I am Plural, and I am Singular (日本語版)
幸か不幸か、複数の文化を身につけて育ってきた。外国にいたときは自分が日本人の代表のように思い込んできた。−−だって、その国の人はみんなぼくのことを日本人だというし、たしかにぼくは日本人だから。
日本に帰ってきたとき、ぼくは「外国帰り」だった。−−呼び方は、「帰国子女」から「キコク」へと変わり、やがてぼくらの仲間を「バイリンギャル」などという人も出てきた。
ぼくは日本人のはずだったけれど、まわりの日本人たちはぼくのことをガイジンのように思ったらしい。よくは分からないのだけれど、ぼくはなんだかみんなとずれていたらしい。クラスの中で、みんなが黙って下を向いて先生に叱られているとき、ぼく一人だけ先生の目を見つめていたり、気がつくと一人だけ手をあげていたりした。英語の授業では、ぼくが教科書を読む度になんだかわけの分からないどよめきが起こった。ぼくはそんなことをあまり気にはとめなかったけど、やっぱりぼくはかなり変なヤツだったのかもしれない。日本人たちは、ぼくのことをなかなかフツーの日本人としては見てくれなかった。
ぼくはぼくで、日本で何年か生活している中で、日本が間違っているような気がしたことが、何度もあった。受験競争、団体行動、商業主義。何でも「みんなで、一緒に、仲良く、同じように」といわれるのが苦手だと思ったこともある。外国人たちと一緒にいるときの方が気が楽に感じられることもある。それでもぼくはガイジンじゃないよね。
じゃあ、ぼくは何ジン?
仕事を始めるようになって、外国に出張する度に、日本に帰りたくない、このままこの国に住もうかと思う瞬間が一度は必ずあった。でも日本に住んでいる間に知り合った友達のだれかれの顔を思い浮かべると、仕事はきつくてもやっぱり日本に帰ろうかと思った。
そんな中でいつの間にか「ぼくは何ジン?」という問いは、「ぼくはだれ?」と変わった。ぼくはどのように生き、だれとどこでなにをし、どこに住んでいくのだろう? ぼくは、何のために生きているのだろう? 気がついたときには、自分が何ジンであっても、もうどうでも良くなっていた。
ただ、ぼくはここにいま、こうして生きている。それが、答え。日々人と出会い、日々働き、遊び、休み、元気だ。たしかにぼくの心のどこかには、複数の文化が今も生き続けている。ぼくの考え方や行動の仕方は、今でもどうやら普通の日本人とは違うらしい。でも、いいじゃないかと思えるようになった。だって、ぼくはぼくだから。
いま、ぼくは同じように複数の文化を自分のうちに持つ仲間と手をつないでいきたいと思っている。外国と日本の間には「帰国子女」のほかにも仲間はたくさんいる。外国人で日本に育った人。外国に留学した人。お父さんとお母さんの国籍が違う人。
それどころか、複数の文化ということで考えれば、文化の違いは日本の中にもいっぱいある。関東と関西。東北と九州。北海道と沖縄。同じ一つの東京の中にだって、文化の違いはある。山の手と下町、それどころか赤坂と六本木の間にだって渋谷と池袋の間にだって、文化の差はある。
そしてまた。
男と女の間も、それからぼくとあなたの間でも、異文化。そうして人が人と出会うとき、人はだれでもみんな複数の文化の中に生きる。みんながみんな、ひとりひとり異文化。
だからこそ、ぼくはぼくでいたい。
あなたは何よりも「あなたらしく」あってほしい。
ぼくがぼくであることの達人に、
ぼくはなりたいと思う。
by 古家 淳
この文章の来歴:
1990年ごろ、当時二十歳代ぐらいの帰国子女や留学経験者を中心にゆるやかにつながり、交流するKosmopolitan Association International(KAI、頭文字のKはkikokushijoのKだそうだ)というグループが立ち上がった。その会報誌『WHO CARES?!』の第1号に寄稿したのが初出。「ぐるる」の原点ともいうべきものだと思う。
その後、この文章を古家自身が英訳して和英2言語でネットにアップしたところ、オランダと日本の出版社から、また「ぐるる」の発足後にもイギリスのオンライン大学から転載許可を求められた。いずれも教科用図書・教材に用いるとのことだったので快諾したが、実際に掲載されたかどうか、どのように使われているかは定かではない(その後の連絡はなかった)。
英語版はこちらhttps://note.com/globalrr/n/n7c611af20acc。
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