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「建てない」建築家に建築ノーベル賞:ラトカン&ヴァッサル

2021年度のプリツカー賞はフランスの建築家コンビ、ラトカン&ヴァッサルが選ばれました。海外では比較的無名ともいえる建築家チームですが、どんな建築をてがけ、どういう評価をされたのでしょうか。

2021年度プリツカー賞

「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)は米国のハイアットホテルチェーンをを所有するプリツカー家の名前を冠した国際的な建築賞です。

国籍を問わず「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきた」存命の建築家を対象としていて、これまで日本からも丹下健三、槙文彦、安藤忠雄、磯崎新などが受賞してきました。

2021年、この賞に輝いたのは意外とも思える建築家でした。フランスのラトカン(Anne Lacaton)とヴァッサル(Jean-Philippe Vassal)のコンビです。この2人は大規模な国家的建築物を手がけてきたわけではなく、過去30年間、主に公的住宅の修復を行ってきた建築家チーム。

このような国際的な建築の賞というと、通常はぴかぴかしたランドマーク的な「作品」が思い浮かびます。この手の賞の対象となる場合も、国際的な建築コンペの場合も、ほかの建築家が目を引くモデルや斬新なグラフィックでプレゼンするのに、ラトカン&ヴァッサルは地味な設計図とコスト計算のスプレッドシートを提出するのが常で、これまではそれが不利に働くこともあったようです。

ラトカン&ヴァッサルの建築スタイル

この2人がこれまで取り組んできたプロジェクトは建築というよりは修復、再生といったものが主です。特にフランスの公的な建物の修復を多く手掛けてきました。

フランス中で「再開発」の名のもとに公的住宅が取り壊され、ぴかぴかの新築にとって代わられる中、この2人は既存の建物を修復、改善し続けたのです。そのために、時にクライアントである政府や自治体と意見を異にすることもありました。

ボルドーのある広場のデザインを任されたとき、ラトカン&ヴァッサルは現地を視察したあと、「このままでいい」と何もしないことを選びました。「時に答えは何もしないことだ」と結論付け、クライアントにはただ砂利を入れ替えればいいだけと伝え、貴重な公的資金はほかに使うべきと主張したのです。

公的集合住宅の修復

フランスは国中にある、戦後に建てられて老朽化してきている公的集合住宅1戸に16万7000ユーロをかけて取り壊し、再開発をしていました。2人はこのような形で公的予算を浪費することを批判し、代わりに既存住宅を修復して現代の生活に合わせて改善することができると実例をもって示しました。

たとえば、フランスのボルドー市にあった1960年代築の530戸で構成される公営の集合住宅(Grand Parc)がいい例です。

この建物は老朽化が進み、他の集合住宅のように取り壊される運命でした。もともと労働者や工場での仕事に就くためにやってきた移民のために建てられた高層住宅であり、50年たった後、物理的にもイメージ的にもとても魅力的とは呼べない代物だったのです。

2人は2014年から2017年にかけて、この高層住宅のコンクリートファサードを取り除き、バルコニーを取り入れて建物に光と空気を通すことで、現代生活にふさわしい、快適な環境を作り上げました。

このプロジェクトにかかった改修予算は1戸につき65,000ユーロで、取り壊して新しい建物を建てる場合の1/3ですみました。

低コストで無駄をなくす

2人はほかにもフランス中で数々の建物の修復を手がけていますが、どのプロジェクトもできるだけ低コストで最大の成果を出すことを目標にしています。

具体的には、工業用アルミニウム、スチール、ポリカーボネートなどの低コスト素材を利用することでコストカットをはかります。

その多くの作品はグリーンハウス様式を取り入れ、自然に換気や採光調節ができるようになっていて、住民や利用者に光あふれる空間や見晴らしのいい環境を提供しています。

彼らのモットーは

「壊さない、取りのぞかない、入れ替えない。足す、変える、再利用する」

2人はこう主張します。

取り壊すのは早くて簡単だが、3つの無駄を産む。エネルギー、素材、そして歴史を無駄にすることになるのだ。さらに、既存の建築物を取り壊すことは社会的にも悪影響を及ぼす。それは時には暴力行為といってもいい。

このようなアプローチは、気候変動問題に関心が高く、環境重視のサステイナブルな社会をめざすヨーロッパで評価されるようになってきました。

その結果として、2人は2019年にEUの建築賞であるミース・ファン・デル・ローエ賞を受賞しました。

モダニズム建築で知られるミース・ファン・デル・ローエは、かつて「Less is more」と言ったことで有名ですが、ラトカン&ヴァッサルはそれをもじって「Cheap is more」と語ります。より少ないコストで最大のパフォーマンスを出すことが重要だというのです。

その理由には、経済的に余裕のない家族でも自由で楽しく快適な生活を送ることができる環境を提供したいという思いがあります。

スクラップアンドビルドではなく、そこにすでにあるものを再利用することで、地球環境にとって持続可能なだけでなく、住む人にも幸福をもたらすことが建築家にとっての使命だということです。

社会や環境へ対する建築家の使命

このようなアプローチは自由経済資本主義が主流の米国には相いれないもののようにも思えます。

利益を最大限に生かすためには古びた建物は取り壊して、きらびやかな高級タワーマンションを建てるのが常識というものでしょう。予算カットで打ち捨てられた公的住宅を保存修復するなんて、米国では考えられない社会的プロジェクトなだけに新鮮にうつったかもしれません。

プリツカー賞は、近年「偉大な」と形容されるようなランドマーク的建築ではなく、人々の生活スタイルに重きを置いた、社会的に意義のある建築に目を向けるようになっています。

今回のラトカン&ヴァッサルの受賞も、「気候変動問題にかんがみ、経済的、環境的、社会的にバランスの取れた作品を手がけてきた」として、低予算で環境に配慮し、生活の質を向上する建築スタイルが評価されました。

プリツカー賞は、建築家の役割としても「すでにあるもの(建物、敷地、周辺環境)の価値を尊重し、理解し、受け入れたうえで、新しい価値をプラスする」というラトカン&ヴァッサルのアプローチを評価したのです。

米国もサステイナブルに

米国では今年、不動産王だったトランプから民主党バイデンに大統領が交代しました。これからは民主党のサンダースやコルテスが強く訴えてきた環境政策である「グリーン・ニューディール」が推進されることが予想されます。

これまで自由経済資本主義一辺倒だった米国で、公的な住宅政策や環境に配慮したサステイナブルな開発の在り方がより重要となってくることが考えられるのです。

今回のプリツカー賞の人選はそのような時代の流れを象徴しているようでもあります。

建築は彫刻ではない。人がそこに住むから重要なのだ。人が居住するということ、自由であるということはとても重要なことだ。(ヴァッサル)

“Architecture is not a sculpture. It's important because it is inhabited. The idea of inhabiting is extremely important. And the idea of freedom is extremely important.” Jean-Philippe Vassal, 2021 Pritzker Prize Laureate. Photo courtesy of Philippe Ruault. pic.twitter.com/t7xrlUgi0P

— Pritzker Prize (@PritzkerPrize) March 18, 2021

建築家の役割は自分が極めたい芸術作品を作ることではないし、すでにあるものを壊してエネルギーや物質を無駄にして、利益を最大化することでもないという考え方はこれからの主流になっていくのではないでしょうか。

人々が住み、慣れ親しんできた場所や環境の価値を見出し、それを改善することによって愛着のある場所に新しい風を吹き込んですべての人々がより幸福になるように手助けすることが建築家の真の役割といえるのではないかと思います。

ヨーロッパと日本のちがい

これまでの経験で、イギリスをはじめとするヨーロッパ圏の建築家と話していると、このような考え方が自然と身についていることを感じます。長い歴史があり、昔からの建物や景観、公共建築や空間が残る環境で仕事をしていると、自然にそうなるのでしょうか。

ほとんどの建築家は、たとえ更地であっても、その場所や歴史、環境、周囲の建物を評価し、理解し、どのような建物がその場所に最適であるのかを考えて空間をデザインします。もちろん、イギリスではその開発の都市計画許可を判断する都市計画家が様々な要素を厳しくチェックするので、そうしないとそもそも許可が下りないということもありますが。

それに対して日本では建築プロジェクトを任されると、その地に自分自身の「作品」を設計しようとする建築家や、自分の土地だから自分の好きなようにしたいとばかり、周りの環境には無関心のクライアントが多いようです。

また、日本では古い建物を修復保存しようとはせず、簡単に取り壊して新しい建物を建てる傾向にあります。建物を新築するときも長く使うということを念頭におかず、せいぜい30年もったら取り壊して建て直すべしというスクラップアンドビルド思考が常です。

だから、新築時に素材を吟味して長期的な視点で建てるということを怠り、安普請で新しい時だけきれいならいいといった考えになりがちです。

建築を保存するということになると、解体して博物館のようなところに移築するということは行われますが、建築物はそこにあって使われるからこそのものであり、博物館に飾られる彫刻ではないはずです。

古い建物でも耐震性や断熱性などを考慮した補修工事を行ったり、現代生活に適した修復改善をすることで、地域の人に馴染みのある景観を残しつつ快適な空間を再生することは可能です。京の町屋など築100年たったものを保存再生したり、重要伝統的建造物地域で街並みを保存する取り組みがいい例ですが、これを普通の建物にも適用することはできないのでしょうか。

そもそも、新しくものを建てるときにその時だけ立派できれいに見えるけれど、時を経るに従って減価償却するような、自動車や電化製品のような使い捨ての建物を建てることが建築家の使命なのでしょうか。

気候変動問題解決が大きな課題となっている今、スクラップアンドビルドでエネルギーを無駄に使い続けるのではなく、あるものを使い続けるという姿勢が必要になってきているのではないかと思います。

(Photo by Philippe Ruault)

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