「なんて不幸なんだ」を、ラッキーに変えるちから
人生は不公平だ。
同じだけ努力したって報われる保証なんてどこにもない。
お金持ちの家に生まれれば、生まれた瞬間からお金持ちだったりするし
美人に生まれればそれだけで人生勝ち組の可能性が高いし
誰もがうらやむ才能があれば、そのスキル一つで生きていける。
でも、そんな人は世界に何パーセントいるのだろう?
その何パーセントかの人をねたんで、うらやましがって、
「自分はなんて恵まれていないんだろう」
そんな評価をくだすことにどんな意味があるんだろう。
少なくともわたしは、そういう考え方はめちゃくちゃもったいないと思う。
これまでの人生で、幾度となくトラブルや失敗、挫折、後悔をしてきたけれどそこでの経験が今のわたしを形作っている。
しかも、そういう経験を振り返ると、その当時はキツくて大変だったことほど、のちの人生に良い影響を与えてくれているように思う。
結局、どんなに防ごうとしたってアンラッキーな出来事というのは起こるわけで、それに対して「わたしなんか…」「なんでこんなことに…」と悲観するのではなくて
「こっからどうやって乗り越えてやろうかな?」と考える方が楽しいと思うのです。
「それってつまりどんなの?」
って感じなので、具体例をひとつ書いてみますね。
大学受験をミスって良かった件
現役での大学合格が叶わず、一年間浪人することになったわたし。しかも、そのとき住んでいた関西から親の仕事の都合で鹿児島へ行くことになり、右も左も分からん土地での生活がスタート!
もちろん本来は勉強することが最優先ではあるけれど、「19歳」という子どもと大人のハザマの一年間を出来るだけ有意義なものにしたくて、いろーんなことをやってみました。
・"それっぽい"バイトをしようと学習塾の講師になり、浪人生のくせに受験を控えた高校生を教えるという暴挙
・「学校がない」というヒャッホーな境遇に浮かれて市のバドミントン教室に参加し、ハマりすぎてそのまま社会人チームに入団
・「今しか出来ないっしょ」という思い込みで、九州~関西を友人宅を渡り歩きながら周遊
・・・あれ?
これ本当に浪人生の生活かな?ってなりましたね、だいぶ。
でもね、わたしにとっては忘れられない一年にもなりました。
現役合格して楽しそうな大学生活を送る同級生を見たとき、
「わたしも受かっていたら同じように楽しんでいたはずなのに」
そんな風に思ったのは事実です。
でも、知らない土地鹿児島で出会ったたくさんの人たち、文化、経験はとっても貴重なもので、そういうのを得たことによって「浪人して良かったなぁ」と思えたんです。
つまり、どんな出来事に対しても、それを意味のあるものに変えられるかどうかはその後の自分の気持ちと行動次第だということ。
一見乗り越えられなさそうな大きい大きい壁であっても、何ならその壁を乗り越えることは出来なかったとしても、自分がそうしようとすればそこに意味が生まれるんです。
しんどい状況にいる時ほど、そうでない人がキラキラと輝いて見えるものですが、そのしんどい時に踏ん張ることが出来たなら、それはあなたにとってかけがえのない財産になるはず。
負けないでください。
記事だけでなく、こんなところまで目を通して頂いてありがとうございます^^ 普段は肝っ玉母さんを演じていますが、こんなわたしをサポートして頂ける方の前ではごろにゃん甘えたい欲望が抑えきれません(:Д:) 何よりも、応援したいと思ってくださったそのお気持ちに感謝いたします