![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118758296/rectangle_large_type_2_05b22f906cd056baf211785479b987d4.jpeg?width=1200)
“普通”という抽象度の高い言葉
普通という言葉があります。
例えばの話ですが、家に帰って洗濯カゴの中に靴下を入れずに玄関に脱ぎっぱなしで家に帰る人からするとこの行為が普通です。
恐らく大半の人は、靴下を脱ぐ=洗濯カゴに入れることが普通だけど人によってこの普通の定義が異なります。
努力の量という観点で考えても同じです。
その人の中では頑張っているという感覚でも、もっと努力を実施している人からすると頑張ってるフリをしているだけです。
だからこそスポーツもビジネスも結果で評価される。
悲しいかなこれが現実であり、世の中であり、世界基準だと思う。
僕はこの普通という言葉をいつも疑うように意識しています。
恐らくそれが自分のためだと思っています。
だから僕が取り組んでいるルーティンを人に話す機会があるとよく驚かれますが、もっと高みを目指すためなので普通の話です。
なにも凄くないけどよく凄いと言われます。
僕からすると凄いと褒めてくれる人は継続ができないだけなのと自分に負荷をかけることが嫌いなだけです。
楽天の三木谷さんなどをSNSなどで拝見しているともっと早起きで色々活動しています。
営業に置き換えても会社なので最低限の目標数字だけを達成して仕事を楽しむも良し。(会社からすると目標さえ達成すればなにも問題はありません!ご安心ください!!)
会社が求める以上の数字を達成して自分のインセンティブを稼いで自己実現の角度を高めるも良し。
色々な人が居てるからこそ世の中は楽しい。
それぞれの普通や求めるライフスタイルがあります。
僕は会社が求める最低限を達成していれば好きにして欲しいというのが本音です。
沢山遊んでる人の方が仕事で高みを目指している傾向が強いと思います。
それぞれの人に役割と目的がありあります。
全うしながら仕事を全力で一緒に楽しみたいものです。
まだまだ会社として改善していくところが沢山あるな〜と感じるこの頃です。