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南田 登喜子:価値観を映し、国民をインスパイアする「今年のオーストラリア人」

永遠の課題「オーストラリア人らしさって?
まずは一般国民が候補者を推薦する

 “多民族度”が世界でもトップクラスのオーストラリア。特定の人種や宗教、文化によってオーストラリア人を定義することはできず、「オーストラリア人らしさって?」というのは、永遠の課題である。人々が描くこの国の自画像を考えるヒントの1つに、「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー賞(Australian of the Year Awards)」(=今年のオーストラリア人)がある。授賞式が行われるのは、英国からの最初の移民船団が上陸した日を記念する祝日「オーストラリアデー」前夜の1月25日。公共放送ABCが生中継し、愛国心の盛り上がるこの時期に、あるべきオーストラリア人像が浮かび上がる。

 同賞の創設は、60年以上前に遡る。当初は、政治家と英国国教会の大主教、大学の学長ら5人から成る選考委員会が、前年に国家に栄誉をもたらしたごく少数の候補者の中から全会一致で受賞者を選んでいた。最初の受賞者は、ノーベル生理学・医学賞を受賞したマクファーレン・バーネット卿。翌年はオペラ歌手ジョーン・サザーランド、その次はヨットマンのジョック・スタロック……と、世界を舞台に活躍する著名人が続いた。

 卓越した功績と、国家・コミュニティへの貢献、人々にインスピレーションを与えるロールモデルとしての活動を称えるものであることは、今も変わらないが、中立性確保の観点から改革を重ねて確立した現行の選考システムには、スタート時と大きく異なるユニークな点が3つある。一般国民が候補者を推薦すること、州レベルの受賞者が自動的に国レベルの最終選考対象者となる二段階制の選考であること、年末ではなく年初にその年の受賞が決まることだ。推薦者は、推薦の理由、候補者の功績、地域や国あるいは世界への貢献の内容と共に、オーストラリア人をどのようにインスパイア(鼓舞・激励)したかをオンラインで、あるいは用紙に記入して提出する。候補者の中から、州レベルの受賞者を選出するのは、各州及び準州・特別地域の独立したパネル。主催者であるオーストラリアデー審議会の代表に加え、地域社会の代表、自治体職員、スポンサー、過去の受賞者らによって構成されており、政治的な意向が働く余地はない。勲章制度がトップダウンで「これまでお疲れさまでした」的に授与されるイメージなのに対し、「今年のオーストラリア人」は、社会や暮らしに広くプラスの影響を与えた人にスポットライトを当て、受賞年以降のさらなる活躍への期待をボトムアップで示す未来志向だ。

 2021年までの受賞者数は65人と1グループ。分野別では、科学が16人(医学10人を含む)で最も多く、スポーツ14人、芸術10組、コミュニティサービス7人、先住民関係5人……と続く。受賞者の顔ぶれには、時代の流れと共に移り変わる価値観や世相が反映されていて興味深い。例えば、環境運動家や地球温暖化対策を訴える活動家の登場は1990年代から2000年代にかけて。バリ島爆弾テロ事件(02年)による負傷者の火傷治療にあたった形成外科医や、タイ洞窟遭難事故(18年)で救出に貢献した熟練洞窟ダイバーらの名前もある。受賞後の1年間は、講演を行ったり、イベントに呼ばれたり、と市民活動に関わる機会がぐんと増える。メディアへの露出も高まるため、活動内容に対する国民の関心を呼び起こし、時に政治や行政にも大きな影響を与える。

国民がどのようなオーストラリア人を誇りに
何を大切にしてきたかを物語る遊歩道

 今年の最終候補者は、サステナブル素材研究のパイオニア、ワクチン研究者、四大大会と五輪を制して年間ゴールデンスラムを達成した車椅子テニス選手・コメンテーター、先住民の権利推進に取り組むバスケットボール選手、アボリジナル・ジャスティス・ユニット所長、反家庭内暴力団体の創設者、ドキュメンタリー映画製作者・ジャーナリスト、サイバー安全に関する教育・活動家だ。

 賞の認知度や世評の高まりを受け、79年からは、16~25歳を対象とした「ヤング・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」が、99年には65歳以上を対象とした「シニア・オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」が加わり、2003年に創設されたコミュニティレベルでの貢献を表彰する「ローカルヒーロー」と合わせて、全4部門に発展した。

 21年は4部門すべて女性が受賞した。オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー賞は、性暴力の“サバイバー”を支援し、性犯罪を防ぐための啓発活動に尽力するグレイス・テイムさん。高校1年生の時に数学教師から半年に渡って性暴力を受けたテイムさんは、ジャーナリストの協力を得て、#LetHerSpeakキャンペーン運動を繰り広げ、被害者が事件について発言することを禁じるタスマニア州の法律を変えた。シニア部門は、先住民活動家・教育家・アーティストのミリアムローズ・アンガンマー・ボーマンさん、ヤング部門は、生理にまつわる社会通念と闘い、貧困層の衛生支援を展開する社会起業家で医学生のイソベル・マーシャルさん、ローカルヒーロー賞は、移民・難民の女性を支援する活動家ローズマリー・カリウキさんが受賞した。

 振り返ってみれば、昨年は女性問題が大いに世間を揺るがせた年だった。テイムさんに触発された元自由党職員のブリタニー・ヒギンズさんが、国会内で同僚に強姦されたと訴え出たことを発端に、性暴力の被害者が続々と声を上げ、とりわけ政界関係者の疑惑が相次いで表面化。モリソン政権の拙劣な対応もあって、3月15日に各地で実施された性暴力に対する抗議デモ「March4Justice」(正義のための行進)には10万人が参加し、社会を変えようという動きが拡大した。

 首都キャンベラには、「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー・ウォーク」と名付けられた遊歩道がある。顔写真と共に受賞者の名前や受賞年等が記された銘板をはめ込んだ碑が点々と時系列に並び、国民がどのようなオーストラリア人を誇りに思い、何を大切にしてきたかを物語っている。地面に引かれた5本のラインは五線譜に見立てられ、その上に建てられた碑が音符の役目を果たして、オーストラリアの国歌を奏でている。空白の碑がまだたくさんあるのは、未来の受賞者のため。オーストラリアのアイデンティティは、まだまだ変わりゆく途中ということなのだろう。

オーストラリア在住ジャーナリスト 南田登喜子

ニューリーダー 2022年2月号掲載
<世界総覧>~世界はどう動いているのか~「オーストラリアが教えてくれること」)

21年の4部門の受賞者の写真を使って、推薦を呼びかけるポスター

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