気管支喘息。
自己紹介をするとき「小さいときは◯◯でした」というフレーズからお話をはじめる人がいる。僕はいつも「小さいときは気管支喘息でした」というフレーズからお話をはじめる。
幼少期は「小児喘息」といわれていたが、オトナになっても完治しなかったので「小児」ではなかったと思う。アレルギーテストの結果「ハウスダストが原因です」と、お医者さんはいっていたが、ホントは精神的な原因だったような気がする。
小学校の時は、週に二日程度お休みをしていた。病気明けで当校しても授業の内容はサッパリわからない。やっとわかりはじめても、またお休みしてしまう。その繰り返しで、成績はいつも最下位グループだった。
遠足や修学旅行には参加できたけど、いつも後半は発症して、苦しい想い出ばかり。友達が話すギャグにもついて行けず、コミュニティに参加していると感じたことはなかった。そんな苦しい想い出のなかにも、楽しい想い出もある。
病気明けで当校したとき、隣の席のクミちゃん*が、いつも僕の貰っていないプリントを見せながら、優しく勉強を教えてくれた。クミちゃんは学年でトップクラスの成績で、スポーツも得意。ダンス部に所属し、長身でスタイルもいいうえに顔も可愛い。
当然、男子の人気の的だったし、女子から一番人気があった男子とのウワサもあった。病弱な僕が彼女の対象でなかったことは、誰の目からも明らかだったし、僕自身も期待をしたことはなかった。
小六になって、彼女は「お嬢様学園」の中学校を受験することを知った。同じ公立中学に進めないのは残念だけど、そのキモチは色恋的なものではなく、この先「勉強を教えてくれる優しいひとがいなくなる」という不安だった。
でも、彼女の対象ではなかった僕は感情を言葉にすることなく、あっさりと卒業を迎えた。
想像していた通り、中学は「地獄」だった。
*「クミちゃん」は仮名ですがお話はリアルです。
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