ドイツとベルリンの壁
第二次世界大戦まで
第一次世界大戦に負けたドイツは、1919年に新しい憲法とともに the Weimar Republicという民主国家になります。
この時期、戦争の賠償金の支払いによって経済は不安定で、高い失業率や物価高に悩んでいたんですね。
さらに 1929年になると世界的な経済不況が起こり、大量の失業者が出ることになります。
こうした中、1933年には the Weimar Republic という民主国家は終わりを迎え、the National Socialist German Workers' (Nazi) Party という政党による一党制の政治体制に切り替わります。
Nazis (ナチス)独裁政党のリーダーであったのが Adolf Hitler (ヒトラー)という人で、ドイツ国内の Jews(ユダヤ人) に対する構造的な迫害を加速させました。
ドイツは軍事化を再開して隣国へ侵攻し、
ドイツ国内では Jews(ユダヤ人) から市民権を法的にはく奪したりしました。
第二次世界大戦
1939年にドイツがポーランドへ侵攻したことをきっかけに、第二次世界大戦がはじまります。
Nazis (ナチス)独裁政党は、ジェノサイドを通じて、
ユダヤ人だけでなく人種や宗教に基づく "違い" を徹底的に排除しようとしました。
1945年にドイツは敗戦し、Nazis (ナチス)独裁政党の人々は戦争犯罪として処罰されていきます。
ベルリンの壁
ドイツは1949年に西側と東側に分割されます。
西側は、アメリカ•フランス•イギリスの影響をうけた the Federal Republic of Germany、
東側は、ソ連の影響をうけた the communist German Democratic Republic として、
ベルリンの壁を境にして、ドイツ国内がそれぞれ分けられたのです。
1950年代になるとアメリカ•フランス•イギリスの影響をうけた西側は、急激な経済成長を成し遂げ、反ソ連の NATO や EU の経済連合に加入していきます。
1973年には西側と東側でそれぞれ国連に加盟します。
しかし、1980年代後半になってソ連の共産主義の影響力は下がっていくと、東側ドイツではプロテストが起きたりしました。
こういった状況の中、
東側の人たちは選挙でドイツ統合に賛成し、
西側の the Federal Republic of Germany に東側が統一されたのです。
これが “ベルリンの壁の崩壊” です。
参考:BBC News