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ホラー?ファンタジー?「隣のずこずこ」

こんばんは、笹パンダです。
前回の記事で書いたように今回は10月に読了した、

柿村将彦先生「隣のずこずこ」

についての感想と、少しの自分なりの考察を書いていこうと思います。

(画像は狸の置物を自分で描いてみました、うん…何とも言えない…
下手ですね……)

🐾あらすじ🐾

中学生3年生の住谷はじめが暮らしている村に
「権三郎狸」がやって来る。
村に伝わる話によると権三郎狸は訪れた村を焼き払い、村人を飲み込んでしまうらしい。
はじめは戸惑い、抗いながら日々を送っていくが…

と、いうものです。
(おそらく文庫本の裏表紙にあるあらすじの方が良いと思いますがそのまま載せてもよいのかわからなかったので💦)

このあらすじだけを見ると私はホラー系の小説なのかな?
と思ったのですが、日本ファンタジーノベル大賞2017受賞ということでドキドキしながら読み始めました。

読了時には、表紙とタイトルに
「そういうことか…!」と、なりました…
村の消滅という出来事は、はじめたちにとっては世界滅亡と同等の意味を持つ事です。
その終わりに向かって人々はどういう行動をとるのか、
どうすればそれを止められるのかという葛藤とは裏腹に
平凡を残したまま続いていく日常にこの作品がファンタジーというジャンルに分類されることを実感しました。
迫りくる村の終末に対して、少しの閉塞感と大きな疑問が沸き上がってきてページをめくるのが止まりませんでした!

*ここから先は本編の展開について言及しておりますので、まだ読んでいない方はぜひ読んでからお進みください*



なぜ権三郎狸は村を飲み込んでいくのか、
なぜ付き人がおり、その人を殺した人がまた付き人になるのか、
多くの疑問を残したままこの小説は結末を迎えますが、それでも
ものすごいインパクトと読了感を私に残していきました。
むしろ全てが分からないままの方が良いのでは…?とすら思いました。

「もしも世界が終わるなら…」という設定の小説は多々あり、いくつか読んだことがありますが、そういう物語の中に登場する人物像の一つとして、
「世界が終わるならなにをやってもよいだろう」と考える人が挙げられます。
この本では伊藤がそのタイプでした。
他の登場人物は自分の欲を満たすと言っても、他人に迷惑をかけない方向で村の終末に向かっていきます。(恵美を除く)
そんな中出てきた伊藤には、はじめとともに怒りが沸いてきて報復の際には、正直「いいぞ!もっとやれ!」と思っていました。
後半は特にハラハラ、ドキドキが止まらない展開でしたが、
あかりさんを殺しに向かう際に恵美が拳銃で消防団を威嚇する場面での

「撃つぞコラアー!」
恵美の声。そしてまた銃が鳴る。
「撃ってるやんけー」「ウワー」「アー」

「隣のずこずこ」柿村将彦  より

というやり取りにはちょっと笑ってしまいました(私だけでしょうか…?)

森見登美彦先生の解説で、なぜ弟ははじめの布団に入ってくるようになったのか、という疑問が挙げられていましたが、私なりの解釈が浮かんできたので話したいと思います。

良雄は姉であるはじめが放火の犯人だと疑っていました。
放火は夜に行われていたということだったので一緒に寝ることで姉の犯行を止められる、もしくは目撃できると考えたのではないかと考えました。
しかし玉留から帰ってきたその日に火事が起き、
その晩から一緒に寝ていたので最初はひとみの存在を覚えていないことによる不安から布団にもぐりこんだのかな?と仮定した上での予想ですが…

この本はXでフォローしている読書アカさんがおすすめしており、「面白そうだな」と思って図書館で借りてきました。
読んでみて全く新しい感覚に出会えたなと思います。
怪異(?)系統の話としては、その物にタブーとされていることやアクションを起こしてしまうとその怪異そのものになってしまう
という展開自体は何度か見たことがあったのですが、
読んでいても全く予想できず、とんでもない衝撃でした。

読めてよかったー!!

それではここまで読んでいただきありがとうございました。
おやすみなさい











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