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【短編小説】なぜ雨の匂いは心に響くのか?

〜プルースト現象と雨の日の懐かしい記憶〜

雨の匂いがした。

娘の手を引きながら傘をさして歩いていると、ふと、空気に混ざる懐かしい土の匂いが鼻をくすぐった。濡れたアスファルト、遠くで鳴くカエル、そして雨の落ちる音。それらがひとつになり、過去の記憶を鮮明に引き戻してくる。

「ねえ、パパ、雨の匂いって、なんでこんなに特別なんだろう?」娘が足元の水たまりを飛び越えながら言った。

「そうだね。雨の匂いには、特別な力があるのかもしれないね。」僕は立ち止まり、娘の顔を見て微笑んだ。「昔、この匂いを嗅ぐたびに、僕もいろんなことを思い出したよ。」

「どんなこと?」と彼女は目を輝かせて聞いてくる。

僕は傘を少し傾けて空を見上げた。灰色の雲が低く垂れ込め、しとしとと降る雨が、記憶の扉を優しくノックする。「例えばね、小学校の頃、プールの授業が楽しみだったんだ。でも雨の日には、朝からこの匂いがして、『ああ、今日はプールが中止になるな』って思った。ちょっと残念だったけど、雨の日ならではの遊びを楽しんだことも、今ではいい思い出だな。」

娘は不思議そうに首をかしげた。「雨の匂いで昔のことを思い出すの?どうして?」

「それがね、『プルースト現象』って呼ばれてるんだよ。」僕は少し得意げに答えた。「ある有名な作家が、マドレーヌっていうお菓子の匂いで、自分の子ども時代の記憶が一気に蘇ったって話があるんだ。その名前から来てるんだ。」

「じゃあ、雨の匂いはパパのマドレーヌなんだね!」娘は嬉しそうに笑った。

「そうかもしれないね。」僕は彼女の頭を軽く撫でた。雨の匂いが、僕をいつもあの頃の自分に戻してくれるように、いつか娘にも、今日という日の記憶を蘇らせる日が来るんだろうか。今はまだ、彼女にとってはただの「雨の日」かもしれないけど。

傘の中、雨音が優しいリズムを刻む。歩きながら僕はふと考える。この匂いが僕たちの記憶を紡いでくれるのなら、雨の日も悪くない。むしろ、こうして娘と一緒に歩く雨の日が、いつの日か彼女の「プルースト現象」を起こすきっかけになるかもしれないと思った。

「ねえ、パパ。」娘がふいに立ち止まり、僕を見上げた。「大人になっても、この匂いでパパのこと思い出すかな?」

「そうだね、きっと思い出すよ。」僕は微笑みながら答えた。「この雨の匂いは、僕たちがここにいた証だもの。」

娘と手をつなぎ、また歩き始めた。雨の匂いが、僕たちの記憶に静かに溶け込んでいくのを感じながら。

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