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\デザイナーさんへ突撃インタビュー!/

グロービス卒業生で「開学15周年おめでとう応援広告」を出したい!!
この応援広告を出すにあたり、協力いただけるデザイナーさんを募集した時に、手をあげてくださったデザイナーさんの一人が下總さんです。このページでは下總さんへの突撃インタビューをお届けします。

~下總さんプロフィール~
2016期オンライン校 下總 良則(シモウサ ヨシノリ)さん。多摩美術大学を卒業後、プロダクトデザイナー、グラフィックデザイナーの経験を積み「デザイン×経営学」をテーマに活動。一般社団法人RACの理事やusadesign代表の他、東北工業大学 ライフデザイン学部 産業デザイン学科の准教授として教鞭も執られています。

~美術大学に行き、デザインのお仕事、教職のお仕事をされるまで~
幼い頃から絵を描くことが好きで、高校では部員が私一人だけの美術部で油画を描いていました。高校2年の頃、先生に自分がやりたい事を話をした時に、進学先として美術大学がある事を教えてもらいました。
ただし、美大に行きたいと思っても美大の学費って高額なんですよね。実家は母子家庭であったこともあり、裕福ではなかったので、母からは大学に通わせられないと言われたんですね。
それゆえ、高校卒業後に上京して3年ほど物流倉庫でフリーターをしながら大学進学費用を自分で稼ぎ、多摩美術大学へ進学しました。私を突き動かした原動力は、デザイナーという生き様に対する憧れのみでした。

大学卒業後に入社したメーカーでは、デザインしか勉強していなかった自分にマーケティングやプロマネとしての業務を求められました。学んだことがなかったので当然、思ったような成果を出せなかった日々を過ごしました。
メーカーで商品企画に関するほぼ全行程を経験したのち、小さなグラフィックデザイン事務所に転職しますが、社長が脳梗塞になり、入社半年の新人の自分が社長代理をしなければならない困難な状況となりました。
社長が引退を決心して会社を閉じるまでの3年弱、お手伝いをしましたが、この時は前職で経験していた原価計算の知識が大いに役にたちました。

教職についたのはこの頃でしたが、デザイン教育の教員という選択肢を考えたきっかけは大学時代の恩師、加藤雄章先生の存在がありました。
加藤先生には、美大在学中から卒業後も様々な相談をしていたのですが、当時の私のそんな状況を見てくださっていたのですね。日々、気が落ち込みがちな中で、そろそろ元気だしなよと励ましのメールをくださったんです。
そのメールをいただき、お会いする約束をしたのですけれど、会う約束の日を三日後にして、先生は病気の発作で亡くなったんです。

あの頃、自分の大切な存在をどんどん失う経験をしました。職が変わり、転職もしていますから仲間も減り、恩師が亡くなり、転職先の社長が第一線から退き。短期間の間に多くの大切な存在が自分の中から失われていって、結局自分には何が残るのだろうかと問うたとき、物事を考えようとする際の考え方が、加藤先生の考え方になっている自分に気がつきました。相談してきた多くの時間を経てそうなっていたのですが、あの頃、一番最後に自分に残ったのは、自分自身に他ならないという考えに至りました。この時、デザイン教育を通じて、大変有り難いバトンを受け取ったのだと気づきました。
そこから、自分にできることは何だろうと考えた時に、加藤先生が生前おっしゃっていた「次代のデザイナーを育てたい」という遺志を引き継ごうと考えるようになります。
そこで専門学校の非常勤講師の公募を経て、ご縁があって教職に携わるようになり今に至るのですが、余談ながら、非常勤講師の面接時にその専門学校のプロダクトデザイン科を立ち上げたのが恩師、加藤先生であったという事を偶然、話の流れで教えていただきました。その公募は加藤先生の欠員の公募だったのですね。何も知らずに応募しましたが、不思議なご縁、繋がりを感じました。

~15周年交通広告クラウドファンディング、デザイナーとして参加されたきっかけを教えてください~

グロービスのFacebookグループで応援広告デザイナーを募集している三浦さんの投稿を見て、自分にできそうなところはお手伝いしますと連絡したのがきっかけです。

卒業して3年になりますが、時間が経てば経つほど、母校、同期、仲間との縁は在学当時と比べるとやはりどうしても疎遠になってしまいます。そもそもオンラインで学んだ同期はキャンパスに通えなかったので、なおさらそうです。

ただ、普段会えなくても、皆、自分たちがいる業界の最前線で頑張っていることを私は知っていますし、グロービスに何かお役に立てる機会があるんだったらやりたいと、みんな考えていると思います。そんな中で今回いただいたお話は、自分が貢献できる機会をいただけたという想いでした。

~力強くもしなやかに優しいカリグラフィで描かれた創造変革の文字、このデザインに込めた思いを教えてください~

最初にこの話をいただいた時、すぐにイメージが頭に浮かびました。「創造変革」という文字はその時に決めていました。私たち卒業生と母校グロービスの関係性を、グロービス外の方々にどう言えば的確に伝わるだろうかと考えた時、この理念以外にないと考えました。

なかなか仲間と会えずとも、卒業後も皆、創造と変革の志士として頑張っています。創造変革の1文字ずつをポスターにレイアウトし、そのポスターが街中で横並びになった時に初めて、創造・変革の熟語ができあがるコンセプトは、グロービスの仲間達が街で出会う瞬間、私たちが教えてもらったこの理念が繋がる瞬間、そして、卒業生と母校が再会する瞬間のメタファーです。

~下總さんがグロービスに入学されたきっかけ、また通われて感じた変化を教えてください~

私は12年前から非常勤講師として教育の場で教鞭をとってきましたが、非常勤講師として教える限界を感じる事がありました。

教え子達は私からデザインを学び、社会に出ていきますが、デザイン以外のこと、例えば、市場分析、金型投資の回収方法、販売戦略立案等も業務として求められます。また、一生懸命頑張っているけれど全然報われない、といった相談も、教え子が社会に出た後に度々相談されました。

過去の自分とまったく同じ壁にぶつかり、彼ら彼女らがボロボロになっていく姿を見て、この問題は教師が経営の知識を伝えなければ、教え子達が不幸になる、そう感じていました。その想いを抱いている時にグロービスを知り、MBA取得を考えたきっかけとなりました。グロービス卒業後の現在は、日本ではまだ稀なデザイン経営分野の大学専任教員になることができました。

実はグロービスの卒業生スピーチで「3年以内に大学の専任教員になります!」と宣言していて、期限ギリギリで宣言を実現する事ができました(笑)。
あの頃グロービスで学んだ事全てが、今に繋がっていると感じています。

~下總さんのこれからの目標は~

グロービス在学中の志は「デザイン業界に貢献する為に大学の専任教員になる」でしたが、今の志は「デザインと経営学の分野で、前人未踏のロールモデルになる」です。

以前から抱いている「次代のデザイナーを育てる」想いは変わっていないのですが、卒業後に出会った方々の志に磨かれ、高さを変えました。この未開の分野で尽力する姿を後進に伝えることで、ロールモデルになることを目標にしています。

~下總さんにとってグロービスとは~
在学中の事を振り返ると、あれだけ短時間で集中して学べた時間はなかったと思いますし、自分の中でとても大切な礎のひとつになっています。
私はそれまで経営学を学んだ事はなく、くじけそうになる事もたくさんありましたが、同じように学ぶ仲間たちから多くの勇気をもらいました。
あれだけ情熱を持って学び、その情熱を仲間たちと共有できた場所は他にはないと感じています。

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下總さん、ありがとうございました!
麹町、仙台を彩る「創造変革」の文字は圧巻!このインタビューきっかけに下總さんの人生観、熱い思いに触れることができました。感謝!
G会15周年応援広告グループ一同

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