひっかかっていたものが、ほぐれていく瞬間でした。
つづく・・・・