大きな設定の「中今」で
昨日は、1年ぶり2度目に
お会いする方とお茶をして
そのあとその方がお好きな
画家さんの絵画展をこちらの
ギャラリーへ観にいきました。
そもそもこの方とは、
あるアーティストさんとの
ご縁で知り合い
さらにそのアーティストさんは
今年受講したとある講座で
紹介されていたことから
知り合ったのですが
ご縁が巡りめぐって
阿部高大さんとその
作品に触れることとなりました
https://www.takaoabe.com/works/
紹介してくださった方から
上記のホームページを教えて
いただいたので
作品の展示を見る前に
オンライン上のポートフォリオ
(作品一覧)を拝見していましたが
その時に浮かんだのは
「ミッドセンチュリー」という
言葉と様式
特に、スタンリー・ドーネンの
映画作品である「シャレード」
(オードリー・ヘップバーンと
ケーリー・グラント主演の
サスペンス映画)の冒頭タイトル
映像でした
0:43以降に登場する
左巻きと右巻きの渦が
なぜか阿部さんのポートフォリオを
見たときに浮かんできたのです
それが実際に作品が置かれている
ギャラリーで実物を観たら
なんとすべての作品に
左巻きと右巻きの
曲線が描かれていて
その2つが交差しているのです
阿部さんとギャラリーの方々
(ギャラリストという肩書の
紳士お二人)にもお話を伺ったの
ですが
作者から見て右巻きの曲線だけを
当初作品に描いていたそうなのですが
絵画を購入した方々からとある訴えがあり
最終的には種々のバランスを取るために
左巻きの曲線との交わりが生じる
ようになった経緯があるそうです
そして、初期の作品ではかなり
物質的な側面を描いていた作者も
私が伺った話を
ざっくりまとめると
天・人・地のような
大きな全体の中での
人の営みを意識して
そのなかで
地球の表現として悦びが
天に伝わるような作品を出そう
そのような感覚をもって
一連の作品を発表されている
こんなお話を伺いました
アート作品については
ギャラリストの山下和輝さんも
おっしゃっていましたが
平和な時代だから所有できることで
これが戦争が起きると無に
帰してしまう
それが過去に多々起きているのですが
だからこそ
平時にアートを手元に置いておく
ということは
ここに生きる美と豊かさを放つものだと
作者の阿部さんと
ギャラリストの山下さんから
LUCKY ECLIPSE 10
(https://www.takaoabe.com/works/lucky-eclipse/)という
作品が私の雰囲気にぴったり
合っていると言われました
これを上手なセールストークと
するか、または違った受け取り方を
されるのかは(笑)
この文章を読んでらっしゃる
みなさん次第ですが
私の筆力の限界もありますし
アーティストさんと
その活動を支えている方たちが
天・人・地の大きな設定のなかで
自分たちはどういう在り方で
何ができるだろう
どういうことを発信していこう
ということを常に意識して
おられる
それが強く伝わってきました
そして帰宅後に就寝して
夢を見たのですが
その中では
LUCKY ECLIPSE 10の絵画と
ギャラリーで観たほかの絵画たちが
ずっと動いていて
その上下左右を
これまた絵の中に織り込まれている
左巻きと右巻きの曲線が
動きを伴って取り囲んでおり
そのすべての動きの真ん中で
「中今」という言葉が
バーンと浮かんできて
はっと夜中の3時半に目を覚ましました
そして、スマホを見たら
WDR(西部ドイツ放送)が
交響楽のライブ配信をしており
「オルフの『カルミナ・ブラーナ』を
これからやりますのでお待ちください」
と通知が来ているではありませんか
『カルミナ・ブラーナ』に含まれる楽曲で
"In Trutina"という小品があるのですが
その歌詞が(原語はラテン語)
In trutina mentis dubia
Fluctuant contraria
Lascivus amor et pudicitia
Sed eligo quod video
Collum iugo prebeo
Ad iugum tamen suave transeo
というものですが
これはおおよそこんな
内容になるそうです
「天秤にかけてみた
理性とためらい
不安と傲慢
そして愛と貞淑を。
でも私は目に見えるものを選ぶ。
首をくびきに縛ってみても、
やはり愛に寝返ることでしょう。」
https://minkara.carview.co.jp/userid/1656431/blog/33433162/
両極に揺れつつ
その中で選ぼうとする
人間の姿を歌っていて
十代初めのころに聴いて
以来、ずっと耳に残る一曲でした
私も例外に漏れず
両極の狭間に揺れる数十年を
送りつつも
この小品は
「過去の名曲」に
過ぎなかったのですが
それがここにきて
30年以上も経って
生き生きと私の中に
生きている道すがらの
イメージとして立ち上がった
そんな感覚です
そしてなにより
LUCKY ECLIPSE10に
添えられている言葉である
My heart is the center of the work of God.
「我が心は神の業の真中なり」
芸術作品には
これまでも多々触れる機会が
あって
これまで絵画、音楽、舞踊、文学
といったものに
心を多々動かされてきました
そして今回は今まで経験してきた
ことや、ここにいるという
大きな設定の「絵」が一気に
統合されたというか
それがある芸術作品とそこに
関わる方々によって
想起された
そして、そこに至るご縁が
たまたま出会った方々の
つながりによって運ばれてきた
ものであり
それがこの「中今」の
不思議であり面白さ
ひいては
今ここにいるという
意味合いなのかも
しれない
そう感じさせるできごと
でした。
今ここにいること
そしてこの面白さを
もっと楽しんで使っていって
いいという
そういうメッセージでも
あるのかもしれません。
くしくも
アート(Art)という
英単語は
いわゆる「芸術的表現」以外にも
ある「様式」「手法」「方法」
さらには「特別な技能」という
幅広い意味合いがあります
ですから
私たちが置かれている
この多次元の設定のなかで
どのような「生きているという
ことについての表現やその試み」を
していくか
それも大きな意味ではアートと
なるのですが
その中でも他者がアクセス可能で
共感・共振し受け手に揺さぶりを
与える様式を作品
(絵画、音楽、舞踊、文学など)
という形で世に送り出している
人たちのことを
アーティストと呼んでいるわけです
作品を産み出し世に出すかどうか
それはさておき
実は生きて日々の営みをおくる
人たちは
何らかの形でアーティストと
言っても過言ではないのかも
しれない
試して選んで表現していくことができる
それが人間として与えられた機会だから
じゃあ、次はどんな試みと
表現をしていきますか?
という問いがわたしたちに
「いまここに在ること」で
常に投げかけられているのかも
しれません。
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