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国際化は目的ではない

昨今の国際化議論を取り巻く環境は、高度成長期とは異なる。

いかに英語を習得し海外市場を開拓するかというタスクを目標に掲げただけでは、時代を見誤ってしまう。

別の記事で指摘した「21世紀は、20世紀より生きづらい」というフレーズと根は一緒であり、いわゆるパラダイム自体が大きく変わりつつある。もはや国際化やグローバル要件を満たした人材を確保するのみでは、生き延びるのが困難な時代に突入した。

例えば、IT技術の進歩やIAの発達、最近流行りのDXなどによる産業構造、社会構造の変化が世界規模で進行している。

日本では、これと平行して、すでにコロナウイルス爆発以前に、少子高齢化や労働者の価値観やライフスタイルの多様化などにより、働き方の変化も顕著化していた。

働き方一つ取って見ても、プレミアムフライデー、残業制限、副業解禁、ワークライフバランス、テレワーク、フッレクスタイム、ワークシェアリングなど、ひと昔前では想像もできなかった多様化が進行している。

しかし他方で、過労死、自殺、諸々のハラスメント、非正規社員・派遣労働問題、ブラック企業などなど、労使関係の本質が改善されているとはとても思えない側面もある。

ワーキングプアも社会問題となっているが、これは日本だけ見られる現象ではなく、米国などでも社会問題化している。

企業経営に関する国内の議論では、国際化やグローバル人材の育成、社内英語化といったコンテクストが多く幅を利かせている。だが、パラダイムシフトを前提せず、国際化や人材のグローバル化を標榜するだけでは、社員だけでなく会社の存続自体が危うくなる。

一つのプロセスであり、ただの手段であるはずの国際化・グローバル人材育成を目的として盲目的に突き進む先には、マルクスが気づいていたルンペンプロレタリアートという終焉が待つのみだ。

この「生き難い世紀」において、生き延びるために諸問題を解決するためコミュニケーションのあり方や個人の能力について、もっと掘り下げて考えるべきであろう。


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