異文化コミュニケーション的交渉術(小乗と大乗)
「小乗仏教は、個人の修行により個人が解脱するもので、大乗仏教は、菩薩を信仰すればすべての人が平等に救済するもの」だそうです。
つまり【小乗】は苦行によって『個人』の悟りが開かれるもので、【大乗】は信仰(祈る)ことで『多くの人』が皆平等に救われるものとだと言えるでしょう。
【大乗】は、多くの人を平等に救うという考え方のため、個人の解脱を目的とする【小乗】を、それこそ大上段的に見て【小乗】では不十分であると考えがちです。
しかし、元々仏陀(ブッダ)は【小乗】的に個人の修行により解脱を果たしたのですから、小さいという言葉が入っているため、利己的だと考える必要はないはずです。それに【小乗】で修行をするお坊さんたちを、多くの人たちが崇めるので【大乗】が成り立つとも言えるでしょう。
【小乗】は頭を丸め、修行をしてくれるありがたいお坊さんです。
さて会議に参加する人たちは、それぞれが、それぞれの『正義』を掲げています。その『正義』は、【小乗】的な視点か、【大乗】的な視点かどちらでしょう?
【大乗】の人から見れば、【小乗】の人に「もっと大局の視点から決断を下すべきだ」と感じます。また【小乗】の人から見れば、【大乗】の人に「一人一人の立場をまずは大切にすべきだ」と考えます。
どちらが誤りであると言えるでしょう?
どちらも正しいのです。
議論をする際に、相手は意見の異なる敵とみなすのではなく、あくまでそれぞれ【大乗】【小乗】の別々の立場の「違い」であると考え直すことで、意見の収束が容易になることがあります。
「なぜ分からないんだ!」とお互いに言い合っても、道は見えてきません。
人は、正義を掲げていると、どうしても過激になりがちです、本当に気を付けて下さい。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
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